夢はダイヤモンドを駆け巡る
第4話
聞き覚えのある低くたくましい声に、わたしは顔を上げた。そこには、
「あれ、松本くん」
制服を着たままの松本くんの姿があった。
春だというのにすでに日焼けした顔。
肩には学校のかばんが掛けられているのだが、そのかばんははち切れそうなほど膨らんでいる。単に荷物の詰め方が悪いのかもしれない、とわたしは思う。
「参考書選んでんの?」
わたしの真ん前の棚に目をやりながら、松本くんは尋ねた。
特に愛想がいいわけでもなく、といって悪いわけでもない問い方だった。
同じクラスになったばかりの高校生同士の会話としては標準的と言っていいかもしれない。
四月って、女同士ならばべたべたとまとわりつく様な会話をするのだけれど、男子と女子ならばそんな風を装う必要はない。
わたしは頷き、
「数Ⅰと数Ⅱ、どっちを買おうかなって思って。一冊買うお金しか今持ってないからさ」
最後のは余計だったかなと思いながら、苦笑いした。
松本くんはうーん、と少し考えて、
「俺、星野が数学得意なのかどうか知らないけど、とりあえず今は授業についていくことを考えたらいいんじゃないか?
今数Ⅰの復習したって、授業でやったことをその都度復習できなかったらテスト前に焦るだろうし。
英語や国語と違って数学は分野別に攻略することができるから、数Ⅰができないことが数Ⅱの出来具合に響くことはあまりないと思うよ。俺なら数Ⅱの方を買う」
相変わらずの無表情で、アドバイスをくれた。
教師ですら教えてくれない数学という教科の特性までこうしてすぐに口から出て来る時点で、彼の学力が高いことは明らかだった。
今まで数学と英語や国語の教科間の攻略方法の違いなんて意識したこともなかったから、目から鱗だ。
確かに松本くんの言うとおり、英語や国語は中学からの積み重ね、あるいは前の単元(関係代名詞だとか、上二段活用動詞の活用だとか)の内容を理解しないことには前に進めない。
でも数学は例えば数Ⅰと数Aの間だとそれぞれの分野のつながりが英語や国語ほど強くないように思える。
だって関数と数列って全然関係ないものね。
関数ができなくっても数列の問題は解けたり、あるいはその逆っていうのは有り得る話だ――わたしはどっちも苦手だからお話にならないけど。
そんなばかなわたしでも、納得。
「なるほどね。ありがと」
言われるがままに、わたしはその参考書を棚から取り出した。
そんなことはさておき、わたしは世間話程度に松本くんにこう話しかけた。
「松本くんも参考書買いに来たの?」
「そう。新しい問題集を買いに」
「もしかして生物?」
わたしは、余計なことかもしれないと思いながらも訊いてみた。今日の五時間目の終わりに、松本くんが先生のもとに何かが印刷された紙を持っていっているところが見えたからだ。
途端、松本くんの顔つきが変わった。わたしが言い当てたことに驚いているようだった。
「そうだけど、何で分かったんだ?」
反射的に五時間目のことを言おうとして、わたしは一旦口を閉ざす。声のトーンを落として、背伸びし、松本くんの耳にほんの少し顔を近付ける。ちょっと汗臭いが、いたずらのためにはガマンガマン。
「ここだけの話なんだけど、わたし、人の心を読む力があるんだよね」
もちろん大嘘である。
冗談である。
言ったこちらが、言ったそばから吹き出しそうなのを必死に堪えるほどの、稚拙な嘘。
だというのに。
「え、マジ?」
マジレスかい。
松本くんは目を見開き、世にも信じられない話を聞いたとばかりに驚愕の声を上げた。
逆にこちらが何と答えたらいいか、わからなくなるじゃないか。
なんだか悪いことした気分になる。善良なクラスメートを陥れたかのようだ。罪悪感を感じてしまう。
「あ……いや、今の冗談だよ?」
慌てて冗談を撤回したわたしに、
「わかってるよ」
松本くんは至ってクールに答えた。
「ですよね……」
松本大輔、侮れない男だ。真顔で冗談を返すとは。
「あれ、松本くん」
制服を着たままの松本くんの姿があった。
春だというのにすでに日焼けした顔。
肩には学校のかばんが掛けられているのだが、そのかばんははち切れそうなほど膨らんでいる。単に荷物の詰め方が悪いのかもしれない、とわたしは思う。
「参考書選んでんの?」
わたしの真ん前の棚に目をやりながら、松本くんは尋ねた。
特に愛想がいいわけでもなく、といって悪いわけでもない問い方だった。
同じクラスになったばかりの高校生同士の会話としては標準的と言っていいかもしれない。
四月って、女同士ならばべたべたとまとわりつく様な会話をするのだけれど、男子と女子ならばそんな風を装う必要はない。
わたしは頷き、
「数Ⅰと数Ⅱ、どっちを買おうかなって思って。一冊買うお金しか今持ってないからさ」
最後のは余計だったかなと思いながら、苦笑いした。
松本くんはうーん、と少し考えて、
「俺、星野が数学得意なのかどうか知らないけど、とりあえず今は授業についていくことを考えたらいいんじゃないか?
今数Ⅰの復習したって、授業でやったことをその都度復習できなかったらテスト前に焦るだろうし。
英語や国語と違って数学は分野別に攻略することができるから、数Ⅰができないことが数Ⅱの出来具合に響くことはあまりないと思うよ。俺なら数Ⅱの方を買う」
相変わらずの無表情で、アドバイスをくれた。
教師ですら教えてくれない数学という教科の特性までこうしてすぐに口から出て来る時点で、彼の学力が高いことは明らかだった。
今まで数学と英語や国語の教科間の攻略方法の違いなんて意識したこともなかったから、目から鱗だ。
確かに松本くんの言うとおり、英語や国語は中学からの積み重ね、あるいは前の単元(関係代名詞だとか、上二段活用動詞の活用だとか)の内容を理解しないことには前に進めない。
でも数学は例えば数Ⅰと数Aの間だとそれぞれの分野のつながりが英語や国語ほど強くないように思える。
だって関数と数列って全然関係ないものね。
関数ができなくっても数列の問題は解けたり、あるいはその逆っていうのは有り得る話だ――わたしはどっちも苦手だからお話にならないけど。
そんなばかなわたしでも、納得。
「なるほどね。ありがと」
言われるがままに、わたしはその参考書を棚から取り出した。
そんなことはさておき、わたしは世間話程度に松本くんにこう話しかけた。
「松本くんも参考書買いに来たの?」
「そう。新しい問題集を買いに」
「もしかして生物?」
わたしは、余計なことかもしれないと思いながらも訊いてみた。今日の五時間目の終わりに、松本くんが先生のもとに何かが印刷された紙を持っていっているところが見えたからだ。
途端、松本くんの顔つきが変わった。わたしが言い当てたことに驚いているようだった。
「そうだけど、何で分かったんだ?」
反射的に五時間目のことを言おうとして、わたしは一旦口を閉ざす。声のトーンを落として、背伸びし、松本くんの耳にほんの少し顔を近付ける。ちょっと汗臭いが、いたずらのためにはガマンガマン。
「ここだけの話なんだけど、わたし、人の心を読む力があるんだよね」
もちろん大嘘である。
冗談である。
言ったこちらが、言ったそばから吹き出しそうなのを必死に堪えるほどの、稚拙な嘘。
だというのに。
「え、マジ?」
マジレスかい。
松本くんは目を見開き、世にも信じられない話を聞いたとばかりに驚愕の声を上げた。
逆にこちらが何と答えたらいいか、わからなくなるじゃないか。
なんだか悪いことした気分になる。善良なクラスメートを陥れたかのようだ。罪悪感を感じてしまう。
「あ……いや、今の冗談だよ?」
慌てて冗談を撤回したわたしに、
「わかってるよ」
松本くんは至ってクールに答えた。
「ですよね……」
松本大輔、侮れない男だ。真顔で冗談を返すとは。