異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~

「お、驚かせないでちょうだい」

「すまない、俺に話しかけているのかと思ったんだ」

 私のひとり言が原因だったというのに、彼は申し訳なさそうに笑う。

「あ……ごめんなさい。私が悪かったわね」

 フライパンの目玉焼きを気にしつつ、私はシェイドに歩み寄ると外れているシャツのボタンをとめてあげた。それから先ほど井戸で汲んできた水で手を濡らして、彼の跳ねている髪を整える。

「はい、これでいいわよ。もう少しで朝食ができるから、あなたはソファーにでも座ってて?」

 記憶をなくしてからの彼は失ったものに思いを馳せるように遠い目をする機会が多くなった。命を狙われる王子としては致命的な隙があり、どこかぼんやりとしている。

 危なっかしくてつい過保護に世話をしてしまうのだが、そろそろリハビリがてらに外へ出てもいいのかもしれない。

 パンにハムやレタスを挟んでサンドイッチを作りながらそんなことを考えていると、ふいにシェイドが隣に立った。

「ずっと不思議だったんだが、俺とあなたはどういう関係だったんだ?」

「……え?」

 心臓が跳ねて、私は思わず作ったばかりのサンドイッチを落としそうになった。

 彼自身が王子であることは月光十字軍が迎えに来たときに知らないと混乱すると思ったので伝えてある。

 ただ、私が婚約者だということはこの先も記憶が戻る保証のない彼にとって負担になると思い、伏せて接していた。

「……な、仲間よ」

 熟考した結果、限りなく正解に近い答えを口にしたのだが、シェイドは「そうか」と相づちを打ちつつ、しっくりきていない様子で難しい顔をしていた。




 朝食を一緒にとったあと、私はシェイドと一緒に施療院を手伝わせてもらうために外へ出た。

 本当は私ひとりで行くはずだったのだが、シェイドが自分も村の人に恩返しがしたいと言い出したので連れてきたのだ。

 施療院までの道を歩いていると、畑を耕していたおじいさんが私たちの存在に気づいて振り上げた鍬を下ろす。

「兄ちゃん、もう外を歩けるようになったのかー? これで嬢ちゃんもひと安心だなあ」

 気さくに話しかけてくれたこのおじいさんは、うちに野菜をお裾分けしてくれている。シェイドの看病をしている間も「根を詰めすぎてないか?」「身体を壊さないようにな」などと温かい声をかけてもらった。

「はい、いつも新鮮な野菜を届けてくださってありがとうございます」

「お嬢さんがおいしいおいしい言ってくれるから、つい畑仕事もはりきってしま――」

 そこまで言いかけて、おじいさんがふらつく。その身体をシェイドがとっさに支えると、地面に横たえた。

「おじいさん!」

 私は慌てておじいさんの前胸部の皮膚をつまみ、戻る時間を確認する。これはツルゴールといって脱水の評価に使われる指標だ。

 若者であれば手の甲で行うが、老人の場合はもとから手のしわがあるために正確な判断ができない。それゆえにいちばん皮膚の張りがある前胸部で行う。

 二秒以内が正常だが、おじいさんの場合は三、四秒を要した。肌には熱感があり、大量の汗をかいている。意識はかろうじてあるようだが、鮮明ではないところを見ると熱中症だとわかる。
 
「長い時間、直射日光を浴びていたから、熱中症になったのね。すぐに日陰か、建物の中に移動させましょう」

「俺が運ぼう」

 シェイドは軽々とおじいさんを背負って、家に運ぶ。シェイドがおじいさんをベッドに寝かせている間、私は一リットルの水に塩小さじ二分の一、砂糖大さじ一杯半を溶かしてコップに入れ、最後にレモン汁を加えた。

「おじいさん、これを三十分かけてゆっくり飲んでください。一気飲みをすると血液の塩分濃度が薄まって、尿が多く出て余計に脱水になってしまうから気をつけてね」

「お嬢さん、すまんねえ。ありがとう」

 私の手からコップを受け取ったおじいさんは言われた通りに水分補給をする。それを見届けてから、驚かせないように「ひやっとしますよ」と声をかけて濡らしたタオルをおじいさんの首にあてた。

 自力で水分摂取ができているので、あとは安静にして身体を冷やせば熱を下げられる。私は先ほど棚の上で見つけた檳榔のうちわでおじいさんの首元を仰ぐと、その様子を観察していたシェイドが感嘆の吐息をもらした。
 
「若菜、手際がよすぎないか」

「あ……私、言っていなかった? 看護師なのよ」

 婚約者であることを悟られてはいけないと意識しすぎたせいか、自分の素性を話すのを自然と避けていたらしい。
 シェイドとおじいさんは私が看護師であると知って、なるほどと胸の内で手を打っているのが目に見えるようにわかった。

「それにしても、困ったなあ。畑はわししか耕す人間がおらんから、休んでる暇なんかないんじゃ」

 困りきった笑みを浮かべたおじいさんに、シェイドが迷わず立候補する。

「それなら俺が代行しよう」

「もちろん、私も手伝うわ」

 畑仕事の経験はないけれど、人手は多いに越したことはない。お世話になった人たちに恩返しができないかと考えていたので、ちょうどいい。
 意気込んで腕まくりをしたのだが、「若菜はダメだ」とシェイド止められてしまった。

「若菜はおじいさんに付き添っていてくれ、女性に重労働はさせられない」

「でも、シェイドは病み上がりでしょう? そばで見ていないと不安なのよ」

「それでも、あなたに倒れられたらと思うとなぜか物凄く不安になるんだ。ここは俺の心の平穏のためにも引いてくれ」

 有無を言わせない笑顔を向けられた私は彼が記憶喪失ということもあって無理に押し切ることができず、渋々頷いたのだった。




 こうして月光十字軍が迎えにくるまでの間、おじいさんの畑を手伝いながら過ごした。

 おじいさんは野菜の他にブドウ園を所有しており、今までひとりで世話していたなんて信じられないほど広く、さすがに収穫は私も参加させてもらった。
 
「この村は年配の者が多いな。このブドウ園も畑も今はおじいさんがひとりで世話できているが、あと数年もすれば身体がもたないだろう」

 収穫したブドウが入った木箱を抱えながら、シェイドは深刻そうに呟いた。その隣にいた私も同意見だった。現におじいさんは疲労困憊で、椅子に座って休んでいる。恐らく私たちがこの村に来る前も老体に鞭打って、こうして休み休み仕事をしていたのだろう。
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