偶然でも運命でもない
32.ハインリッヒーズ
「それ、何、聴いてたの?」
外したイヤホンのコードを巻き取って鞄にしまう。その手元に、響子の視線を感じる。
大河がその男性アイドルグループを知ったのは、最近になってからだ。解散したのは“もうずっと昔”と叔母は言っていた。
「ハインリッヒーズ」
彼女はそのグループを知っているのだろうか?
「懐かしい。……いいよね、ハインリッヒーズ。」
響子は小さな声で昔流行った曲のサビを歌いだした。
--きっと これからもキミは 誰かの胸の中で 大切な宝物になるのでしょう 言い掛けたその言葉…… --
今、聴いていたばかりの曲を歌う響子に、大河も小さな声でハモる。
--キミの声を 今 聞きたくて 涙が 止まらなくなるのは なぜ--
そこまで歌って、彼女は何か思い出した顔をして大河を振り返った。
真っ直ぐにこちらを見据える真剣な眼差し。
「ぜったいキレイになってやる。」
「えっ?」
「そういうCMがあったの、昔。」
「へぇ。知らない。」
「あれ?でも、まあ、大河くんは世代じゃないよね。」
「世代じゃないっすね。」
「なんでその曲知ったの?」
「先週、ラジオ聴いてて、いいなって。」
「私が高校生の時に解散したのよ。3年の…ちょうど今くらいの時期で。全国的に雪が降ってる日で。」
「うん。」
「テレビは解散と入学試験と雪のニュースばっかりだったの。」
響子は遠い目をして、ホームの隙間の空を見上げ、それからじっと足元を見る。
何か、大切な思い出でもあるのだろうか……?
黙って俯いた響子の横顔は寂しそうだ。
普段はにこにこと明るく振る舞う癖に、時々、こんな顔をしていることに彼女は自覚がないのだろう。
その寂しさの理由を知りたい、埋められるなら、自分がその隙間を埋めたい。そう思うが、ただ黙って見つめることしか出来ない。
普段は気にならない沈黙が、妙に気になって話題を探す。
「ああ、そういえば。今日も天気予報は雪だったね。」
「降らなかったじゃない。」
「これから、降るんじゃない?」
「うん。」
「冷えるね。」
周りの音が、急にしんと遠くなった。
ホームに流れるアナウンスに揃って顔を上げると、白く輝くものがふわりと舞い落ちるのが見えた。
『あ、雪。』
同時に声を上げたのを、なんだか恥ずかしく思って視線を逸らす。
「降ってきたね。」
「うん。」
響子が雪の舞う黒い空に手を伸ばして掲げると、掌に結晶がのってキラリと光り溶けて消える。
「キレイ。」
呟いて響子は笑った。
大河はそんな響子をそっと眺める。
「積もるかな?」
「積もったら、休みたい。」
「仕事、休めないの?」
「うん。電車動いてなかったら休むけど。基本的には行くかな。」
「大人は大変だね。」
「大河くんだって、これからはそうなるでしょ。」
「うん。でも、雪とか台風の時は家でも仕事が出来ればいいのに、って、叔父さんとか見てると思うよ。」
「いいねぇ。そんな会社、一握りだろうけど。うちの会社もそういうシステムにならないかな。」
「そのうち、それが当たり前の社会になるよ。」
「なるかなぁ。」
ホームに滑り込んできた電車に乗り込み、雪の降る景色を眺める。
朝には積もるのだろうか……?
積もったら、朝イチで海都からメッセージが来るな。
図書館に行くのはやめて、庭に出て、海都と一緒に雪だるまでも作ろうか。
響子さんは、きっと雪の中でも仕事に行くのだろう。
危ないから家にいて欲しいが、そんなことは自分が口を出すべきではない。
でも。
「響子さん、明日の朝は気をつけてね。」
「うん。ありがと。」
微笑んでこちらを見上げる響子に微笑みを返す。
明日は会えないな、そう思って少しだけ寂しくなった。
会えるのはいつも、偶然なのに。
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