クワンティエンの夢(阿漕の浦奇談の続き)
恵美が「頼もしいっす。ケンカの時には必ず恩返しますからよろしくお願いします」と云えば「まー、おっかない。恵美さん、あんた男なの?それにお三人とも爺、爺って。爺なら…あら、私も云っちゃった。そんなお爺さんなら応援なんか頼まなきゃいいんじゃないの?」慶子が揶揄を入れると「あたしはさあ、歌の感性じゃ負けないけど、古語とかなると今一…」などと恵美が言い訳している間に先行組から九人中一番の郁子の黄色い声が伝わって来た。頭のてっぺんから出るような声でよく通る。「わあ、着いた!これが西行庵、感激いーっ!」。負けじと亜希子も「着いたわよー!みんな来てー!梅子、止まってないで早く来て!」と大声を出す。しかしうるさそうに「先に‘参拝’すればいいじゃんかよ」と愚図る梅子だったが亜希子は辛抱強く待つ様子。「うふふ、梅子さん、見学、でしたよね」と皮肉ぽっく確かめる匡子にひとこと「うるさい、見てなさいよ…」と返して渋々と、しかし何か秘策ありげに、取り巻き二人を従えて亜希子の待つ庵へと近づいて行った。
「うわー、何これ。お粗末うー!」「ほとんどバラック」恵美と加代が実感を吐露し、梅子がしてやったりとばかり「へー、これが聖殿ねえ。たいしたもんだわ。(中の西行像に)こんちは、西行さん。それで亜希子、ここで私たちに何させるつもり?」とすっかり自信を取り戻した感じで訊く。他の部員は知らず、恵美と加代は行動的な体育会的娘二人で、事前にパソコンなどを使って西行庵を調べることなどしないだろうと読んでいた梅子は、ひそかに今の二人のこの反応を期待していたのだった。読みがピタリと当たって会心のうすら笑いを顔に浮かべている。おっつけ他の部員たちにしたって恵美と加代と大同小異だろう。ここを参拝などと思いもすまい。さあ、亜希子どうする?…梅子は普段からの怨念を込めて亜希子の反応を見守った。しかし…思いもしなかった無神経娘が余計な口出しをする。
「さあ、部長、みんなで拝みましょう、始めに云ってた通り。みんなに号令をかけてください」と郁子がぬかしたのだった。「こ、この…」と云う間もなく亜希子が全員にライン・アップ!を掛ける。そもそも梅子の思惑も、郁子の依頼発言さえも始めっから気にもしていないようだ。
「なに云ってんの?梅子。郁子の云う通り始めから決めてたことでしょ?さっさとお堂の前に並んで。さあ、みんなもこっちに来て。並んで!」「あんたが一人で決めたこと…うっ」聞く耳もあらばこそ亜希子が大声で先導する。「私たちの部歌よ。いい?唱和して。‘願わくはー…」と初句を唱えると「‘花の下にて春死なむその望月の如月のころ’」と全員で唱和し、最後に柏手をそろって(?)二つ打ったのだった…。
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