青いチェリーは熟れることを知らない①
 午後十八時をむかえ、至る所で"お疲れ様でした"の声が飛び交っている。賑わう社員の中には飲み会に行く者たちもいるだろう。なんてったって今日は金曜日なのだから。

「ん~! ようやく一週間終わりましたね~!!」

「うん、お疲れ様でした」

(センパイになに作ってあげようかな……)

 早くも夕食へと考えが及んでいたちえりに、大きく伸びをした佐藤が欠伸を噛みしめながら"若葉さんこそっ!"と笑顔で返してくれる。こういう彼女の顔を見ることができるのは、一週間を終えたときと美味い飯やイケメンに在りつけたときである。

「ねね、若葉ちゃんこのあと映画行かない?」

 吉川はいつか話していた、ちえりの好きなホラーものの映画チケットを内ポケットから取り出しながら身をかがめて顔を覗きこんでくる。

「あ、吉川さんすみません……ちょっと用事があって」

「そうなの!? 残念だなぁ……」

 彼は手にしたチケットと頭を"くの字"に曲げながらションボリと肩を落としている。今さらだが吉川とちえりは先輩後輩の立場を超えた関係になく、時間があるときに映画へ誘われたとしても首を横に振っていたに違いないため、"また今度誘ってください"とは口が裂けても言えない。

「はははっ、本当にすみません……」

「あーっ! 吉川さん! それ今絶賛のランニング・デッドじゃないですかぁ~!!」

 同じくサスペンス&ホラー系の好きな佐藤が瞳を輝かせながら両手で祈る様に近づいてきた。すると吉川は嫌そうな顔をしながらも観念したように"無駄にするよりましかぁ……"と、しぶしぶチケットの一枚を佐藤へ渡す。
 ちえりはそんな吉川のテンションを盛り上げるためにも明るく背中を押して声を上げる。

「私の分まで楽しんできてくださいっ!」

(映画館は無理かもしれないけど、レンタルだったら瑞貴センパイと一緒に観られるかな……?)

「はいっ! ありがとうございますっっ!」

「若葉ちゃん~~……」

 泣きそうな吉川と手放しで喜ぶ佐藤とともに瑞貴へ挨拶をすませ、オフィスを出た三人。
 ちえりらを見送った瑞貴は再びデスクの上に積まれた資料へと目を通す。
 冷えた珈琲へ口を付けながらマウスを動かしていると、そこへひとりの男が近づいてきた。

「手伝いますよ」

「ん?」

 顔を上げた先にいたのは無表情の鳥居隼人だった。

「今日のトラブルで進んでいないんじゃないですか?」

「いや、いい。これは俺の仕事だ」

 ただ短くそう答えた瑞貴。
 まだ鳥居がそこに立っているにも関わらずそれ以上の関わりを拒むように口を閉ざし、視線もパソコンのディスプレイから離れることはなかった。

「そうですか」

 これ以上の長居は無用と判断した鳥居も言葉少なく立ち去ろうとすると、気配を消して間近に迫った長谷川と直面してしまった。

「あれぇ! 鳥居っち、若葉っちは?」

「もう帰りましたよ」

「えーっ! せっかくの花の金曜日だから誘いに来たのにぃっ!!」

 彼女はジョッキを持つ仕草を見せて"飲み"を表現している。

「……じゃあ俺も帰りますんで」

「まてぇいっ!! 鳥居っちは捕獲されなさいぃいいーーーっ!!」

「丁重にお断りします。お疲れ様でした」

「ぎゃあぁああっっ!!」

 鳥居隼人にフラれた長谷川はこの世の終わりとばかりに床へ膝をつき、頭を抱えて絶叫している。

(あーうるせー……)

これ以上関わりたくない鳥居はスタスタと歩く速度をはやめオフィスを後にした――。

< 55 / 110 >

この作品をシェア

pagetop