流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語
「また助けてもらいましたね」

 エミリアがつぶやくと、エリッヒが微笑みを向けた。

「お互いに命があるのが奇跡だな」

「泥だらけですね」

「あんた、痛むところはないか」

「顔が腫れているのでしょうか」

 エリッヒが視線をそらす。

「すまん、おれのせいだ。あんたが殴られているのを助けられなかった。俺の読み違いだ」

「いえ、自分で自分を守れなかっただけです」

 エリッヒがそばにきてエミリアの顔を両手で包んだ。

「美しいものが傷つけられるのを見るのはつらいものだ」

 手が唇に触れて痛む。

 エミリアの表情を見てエリッヒが手を引っ込めた。

「痣だらけだ。治るといいが」

「死ななかっただけましですわ」

 エリッヒが思い出したように、胸にさげた小袋からサファイアの指輪を取り出した。

「奪い返しておいたぞ」

 女の手を取って細い指にはめようとする男の無骨な手をエミリアは止めた。

「どうした?」

「それはあなたが持っていてください」

「なぜだ? 大事な形見なんだろう」

「お礼です。いつも一緒にいてくださるので」

 エリッヒの耳が赤くなる。

「任務だからだと言っただろう」

「ですから、あなたが無事でいるように願いを込めるのです」

「俺にはもう幸運の金貨がある」

 胸の小袋を左手でおさえるエリッヒにエミリアは言った。

「私にとって大事なものだからです。だからあなたに持っていてほしいのです」

 当惑しているエリッヒに向かって、エミリアは自分の頬を両手でつまんで変顔をした。

「つぶれたパンみたいでしょう」

 エリッヒは笑いながらも心配そうに顔をのぞき込んだ。

「痛むだろう。無理をするな。今はやめておけ」

 お互いに笑い合う。

 エリッヒが指輪を取り戻してくれたことをエミリアは素直に感謝していた。

 大事なものを気に留めていてくれたことがうれしかった。

 ただ、そのために無茶なことをしてほしくはなかった。

 今の自分にとっては、エリッヒこそが指輪よりも大事なのだ。

 ただ、それを言葉にすることはできなかった。

 ためらい、不安、そして、エミリアにとっては不慣れなことであった。

 その言葉を口にしたとたんにすべてが消えてしまうかもしれないという不安。

 今の自分は命を失うこと以上にその事をおそれてしまうのだった。

 説明できないもどかしさを今の自分にはどうすることもできなかった。

 エリッヒが胸の袋に指輪をしまった。

 二人の間に沈黙が流れる。

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