偶然でも運命でもない
31.煮豆
惣菜屋が並ぶ一角から出てきた響子は豆腐屋のロゴのプリントされた買い物袋を下げていた。
いつもは花や甘いお菓子ばかり買う響子が、惣菜を買うのを珍しく思う。
「響子さん、おつかれさま。」
後ろから声を掛けると、響子は振り返って笑顔を見せた。
「おつかれさま。」
「何買ったの?」
「煮豆。」
「煮豆?」
「うん。五目煮。」
「その店の煮豆、美味しいの?」
彼女がわざわざ買うくらいだから、きっと美味しいやつなのだろう。
そう思って、通路の先の豆腐店の看板を眺める。
大河を見上げて、響子はちょっと困った顔をした。
「どうかな?初めて買ったから、わかんない。」
「美味しいといいね。」
「うん。普段、煮豆なんて食べないんだけど。」
「じゃあ、なんで?」
「節分でしょ、豆撒きはするとして。歳の数の豆、そのまま食べるには流石にちょっとキツくない?」
「それで煮豆。」
「納豆と悩んだんだけど。」
黙々と納豆を数えて食べる響子を想像して大河は吹き出した。
「節分に納豆?確かに大豆だけど。」
「でしょ?だから、煮豆。」
なるほど、それなら数が増えてもたくさん食べられそうだ。
炒っただけの大豆なんて、そう美味しいものでもないし。
「響子さんは、恵方巻きは食べないの?」
「あれは、関西の食べ物でしょ?」
「そうなの?」
「ここ10年くらいだよ、関東でも巻き寿司を売るようになったの。」
「そうなんだ。恵方巻きを納豆巻きにしたら一石二鳥だと思って。」
「恵方巻きって、そんなに細いのでいいの?海苔、切らないから食べ難そうだよ。」
「もともと食べ難いものだろ?恵方巻きって。」
「食べたことないんだよね。食べてみようかな。切らずに黙ってそのまま齧るんだよね?」
「俺は、普通に切って食べても良いと思うけどね。」
「何で?」
「何でって……」
彼女はきっと知らないのだろう。恵方巻きの由来を。
日本の節句の慣習は8割下ネタだと、古典の教師が言っていたのを思い出す。
自分で振った話題なのに説明を求められて、しまったな、と思う。
「それ、俺にはちょっと説明出来ないです。納豆巻きも撤回します。」
響子が恵方巻きを黙々と食べる姿を想像して、大河は思わず視線を逸らす。そんな大河の顔を見て響子は笑った。
「何で、そんなに後ろめたい顔するのよ。」
「え。いや、後ろめたいとか。……そんなことないです。」
「じゃあ、帰ったら調べよ。恵方巻きについて。」
「やめてください。」
「やっぱり何か隠してるじゃん。」
説明するにせよ、調べられるにせよ、完全に退路を塞がれた。恵方巻きについて知ったら、きっと響子さんはこれから、俺を冷たい目で見るのだろう。
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