クワンティエンの夢(阿漕の浦奇談の続き)
第一章 蛇

蛇とは人の原罪、業の象徴である

 闇に動くものあり。
 地を這い音もなく、滑り行き滑り来る。
 その云う様(よう)。な忘れそわれ神々しきもの。
 地を這うごとく汝が身に触るに、
 その触ればう悦び、汝が身の覚ゆればなり。
 我こそは蛇身(かみ)にして神なりき。
 いにしえゆ地に君臨せしもの。
 外(と)つ国に優りて我をあがめしは
 日の本のそなたらにて違わず。
 いま奇しき光を見、新しき世に向かうとて、
 我を疎遠にするとは何事ぞ。
 我を経し来ざればそれ得べからざりしものを。
 毛離(けが・穢)れて、身削ぎ(禊)をするなら、
 我をも具しなむや、子ら。

 本源のやすらぎに帰るような日々の睡眠に、人は夜ごと落ちるのだけれど、そして目覚めては身心を回復し、東雲(しののめ)を迎えるのだけれど、その直前、何かの隙をついて心に入り来るものがある。目覚める直前の肉体に、分けてもその五官、触覚に、離れていた幽体が戻る時、いにしえからのものはそこに生じる隙を見逃さない。地面ならぬ人の身体にそれは這い来たり、触覚の喜びをともなって、すなわち我らが身にまとわりつく…。
 
 両の手が身体を這いまわる、この身を確かめるかのように。そこかしこを這いずりまわる。なんという美しい娘…この私。なんという美の造型…この私の身体。乳房をもたげ、横腹をさすり、内股を、腰を撫で、究極の官能の場所へとたどりつく。すると手がいつしか他者に変わり、娘に代ってそこを愛撫し始める。ハッとばかり娘は目覚め、必死になってその何者かを退けようとするが、しかし人の頭とも思うそのあやかしは、まさしくそこにこそ執着し、触覚の極限の悦びを娘に与え続けて止まない。逆らえぬ、力強い両の手が生えて来て娘の両脚をひろげ、そしてその何者かはついに己の本性本体を現しつつ、中へと…。
 こんどこそ本当に目が覚めた。レースのカーテンから差し込む朝のひかりをまぶしげに見つめる。やるせなげにため息をついてまだ火照りが残る身体をなでまわすが、しかし次の瞬間いまいましげに舌打ちして自分の両の手を交互に払いのけた。常々なさけないこと、いまいましいこととみずからに禁じていた自慰のしぐさが、ここに来てなぜか夢中とは云え止められなくなってきた。まるで何かの予兆のように、拒んでも拒んでも毎夜この身体に来たっては全身をもてあそぶ。これと同じことがちょうど今から三年前にも起こったのだが、今の世の少なからぬ女性たちが為すという、処女マリアへのみずからの贖いをすることで、また(ある)道に精進することでようやくその悪癖を払い退けたばかりだった。しかるにまた…ということで少なからず娘の心は苛まれざるを得ない。特に今日という日は彼女にとっては神聖で、今日これからある聖所詣でに出発するのだったが、この様ではそこにおわします聖人に言いわけができず、また集う仲間たちにも面目が立たなかった。せめて身体だけでも清めて行こうと思い立ち、寝具をはらいのけて、朝シャンならぬ朝シャワーを使うべく娘は風呂場へと向かう。ここのところ春らしからぬ寒さが続いていて、彼の聖人と聖所になくてはならない桜の開花が娘の住む東京では遅れていた。聖地がある関西地方はどうなのだろう?風呂場の小窓を開けて外を見たが春どころか冬のくもり空が広がっていた。雪さえも降って来そうだ。先が思いやられたがそれを振り払うかのように、娘は寝間着も下着も勢いよく脱ぎ捨てて全裸となり、禊をするようにシャワーを使い始めた…。
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