阿漕の浦奇談
第四章 六道の蛇

身体の五官と六道輪廻の生き方に蛇が憑きます…

‘六道の桎梏とはいかならむ。そはおのが身そのもののごとし。さればいかが、誰か身より離るる。さるほどに蛇ぞ憑く…’
 陰暦十一月、新嘗の五穀を具した舞台をいとやんごとなき人々が固唾を飲んで見守っている。はや舞楽の音は雅楽寮のものの師たちによって奏でられ、あとは舞姫たちの登場を待つばかりだ。しかしいかなる指図の不手際かいつまで待っても五人の舞姫はあらわれない。一座の目は自然上座の中宮へとそそがれた。舞姫の手配は中宮の裁量だったからである。何事かとばかり中宮はお付きの女房たちに目を走らせるが皆あらぬ方へと目をそむけてしまう。上臈の女房堀河でさえそうだった。考えられぬ珍事の出来に、何を処すべくもなく、ただうろたえるばかりの三界一の美后、中宮璋子。過去いずれの新嘗祭に於いてかかる失態があっただろうか。しかしとは云え、起きてしまったこの不始末は本来自分にではなく、実際には舞姫献上者たちや女房どもにその責を負わすべきを、今はなぜか我が身ひとつの咎としか思えない璋子だった。いつかどこかで同じような咎を犯し、尋常ならざる焦りと恐怖を覚えたことがあるのだが、それが何だったかはなかなか思い出せない。一座のなかに一人ぽつねんと放り置かれたような、まるで悪夢のただなかにいるような塩梅ではあった。心の中で自分を糾弾する声がする。「不貞の君」「さかり女(め)」「色々しきは、はて…」などとその声が高まり来、やがて堪えがたいほどに笑い声がひびきわたった。思わず耳をふさぎ絶叫しそうになった時、はたしてそれを救うかのように居並ぶ公卿・上達部らから声がかかる。「はて五節の舞姫が出ないのならば、他に誰か適当な舞い手がいるだろうか」「おるとも、おるとも。美をきわめたお方が。あそこに座します宮様をおいて他にいるものか」と、あろうことかこの中宮に、この璋子自身に舞台にあがって舞えと云うのだった。不敬のきわみというか、よもやの展開に、ついにまなじりを決すかと思われた璋子だったが、しかしそんな様子はまったく見られない。どころか、直前までの懊悩もどこへやら口もとに笑みさえ浮かべて今にも立ちそうな気配を見せる。それを察してか「いざ宮様、舞台にお上がりください」「いざ、いざ」と一同で声を合わせるにいたる。

                【五節の舞い】
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