偶然でも運命でもない
49.卒業
「卒業式の帰りって、そうやって一人で帰るもん?」
制服の胸に花を差したまま電車を待っていた大河は、響子を振り返って笑った。
「仕方ないじゃん、叔父さんは仕事だし、海都は女子に囲まれてカラオケに連れて行かれたし。」
「一緒に行けば良かったのに。」
「いいよ。さっきまで一緒だったんだ。昨日も遊んだし。それに、俺、カラオケってそんなに得意じゃない。」
「女の子は?」
「学校の女子はあんまり。あ、女性に興味ないわけじゃないよ。一応。そういうわけじゃなくて。」
「何、その、青年の主張みたいなの。」
「なにそれ?」
「むかーし流行ったテレビ番組。高校生がカメラの前で、学校の屋上から思いの丈を叫ぶの。告白したり、給食の焼き魚を廃止してくれみたいなこととか。」
「くだらな。」
「主張したいこと、ないの?」
「卒業したのに?」
「これからのこととか。」
「……ないかな。」
「ないんだ。」
電車の中、いつもの定位置に並んで立って、窓の外の景色を眺める。
大河と会うのは、これがきっと最後だ。
「あ。ひとつあった。ひとつだけ。」
「なに?」
「響子さんの連絡先、教えてよ。俺、メッセージ送るから。」
「それは……やっぱダメ。」
「なんでさ。もう、会えなくなっちゃうんだよ。」
「どっちにしろ、離れちゃうなら会えないよ。」
「うーん。じゃあ、いいや。……でも、いつか。もし、どこかでもう一度、出会うことが出来て。その時、響子さんがフリーだったら俺と付き合って。偶然、また会えたら運命でしょ?」
--偶然てね、偶々、自然に起こるから偶然て言うんですよ。--
初めて話をした夜。ファーストフード店の片隅で、テーブルに突っ伏した大河を思い出す。
でも、私たちが会うのは、全然、偶然じゃなかった。
通勤も通学もある程度は時間が決まっているし、乗る車両だって大体同じだ。
もし、本当に、どこかで偶然また会うことが出来たら。
それは、大河の言うように、運命なのかもしれない。
「でもさ、それ、一体いつの話よ?」
「わからないけど。ダメ?」
「わかった。またいつか、次にどこかで会った時、お互いにフリーだったら付き合おう。」
響子の会社は転勤がある。独り身の響子は異動のターゲットにされやすい。数年後……彼がこの駅を訪ねてきたとして、ここにいる可能性はあまり高くない。
大河とは多分、二度と会うことはないだろう。
酷い約束だな、と思う。
でも、10代の彼はすぐに忘れるのだろう、不確かな運命なんて信じないで同年代の可愛い彼女を作って、幸せになって欲しい。
もうすぐ響子の降りる駅だ。
アナウンスと共にホームに電車が滑り込む。
ドアの隣に並んで立つ大河を振り返り、
「大河くん。卒業おめでとう。……元気でね。バイバイ。」
と、手を振る。
そのいつかは、永遠に来ない。だから、最後は笑顔で別れようと、微笑む。
開いたドアを越えてホームへと降りようとした瞬間、振っていたその手を、強く掴まれた。
「えっ!?」
グイッと強く後ろに引き寄せられ、顔を上げた響子の頬に大河の鼻先が触れる。
柔らかく温かな、唇の触れ合う感覚。
「響子さん……」
耳元で囁く大河の声を搔き消すように発車のベルが鳴る。
直後、響く笛の音と共に、突き放すようにポンと軽く肩を押されて、響子はホームに押し出された。
ドア ガ シマリマス……
呆然とする響子の前で閉まるドア。その小さな窓から覗いた大河が、指先をパタパタと動かす仕草で手を振る。
「また、いつか、どこかで。」
大河の唇が、呟いて微笑んだ。
電車がゆっくりと動き出し、遠ざかる。
その姿を見送って、ホームに立ち尽くす。
人波が階段に吸い込まれ、ホームには響子ひとり取り残された。
停止した思考の中で、大河の声が「響子さん」と呟いて消える。耳の中に、響く発車のベルに混じって大河の言葉が小さく残っている。
--俺は、あなたが --
「……なにそれ、ズルくない!?」
思わず叫んで、膝から力が抜けた。
その場に座り込んで、両手で顔を覆う。
今更、大河の気持ち知ったところで、もう二度とその時間は戻らないというのに。
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