阿漕の浦奇談
思う存分見よという、はたしてそれは俗世からの餞別ででもあったろうか、義清の視線に身を任せつつ何事かを紙に書きつけた。「ああ、なんという花の散り方でしょうね…美しいことよ」ややあって顔を上げた璋子が、花吹雪を見ていまさらのように絶句する。あたかも自らが出家するかのごとく散る花に何かを見ているようだ。檜扇を口元に翳しもせず「義清、人の真のあり方はどうあるべきでしょうね。女人としての桎梏や、中宮という立場を離れて…ああ、まろも男なら、許される身ならば出家して、漂泊などしてみたいことよ。義清、そなたがうらやましい。ふふふ」と述懐する璋子に「お戯れを。帝(みかど:崇徳天皇のこと)始め皇子(みこ)、皇女(ひめみこ)様方の御生母であらせられます宮様こそ、万人からうらやましがられるお方。まろの捨身などに何か見るべきものがありましょうか」と義清は応ずる他なかった、蓋しいまの言葉が中宮の本音と思いつつもである。しかしその言葉に現(うつ)しに返ったかのようにひとつ大きくため息をついては「そよ、皇子らのことじゃ。まろは政(まつりごと)は云えぬが、崇徳始めまろの子らは決して良き目を見ぬであろう。嬰児のまま逝った通仁、君仁始めまろは皇子らが悲しゅうてならぬ。相済まぬ。義清、そなたは和歌のみか仏道にも秀でたるゆえ、どうか皇子らを見捨てずに、後の彼岸へと導いておくれ」と今度はひたすら母の立場に立って義清に、いや後の西行法師に璋子は頼み込むのだった。どことなく自らの遠からぬ雲隠れ(死)を予期したような璋子の物言いに気押されつつも「これはしたり。お付きの僧正様始め、高僧の方々こそ、その御用に応えるべき方々。いまだ沙門にさえなっていない私に、そのような大事を仰せつけられるのですか。私にはとても叶わないことでございます」と応ずる他ない義清だったが、蓋しもっともな奏上ではある。しかし璋子はそれを聞くや一瞬でもカッとなって、言下に長広舌をふるうのだった。
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