月の記憶、風と大地

(選手としても使えない、家の事もできない。
せめて男を悦ばすこと位はしろよ。その胸は、その為にあるんだろう?)


「……静さん?」


後台の声が脳内の声と男の影をかき消した。
静は一息つくと、後台を見上げる。


「後台さん、あたしに何か隠していることはありますか?」


後台は僅かにうろたえ、口を開く。


「おれは昔、アルコール依存症でした。今のところ克服しています。あと実家が資産家です」


静にしてみれば咄嗟に出た適当な質問であったのだが、意外と重い返答に少々、面食らった。
弥生の歓迎会で家柄について訊かれた事を思い出す。

後台をしばらくの間見つめ、吹き出した。



「あれは、そういう意味ですか……本当ですか?」
「はい。本当です。つい先日、津田さんにもバレました」


(おまえは自己肯定が低すぎる。
だから男に依存するんだ。
おまえのカラダは、いつでも誘ってるみたいだ……)


「そうですか」



静は玄関に向かうとスニーカーを履いた。


「じゃあアルコール無しの、何か食べに行きましょうか。近所でオススメありますか」


断られると諦めていた後台は、慌てて近所の飲食店の記憶を総動員する。


「お好み焼きとか、どうですか。焼きますよ」
「いいですね。それにしましょう」


静は頷く。
身長差のある二人が並んで歩道を歩いている。



「高級フレンチの方が良かったですか?」
「あたしが払えませんよ」



静は後台を見上げる。


「資産家というのは、ご両親でしょ?あたしには関係ありませんよ」


静はため息をつく。


「後台さんも、あたしも同じ職場の人間なんですから、気づかいは結構」


後台は静に視線を落とす。


「あたしの秘密は、教えませんよ」
「……わかりました。教えて頂ける仲になれるように、尚一層、頑張ります」


クールな年下同期の女性に、どこか影を見た気がして後台は嬉しくなった。


教えない、という事は隠し事は持っているということだ。


季節は夏に移ろうとしている、夕刻である。

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