一葉恋慕
第四章 み山の奥
‘さびしさもまぎれなくこそなりにけれ更(ふ)けてさやけきこほろぎのこゑ’
 寝床に伏す一葉の耳に虫の音がつたわってくる。気持ちのせいだろうか風流などとは感じることはない。まるでいまの自分と家族のみじめなありさまを告げるかのような、いかにも心もとない、そして悲しげな鳴き方をすることよと思うばかりだった。横に並んで伏す母と妹はすでに寝息を立てている。夢の中で二人はいったいどんな世界に行っているのだろう。この意気地のない、頼り甲斐のないわたしという戸主のために、二人にかけねばならない苦労を思うと一葉は居たたまれなかった。母上よ、お許しください、妹よ、あいすまぬ、生活力のない姉を許しておくれ…と詫びながらも、なおかつ仕出かしてしまった今日の失態を一葉は枕辺で思い浮かべるのだった。お島を返したあと母たきは「なつよ、ここに座りなさい」と一葉を呼びつけた。正座して平あやまりする一葉に「なつ、いったいおまえは何を考えているんだえ。わたしたち三人の食い扶持さえ満足にならないのにその上…あの隣の娘はなんなの!?何があってこんなことを仕出かしたのか、それを云いなさい!」と決めつけた。さきほどの「お母さんは黙ってて」の威勢はあとかたもなく「はい。実は…」と一部始終を釈明してみせたあとは、ただうつむきながら母の叱責を堪え忍ぶばかりの一葉だった。ひととおり問責したあとで母たきは「まったく…なつよ、おまえの気性はよくわかっているけどいい加減にしておくれよ。お隣との付き合いというものもあるんだからね。剣呑になったらどうするの?まあ、わたしが取り繕ってはおくけれど…」とこんどは自らの剣幕を霧消させるような笑みを浮かべてみせる。それを確認したかのごとくに妹の邦子が「おっかさん、平気よ。お姉さんはお隣のお姉さんたちと懇意だから。なにかあってもみんな味方してくれるわよ」とようやく姉の側に立ってものを云う。母のカミナリが続いている間はずっと台所に立って無言で夕食の支度をしていたのだった。その発言のタイミングのよさに母と一葉が思わず顔を見合わせて微笑んだ…。
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