一葉恋慕
その邦子のいじらしさと要領のよさを思い出しては寝床でひとり微笑む一葉。しかしそれにしても…と一葉の不安と無常感はなおも続く。歌子先生からお金を借りることはできなかったし、文学界からの原稿料にしたってとてもわたしたち三人の生活を支えられるような額ではない。場所柄からしてもまた先生への手前からしても、本来ならとてもできる筋合いではないけれど、思い切ってここで歌塾を開いてみようか…とも思うが踏ん切りがつかない。良家のお嬢様方がいかがわしい、こんな新開地へなど来るものかと自嘲さえしてしまう。堂々巡りの末にまたしてもあの男…と一葉は思いを巡らす。あの日、誰の、なんの紹介もなく、前々の住まいだった菊坂旧居のすぐ近く、湯島三組町三十番地で顕信術会という看板を掲げていた男の家に押しかけては、いきなり1000円(いまの額で1千万円)もの借金を申し込んでみたのだった。かかる無謀、無知蒙昧のほどはよくよく心得ていたが新聞に載っていた彼の広告を見れば、その類の額が臆面もなく書き連ねてあったし、錬金術のごとくに金がたまるとも記されていた。龍泉寺町のお店はたたまなければならなかったし、仕入れた商品の処分や新しい転居先のための費用等々事情が切迫もしていた。威勢のいい広告の文面に頭の中を痴らけさせたかのごとく、また「ええい、イチかバチか、訪うのもよかろう」とみずからを叱咤した挙句の訪問だったが、しかし案の定というか、危惧した通りに足元を見透かされ、のみならずとんでもない提案をも受けることになってしまったのだった。始めて対面した久佐賀という男は至って得体の知れないところがあった。前に妹の邦子といっしょにやはり菊坂旧居近くで蓮門教(れんもんきょう)という看板を掲げていた二十二宮人丸なる人物、行者を訪(おとな)うたことがある。邦子は怪しがって「ここで待ってる」と云って中に入らなかったがその時はその邦子の直感が当たっていて、まことに取るに足らない、俗に云う「町の拝み屋」に尽きる人物だったのだ。神水だの法華経だの、果ては難解至極な言葉を羅列しては信者(=金の貢者?)を欲しがるだけのつまらない男だった。あらぬ欲望さえもが感じられもした。経験は生かして使えで、かすかにその時のことを慮っての邦子を連れぬただ一人での訪問でもあったのだ。
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