阿漕の浦奇談
璋子の「数奇者め」は奇しくもそれを見取っての言と思われるがそのことと、いま眼前に見る春子と花子、すなわちわが妻と娘の存在はさすがの義清をも花散らす一陣の風となって攻め苛むのだった。いったいどう義清は妻春子に言いわけをしたものだろうか。二人への扶持を確約したとは云え若妻にとってはむごすぎる義清の勝手ではあった。この当時貴族階級において突然夫が妻に‘裏の衣を見せる’つまり出家すると云い出すことがあったとも当時の和歌には綴られている。源氏物語の八宮のごとき男たちがいたということだろう。すれば妻春子にとっても受くべき悲運だったと云えなくもないが、それにしても古語で云う「いかが」と云うほかはない義清の仕儀ではあった。天竺のお釈迦様に於いても一見まったく同じような家族への無情のいたりだったのだが、しかしそのおかげで実に無数の、我々衆生が救われている。はたして彼義清、しこうして西行法師におかれては、いかなる衆生済度への心意気だったのだろうか。私ごとき凡夫において、これ以上おもんばかることは差し控えたい…。
「ととさま」文袋をのぞく義清のもとに幼い花子が駆け寄って来た。無邪気に袋に手をかけて引っ張るとはからずも袋が落ちて中宮のおぐしが地に落ちた。思わず娘を突き飛ばしおぐしをもとに戻す義清、花子が大声をあげて泣き出した。春子が義清をにらみつける。北面の武士一の手練れ(?)佐藤義清も、法師西行もあるものか。おそろしい、ただ妻の目がおそろしい。人倫にそむく行為を自分は為そうとしているのではないか、いや、この道こそ…と唇を真一文字にむすび直す。この世の栄華、あるいは桎梏に拘泥し縛られていては遂に六道のまま、と自らを諌め直す。悟りを開き、やがては妻と娘をも済度しよう、これこそが妻子への真の愛であると、おのれに言い聞かすしかなかった。しかしそうは云うもののやはりいま眼前で泣いている、このわが娘が愛しい、峻眼の妻に申しわけない…というのが正直なところである。大きくためいきをついて娘を抱きしめ、あやまりつづける義清だった…。
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