月の記憶、風と大地
弥生とて美女だ。
本人はそうは思っていないようだが、年齢を考えると美しい女だ。

性格は内向的で何でも閉じ込めてしまう節があるため、そこだけが気がかりだった。


「とにかくだ。おれは会社に知られたくない。君も職を失ったら困るだろう。荒立てないでほしい」

「わかりました」


美羽は唇を噛み締める。


体の関係も持った。
気持ちも伝えている。


それなのに和人の心は美羽には向かない。


年下の自分は本気にされていない。
自分も十分に大人の年齢に達したと思うのだが、それでも気持ちがわからない。


ただ悪い事をしているということは分かっているのだ。


仮に弥生の立場と自分の立場を置き換えてみると、胸が引き裂かれるような痛みを感じる。


しかし和人への想いを美羽は止められない。


六年前、新入社員の自分に優しく接してくれた和人。

部署交流の飲み会の席でたまたま隣になったのだが会話をして会社で見かけるたびに、ますます惹かれた。

既婚者であることはわかっていたためそれを押し殺していたが、酒の勢いを借りたとはいえ体を重ねた時は嬉しかった。

それ以上は何も云わず美羽は和人の云いなりだった。


美羽は駅まで送るという和人を制止し、マンションを後にする。


歩道に並んでいる桜の花は散り始めていた。
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