初恋の花が咲くころ
私は特別?
咲に、桐生をもっと知りたいとあやめが正直に告白して来てから、毎月恒例の焼肉パジャマパーティーをキャンセルしてしまうことが多くなった。あやめの口からでる桐生の話題に、笑顔で聞く自信がなかった。それと同時に、なぜか棗の面倒を見ることが多くなってきた。職場で、自分の親友と好きな人が仲良くしているというだけでも、心臓を掴まれる程痛いのに、疲れて帰ると、やりたい放題で部屋を汚していく棗の残骸が残っている。
「私の運はいつ回ってくるんだろう…」
また校了のシーズンが近づいているせいか、オフィスはだんだんと忙しくなってきている。そして仕事が増えるにつれて、編集長と話すチャンスも減って来た。秘書なんて肩書きだけだと、身をもって思い知らされる。
しかし、そんな時にやっと咲の元にいいニュースが飛び込んできた。内線がなり、デザイン部から呼び出されているから行ってほしいと、向田さんから伝言を受けたのだ。一つ上の階にあるオシャレな内装のデザイン部へと足を運ぶ。
編集部とは違い、手動で開ける透明のドアの先には、着飾った美しい女性社員が数人、整頓された自分のデスクで仕事をしていた。
近くにいた人に声をかける。
「すみません、編集部の成瀬です」
「あ、成瀬さん!待ってたわ!」
奥からやって来たのは、黒のワンピースに白い線が横に入った何ともスタイリッシュなワンピースを着た、女性だった。髪は耳の上まで短く切っており、茶色の髪の毛に赤いメッシュを入れていた。
「レイさん、お疲れさまです!」
お目当ての人を見つけて、咲は軽くお辞儀をした。
橋本麗、通称レイさんには、すでに面識があった。編集長の秘書として歩き回っていた時期に、仕事の話合いで何度かデザイン部を訪問したことがあり、その時に自己紹介を終わらせていた。
デザイン部の部長としての歴が長いレイさんのオフィスは、階段を上った先にあった。
「単刀直入に言うわ」
ソファーに腰かけた途端、レイさんは口を開いた。
「この時期、どの部署も忙しいのは知っているんだけど、つい最近デザイン部の一人が手にケガをしてしまって、作業が遅れているの。桐生くんから聞いたけど、あなた美大出ているのよね?」
「はい…」
もしかすると、もしかするかもしれない。咲は鼓動が早くなってくるのを感じた。
「そしてグラフィックデザインの経験もあると聞いたわ」
「学生の時に、アルバイトで、ですが…」
「それでも構わない。少しでも戦力になるのであれば、私たちに協力してほしいの」
すぐにでも首を縦に振りたかったが、そこをぐっと堪えて「一度、編集部に確認してもいいですか?」と聞いた。前回のことを考えると、私はそこまで必要ないかもしれないと思ったが、ひとまず内線を借りて編集長に電話する。編集長は少し考えたあと、「こっちは大丈夫だ。いいチャンスだ、頑張れ」と背中を押してくれた。
「役に立つかどうか分かりませんが、よろしくお願いします!」
内線を切ったあと、レイさんに咲は深く頭を下げた。

そこからまたもや目の回るような日々を過ごすことになった。
今までと違うのは、編集部ではなくデザイン部に出勤し、そこから退社することだった。あやめに会う回数も減ったが、やっと取れたお昼休憩時には、編集長と二人でいるところを何度か見かけた。めっきり話す回数が減った編集長に挨拶だけでもしたかったが、その度になぜか棗も休憩時間になっていることが多く、ランチを奢らされる日々が続いた。
そして、デザイン部の女性社員全員の体重が5キロ程減ったのではないだろうか、と疑わずにはいられなくなったところで、この多忙な期間が終幕した。
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