偶然でも運命でもない
37.理由
路線の違う片野とホームへと続く階段の前で別れて、大河と海都は並んで階段を降りる。
階段の途中、ホームに響子の姿を見つけると海都は「響子さーん!」と呼びかけた。
「おい。」
慌てて海都を引っ張る大河に「いいじゃん」と笑って海都は階段を駆け下りる。
一緒に引き摺られるようにして階段を降りると、響子はこちらを見上げて笑っていた。
「おつかれさまです。」
「おつかれさま。」
すっかり慣れた挨拶を交わすと、海都は大河の耳元で、「俺、やっぱ戻るわ。片野、心配だし。」そう言って今降りたばかりの階段を2段飛ばしで駆け上がって通路の向こうへと消えて行った。
「何?海都くん、何かあったの?」
響子は不思議そうな顔をして、海都の消えた階段の先を覗き込むようにして眺める。
「んー。ちょっと。」
「ちょっとって、何?」
「話さなきゃダメ?」
大河が溜め息をつくと、響子はその顔を覗きこんだ。
「うん。だって、大河くんも元気ないし。なんかあったでしょ?」
「うん。まあ。」
片野に告白されたことは言いたくないな、そう思うが、響子は真面目な顔をして、こちらの目を覗き込んでくる。
「長い話なら、どこか入るけど。」
「響子さん、俺、そんなに深刻な顔してます?」
「してる。」
やっぱり、話そう。隠して余計な心配を掛けるよりも、話して呆れられる方がいい。
「……俺、さっき、告られたんです。クラスの女子に。付き合ってって。」
「あら。」
「断りました。」
きっぱりと断ったと告げる大河に、響子は、ふんわりと微笑んだ。
「どうして?」
こちらを見つめる響子に、貴女が好きだから…なんて言えるわけもなく。今更ながらに、片野の勇気は凄いなと思う。
「俺は、誰かを好きになるのに理由はないと思うんです。」
「うん。私もそう思う。」
「でも、その子は違ったんです。付き合う為にたくさん理由を並べて。でも、一番大事な気持ちは、最後まで言葉にしなかったんです。」
「うん。」
「それって、寂しくないですか?」
「寂しいね。」
大河は顔を上げて、遠くまでたくさん並んだホームを見る。
離れたホームに海都と片野が並んで歩く姿が見えた。
すぐに入って来た電車にその姿は隠されて見えなくなる。
--その方が良いと思って。--
そう言った片野は、自分の気持ちを大河の行動に合わせようとしてくれたのだろう。大河に彼女の気持ちがわからないように、彼女にも大河の気持ちはわからない筈だ。擦り合わせることもせずに、相手に合わせたつもりの行動は、受け入れ難いと思う。
恋をすることと、付き合うことは別の問題だ。
だから本当は、好きになるのに理由はいらないけど、付き合うのに理由があってもいいと思う。
それでも、響子さんと過ごす時間を重ねるたびに、付き合うことに対するこだわりは減っていった。付き合えたら嬉しいけど、それよりも、相手のことがもっと知りたい。
きっと、恋人という肩書きは、身体を重ね独占する為の手段でしかない。
どちらにせよ、卒業したら会えなくなるのだ。
遠い場所で連絡が取れない以上、自分達の関係に未来はない。
ならばせめて、繰り返す偶然の時間を、笑って過ごせるように。改札を抜けると、響子はいつもと違う方向に足を向けた。
大河は黙って、数歩後ろをついていく。
駅ナカの洋菓子店が並ぶ通りで響子は足を止めてショーケースを眺める。
「大河くんは、何味がいい?」
「えっ?」
「チョコレート、買おうと思うんだけど。」
「うん。」
「何味が好き?」
「何で俺に訊くの?それ。自分のでしょ。」
「うん。そうだけど。いつも同じもの買っちゃうから、参考にしようと思って。」
「じゃあ、苺。チョコはイチゴ味が好き。」
「苺?」
「……変、かな?子供っぽい?」
「ううん。ちょっと意外だなって。」
「そう?」
「買ってくるから、ここで待っててくれる?」
「いくらでも待ちますよ。」
響子は、チョコレートの並んだショーケースの前で、あれこれと店員に伝えて、小さな紙袋を2つ抱えて戻ってきた。
ひとつを大河に差し出して、「これ、あげる。」と、微笑む。
「えっ?……何で?」
「バレンタイン、当日は会えなかったでしょ。次の日も。だいぶ間があいちゃったけど。」
「うん。」
「だからこれ。遅くなっちゃったけど、あげる。」
「いいの?」
「駄目だったら、渡さないでしょ。……いらない?」
「や、いただきます。……嬉しい。」
響子の差し出した紙袋に慌てて手を伸ばすと、指先が触れ合った。
歩き出した響子に並んで、受け取ったばかりの紙袋を覗き込む。
響子は隣で、ふふふと小さく笑うと、歌うように呟いた。
「苺、それと、オレンジとピスタチオ。他は私のお勧めのやつ。」
「うん。」
「手作りとかじゃなくてごめんね。」
「……充分ですよ。」
本当に、充分だ。
たとえ、それが義理チョコだったとしても、自分にはもったいないくらいだ。
「大河くん、私ね………」
何か言いかけた響子はこちらを見上げて、立ち止まった。
目が合って、彼女は少しだけ戸惑うような顔をする。
伸びた前髪と薄い化粧。少し潤んで輝く瞳に自分の姿が映る。
「……何?」
大河が促すと、響子は瞬きをひとつして、小さく息を吐いた。言い難そうに言葉を選んで、困ったような表情で笑う。
「……んー。……実はね、ちゃんと当日にも用意してたんだけど。」
「もしかして、チョコ?手作りを?」
「ううん。お店のやつ。こことは別の。」
「うん。」
「でも、全然会えないんだもん。ずっと持ち歩くわけにもいかないし。食べちゃった。」
その言葉に、大河は笑う。
響子はその包みをどんな気持ちで開けたのだろう。
バレンタインの前日に、告白を断ったと伝えた時、響子は少し安心したように微笑んだ。だけど、自分の気持ちを告げたとして、困らせるばかりで相手にされることはないだろう。
おそらく、彼女は恋人を必要としていない。
だから、きっと“これ”は、そういう意味じゃない。
それでも、響子が自分のことを考えてくれていたことが嬉しい。
「それ、美味しかった?」
「当然。」
手元の紙袋の隙間から、リボンの掛かった箱が見える。
「俺、こういうチョコって初めてかも。ケーキみたいにケースからひとつづつ選んで買うやつ。」
「美味しいよ。」
「開けるの、楽しみだな。ありがとう。」
「どういたしまして。」
響子はホームの電光掲示板を見上げる。
小さな腕時計で時間を確認すると、暗い線路の向こう側を覗き込む。また一つ、小さな溜息をこぼして。再びこちらを振り返った彼女はいつものように笑っていた。
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