偶然でも運命でもない
22.足踏み
ホームに並んで立って、響子の顔をじっと見た後で、大河は少し不満そうな声を上げた。
「……口紅、変えたんじゃなかったの?」
なんだ、気づいてたんじゃん。
そう思って、響子は気がついた。もしかしたら、大河は、思った以上に自分のことを見ているのかもしれない。言葉にしないだけで。
「うん。でも、こっちの方が落ち着くし。」
動揺を悟られぬように、冷静を装って答える。
その言葉に、大河は意外そうな顔をした。
「似合ってたのに。」
「そう?あの色、仕事をするにはちょっと派手じゃない?」
「そうかな?わからないけど。でも、深いピンク色、華やかで響子さんに凄く似合ってたからさ。」
大河の耳が赤いのは、きっと寒さのせいだけじゃない。
目を逸らして、すぐに線路を眺める。落ち着かない大河の視線。
似合っていたと言われて、思わず笑みがこぼれる。
「大河くんって、そういうこと言うよね。すぐ照れちゃう癖に。」
「きっと響子さんのせいだね。」
「どういうこと?」
「だって響子さん、なんでも褒めてくれるでしょ。そういうの嬉しいし。だから、今年から俺もそうしようと思って。」
「それ、やめた方がいいよ。」
「えっ、なんで?」
大河は学校や他の場所でも、仲の良い女の子のことをそんな風に褒めるのだろうか……漠然と、それはやだな、と思う。
「ライバルが増えるでしょ。」
「なんの……?」
「なんでも。」
鈍いにも程があるな、そう思って、でも、そうなるように大河を遠ざけてるのは自分だと、思い直す。
「響子さん、なんで、そんなに機嫌悪いの?俺、何か気に触ること言った?」
「別に。ただ、むやみに褒めるのは、なんかチャラいな、って思って。」
「じゃあ、やめます。褒めるのは、響子さんのことだけにします。」
「えっ?待って、どういうこと?」
「だって、響子さんは俺のこと、褒めてくれるし。今更、俺がチャラいとか誤解だってしないし。」
そういう理由なの……?
本当に鈍いだけなのか、本当は興味がないのか、わからない。
それでも、はっきりとその口から答えを訊くのは怖くて、今のこの関係が、緩くてちょうどいいと思ってしまう。
答えなんてなければ、正解も間違いも存在しないのだから。
問題に背を向けて、逃げ回って。それは悪い癖だと自覚しながら、それでも笑って過ごすのだ。
ひたすら同じ場所で、足踏みをするように。そうすれば、この関係はこれ以上前に進むことはない。
そんな風に思いながら、響子はその場で、実際に足踏みをしてみる。
「ん?どうしたの?」
大河は不思議なものを見るような顔で、響子を振り返った。
「足踏みしてる。」
「トイレなら、待ってるよ。別に次の電車じゃなくてもいいし。」
「違う。そういうんじゃない。ただ……寒いだけ。」
意味なんてない。そう言ってもきっと納得しないだろう。
響子が「寒い」と付け加えて笑うと、その動きに合わせて、大河は片足だけでタンタンとリズムを刻み始めた。
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