ユルトと精霊の湖

「この森に……王の使者はまだ、来ていない。でも、あなたが役目を忘れ、あの、人の子しか見えなくなるならば……我らが王は、きっと、お許しにはならないでしょう」

花精の言葉に、湖精は我知らず、小さく体を震わせる。

“我らが王”……

精霊が、この言葉を口にする時。

それは、他の誰でもなく、自らを統べる、精霊の王を示す。

自らが宿るものから離れられない彼らではあるが、精霊はみな、どれほど遠く離れていても、その存在を常に感じている。

世界中で、最も深い、神聖なる森の奥深くに住まう、美しく、厳しい存在。

この湖から離れられない自分が、その存在を目にする時……

それは…………自分という存在が消える時なのかもしれない。


青ざめる湖精に寄り添い、花精はすがるように言う。

「だから、お願いよ。わたしたちを、この湖を忘れないで」

花精の言葉に、自らの役目を思い出したのか、湖精はそれから、赤子のいる胎にこもることはなかった。


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