夢はダイヤモンドを駆け巡る
第二章 松本くん観察録

第1話

 あれから二週間が経つ。

 小神のせいでわたしは嫌でも松本くんを意識せざるを得なくなった。

 松本大輔。

 わたしの出席番号のひとつ後ろの男。

 野球部で四番・エースを務めてきただけあって、体格がとてもいい。胸板が厚く、肩幅が広く、足が長い。背は小神の情報によると一七九センチらしいが、体格のせいかそれ以上に見える。ずっとグラウンドで走り回っているのだろう、肌も浅黒い。

 どこの学校でもそうだと思うが、四月初旬ごろはまだ出席番号順に座席が並んでいる。きっとそれは教師が名前と顔を一致させるためなのだろうが、それがわたしにとってかえって好都合だった。教師がプリントを配るたびにわたしは背後の松本くんにプリントを回し、しばしば手同士が触れ合う。その手がわたしの比にならぬほど大きくゴツゴツしている。

 比べること自体失礼なのかもしれないが、同じ男でも小神なんかとは大違いだ。小神は全体的にもやしのように白くひょろひょろしていて、背も一六〇センチと少しという小柄さだ。

 初めの数日間はプリントを回すだけの間柄(?)でしかなかったのだが、段々と彼の顔を直視する機会も増えてきた。

 しっかり松本くんの顔を見ていないときは、ただ色の黒い顔だという印象しかなかったのだが、よく見れば精悍な顔立ちであることも分かった。眉が太く、目は鋭く、口は引き締まっている。頭はもちろん丸刈りだ。

 いかにもスポーツマンという出で立ちではあるが、決してクラスの中で目立つ存在ではない。意見を積極的に発することも、休み時間に大声で騒ぐこともない。友達も野球部仲間の数人であるようだ。部活以外の時にはオーラを消して身を潜めているのかもしれない。そんな風にも思える。

 それからもう何日かして、小神のいう松本くんの「努力する姿勢」なるものを探してみようという気持ちになった。

「怠け者」のわたしを変えさせるほどの何かが、松本くんにはきっとあるんだろう――半ばやけくそのような気持ちだった。

 彼がちょうど後ろの席にいるおかげで、授業中であってもほんの少し意識を後部に集中させるだけで、彼が授業に没頭しているのか、そうではないのかを知ることができるんじゃないか――そう思った。もし授業中に寝ていれば寝息がするであろうし、集中していればノートに板書を書き写す音が聞こえるだろう、と。

 二週目の水曜日、わたしは一時間目の英語の授業で試してみることにした。立礼の行われた次の瞬間から、こっそり意識を背後に向ける。

 それではテキストを開けてください、という教師の指示のすぐ後、クラスの全員が机に出していた教科書を開く音、あるいはまだ机の中に眠っている教科書をごそごそと探す音がする。わたしは後者だった。

 わたしの背後はと言えば。

「……」

 無音だ。

 何をしているのやら、さっぱりわからない。ちらっとさりげなく後ろを振り返ってみると、すでに教科書は開かれていた。

「どうかした?」

 急に振り向いたわたしを、怪訝そうに見返す松本くん。

「教科書ってどれのこと?」

「これだよ」

 わたしがあらかじめ用意していた嘘をつくと、松本くんは特に表情を変えることもなく、さっと教科書を持ち上げ表紙を見せてくれた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 わたしが例を言うと松本くんは何事もなかったかのようにルーズリーフをファイルから一枚引きだした。わたしはもとの姿勢に戻る。

 なるほど、とわたしは心の中でつぶやいた。

 松本くんの声を初めて聞いたが、なかなか低くて太い、良い声をしているではないか。それに言葉づかいも女子に対するものとしては不自然でない。

 比べるのは失礼だが、あの小神なんかとはまったく声の質からして違うのだ。小神がその見た目通り神経質そうな声であるのに対し、松本くんの声は常にグラウンドで張り上げているのであろうことがよくわかる、たくましい声だ。

 愛想がいいかと、いうとそういうわけではない。だが決して悪いということもない。そんな応じ方だった。

 授業中教師に指名されて音読でもさせられればいいのに、と思いながら座っていたが、結局彼は一度も当てられずに五十分が過ぎてしまった。
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