初恋の花が咲くころ
この気持ちは何ですか?

「あー疲れた…」
やっと第4週目の金曜日、毎月恒例の焼肉・パジャマパーティーが行われた。
咲は、あやめと乾杯し、ビール缶を一口飲んだあと、そばにあったお気に入りの大根モチーフのクッションに倒れこんだ。
「お疲れ様」
あやめは優しく咲に声をかけたと思ったら、ビール缶を一気飲みし、二本目に手をかけた。
そしてまたそれをぐいっと飲んでから、今回も負けじと大量買いした肉を取り出して焼き始めた。
「そういや、最近あやめはオフィスにいないけど」
咲は体を起こし、野菜も食べなさいと、洗った野菜を肉の場所の隙間に落としていく。
「私は、基本的に取材担当なの。アポとれた人のところに行って、話を聞いて、それを文字起こしするのが、私の仕事かな。最近は、今まで断られてた相手にも取材OKって言ってくれる人が増えて来て、それで最近は外にいることが多くてね。だから、文字起こしは、別の人に頼んでるんだ」
「私でよければ、手伝うからね」
咲はあやめをじっと見つめる。だから最近は、いったん外に出ると中々帰ってこないのか。
「まだまだ雑用しか出来ないし、文字起こしはきっと時間がかかるけど。でも、手伝うことは出来るから、いつでも言ってね」
咲の真剣な顔を見て、あやめはがばっと抱き付いた。
「もう、可愛いんだから~」
「ちょっ…危ない」

散らばった空っぽのビール缶を片付けながら、あやめは言った。
「もう慣れた?職場は」
「そうだね。前よりはずっと働きやすいよー。先輩方も向田さんも優しいし」
お肉や野菜を裏返しながら咲は答える。
「うん、なんかみんな、雰囲気変わったよね」
今まで、自分のことは自分でやれというやり方が主流だったのに先輩方はやっと咲を仲間として受け入れてくれ始めていたのを、あやめも感じ取っていた。
「変わったと言えば、オッサンもね…」
ドキッとした。編集長の話題だ。
「オッサンって…まだ26歳でしょ。もう、あやめがオッサンって言うからどんだけ年上かと思ったよ~」
「でも私たちより年上じゃん」
「そうなんだけどさ…」
2個しか違わないのに、オッサン呼ばわりされている編集長をちょっと気の毒に感じる。
「なんか、違うよね、前と」
考え込む仕草で、あやめが言った。
「見た目が柔らかくなったというか、威圧的じゃなくなったというか」
そして焼きあがったお肉を直接、口に運ぶ。
「スーツが変わったせいかな」
咲は、心の中でガッツポーズをした。厳密には、スーツではなく中のワイシャツとネクタイの色を変えたのだが、人に全くと言っていいほど興味がないあやめが、オッサンとまで呼んでいる編集長の服装に気がつくとは、とってもいい兆候だ。
「あやめは、どうなの?ああいう男性は?」
自分らしくはないと思いながらも、編集長のために恋バナまで持ち出してしまう。しかし、咲らしくないと感じたのはあやめもだった。キレイな整った顔が若干崩れる。
「どうしたの?急に」
「いや、あやめが男性を褒めたの、初めてだな~って思って」
気持ちを悟られないよう、慌てて黒こげの玉ねぎを口に運ぶ。
「熱っ」
「気を付けて」
水を咲に渡しながらあやめは言った。
「あまり考えたことないけど、今のオッサンは悪くないんじゃない?」
咲は今すぐ、編集長に勝ち誇ったように報告してたまらなかった。あやめがトイレに立った瞬間にラインで〈服装、好印象でしたよ〉と連絡すると即〈やった!〉と猫のラインスタンプ付で返って来た。
焼肉パーティーは日付が変わるまで続き、1:30を過ぎた頃にやっとあやめが「お腹いっぱい」と白旗をあげてくれた。自他共に認めるほど大食いのあやめが満腹になるのを待つのは、世界でも咲だけだろう。咲は焼肉パーティー開始一時間ほどで満腹になっていたが、あやめの胃袋は、底なし沼のようにどんどんお肉を吸収していった。
「本当羨ましいわ…」
お腹が満たされて満足そうに床に寝転がっているあやめのすらりとした長い脚を見つめながら、世の中はどんだけ不公平なのかと思わずにはいられなかった。
「そういや、咲はうちに入ってどれくらいだっけ?」
2人で、咲のシングルベッドに寝転がりながらあやめが聞いた。
「ん~と、3週間かな」
「そっか。じゃあまだ未経験ね」
「なにが?」
狭苦しいベッドの上で、あやめの方を向く。
「校了シーズン」
「なにそれ?」
「校了っていうのは、今までの作業の最終確認みたいなもの。細かいところをチェックして、印刷会社に回す。で、印刷会社から戻って来た訂正が満足いくものであれば、私たちの仕事は終わり。あとは印刷して販売と行きつくわけ」
天井を見ながらあやめはふうとため息を吐いた。
「この校了のシーズンになると毎回あまりの忙しさに辞めたくなるんだ…」
「そうなんだ」
「覚悟しときなさいね」
あやめは咲の方を向いて、切れ長の瞳をいたずらっ子のように細めて笑った。
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