偶然でも運命でもない
36.告白
放課後の教室。
クラスの女子に呼び止められて居残った大河は、ぼんやりと陽の落ち掛けた空を見ていた。
バレンタインには1日早い。
空と街は、夕陽に照らされて染まっている。オレンジと赤が曖昧に混ざるその色に、この教室も飲み込まれる。
薄暗いオレンジ色の世界に取り残されて、大河は視線を目の前に移した。
見慣れた制服を少し崩して着て、スカートは短く折っている。寒くても脚は出す主義。上履きに掠れたマジックペンで丁寧に書かれた片野という文字。長く伸ばした染めていない黒い髪。
校則で禁止されているのに、それでも化粧をしたい彼女は、睫毛をカールさせて薄く色の付くリップクリームを塗っている。
「だからね、松本くん。松本くんが、もし、よければなんだけど。私と付き合って欲しいの。」
彼女の話は回りくどく、その提案に至るまでに随分と時間が掛かった。
「……なんで?」
「えっ?」
「それ、俺じゃなくてもいいでしょ。」
溜息混じりの大河の言葉に、彼女は泣きそうな顔をして俯く。
「残念だけど。受験が終わったからって理由で誰かと付き合いたいなら、他を当たった方がいいと思うよ。俺、卒業したら実家帰るし。」
彼女の話を要約すると、“お互いに受験も終わったし彼氏になって欲しい”というような内容だった。
……それは、片野の本当の気持ちではない。彼女は好意を伝えるような言葉をひとつも使わずに、自分達が付き合うメリットのようなものを並べていた。
3年間、ずっと同じクラスだった。特に親しいわけではないが、メッセージグループのメンバーの中にいて、言葉を交わすことは比較的多かった。
きっと片野は彼女なりの勇気を持って、大河を呼び出したのだろう。
それでも、彼女に友人以上の興味を持つことは出来なかったし、もし付き合ったとして、その回りくどさに振り回されることに苛立つことも多いだろうと思う。
「なんで、そんな言い方するの……?」
俯いた彼女に申し訳ないとは思うが、それはこっちのセリフだった。好きなら好きと素直に言ってくれたら、きっと、少しは興味が持てただろう。それでなくても、もう少し別の言葉を選んで断ることも出来たのに。
「片野さんが、そういう提案をしたんだよ。」
「……ごめん。松本くんは、理由がはっきりしてた方がいいかと思って。」
「だから、理由がそれなら付き合えないよ。俺、受験の為に勉強してるわけじゃないし。」
受験が終わったから。……きっと片野は、進学の為の勉強をしていたのだろう。勉強の為の進学ではなくて。
ふと、寒空の下で、月を見上げた響子の寂しそうな横顔を思い出す。それから、よく動く表情、笑う唇、真っ直ぐに立つその背中、大河を呼ぶ声を。

「……でも、やっぱり、ごめん。理由がそれじゃなくても、付き合えない。」
「何で?」
「俺、好きな人いるし。」
「えっ?」
彼女は顔を上げて、驚いた顔でこちらを見上げた。
「……誰?」
「片野さんの知らない人。」
「可愛い?」
「うん。可愛い。……可愛くて、美しい人だよ。」
響子さんと違って、片野はきっと、自分の可愛さを自覚している。実際、片野はクラスを超えて人気があったし、狙ってる男子は多かった。
「……その人、年上?」
「うん。年上。……なんでわかるの?」
「褒めるのに“美しい”って使わなくない?」
「……そうだね。」
大河はまだ、響子への想いを伝えられていない。たとえ付き合うことが出来なくても、一緒にいる間、彼女が笑うだけで嬉しい。
響子さんに対して、思ったことは何でも言葉に出来るのに、一番大事なことは言えない。好きだと言ったら、きっと困らせてしまうだろう。13年という歳の差はそう簡単に埋めることは出来ない。だけど、そばにいられるだけで今は充分だ。
それに、なんとなく気付いたことがある。響子さんと付き合うのに理由は要らない。ただ、彼女が興味以上の感情を自分に向けてくれるのを、じっと待つしかない。


「ずっと、好きだったんだけどな……。」
片野は呟いて、暗くなった窓の外を眺める。その声は、普段通りで、大河は少し安心した。
「俺さ、女の子はそうやって素直にしてる方が可愛いと思うよ。」
「えっ!?」
「俺だけかもしれないけど。理由とか、相手がどうとか、そういうのより、思ったこと素直に話してくれる方が嬉しい。」
振り返った片野は、大河の顔を見て驚いたような呆れたような顔をしていた。
「……松本くんて、そういう事言うんだ。」
「あのさ、片野さんは、俺の事どういう風に思ってたの?」
「寡黙で大人で感情よりも理屈で動くタイプ。」
片野の言葉に、大河は思わず吹き出す。
「俺さ、わりと感情的だし、自分のことガキだと思ってるんだけど。」
それでも、響子さんの前では、そんな自分も嫌いじゃないと思える。
誰かの顔色を伺ってばかりじゃ、本当の気持ちは見えてこない。自分に素直なのは良いことだ、そう教えてくれたのは響子さんだ。
「片野さんさ、さっき、俺には理由があった方がいいと思ったって言ってくれただろ?」
「うん。」
「断っといてごめんだけど。人を好きでいるのに理由なんてないよね。」
「うん。」
「少なくとも、俺は、ない。だから、どうせなら俺達が付き合う為の理由よりも、片野さんが俺をどう思ってるかの方が聞きたかった。」
あははは、と、彼女は声を立てて笑った。いつも教室で見せる笑顔で。
「私、松本くんのこと好きだよ。振られちゃったけど。」
「うん。ごめん。」
「じゃあ、これはあげない。」
そう言って彼女は、鞄から取り出した包みを抱き締めるようにして窓を開けた。
校庭を見下ろすと、海都が玄関を出て行くのが見える。
「武田ーーーーーーー!!これ、あげるーーーーーーーーー!!!」
片野はそう叫ぶと、その包みを振って見せる。
海都が手を振り返して笑う。
「それ、大河のじゃねーのーーーーー?」
大河は黙って、海都に手を振った。
「ここで待ってるから、二人とも、早く降りて来いよ!」
海都は片野の気持ちを知っていたのだろう。
きっと、告白されて大河が断ることも。
なんか、青春っぽいな。そう思って窓から離れる。
冬休みが明けて当番の仕事はなくなった。
誰かが教室の鍵を締める必要もない。
「帰ろ。海都、待ってるみたいだし。」
大河は、そう言って鞄を掴むと、教室を後にした。
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