もうひとりの極上御曹司


千春の呟きを耳にし、愼哉は演奏を続けながら視線を向ける。

そしてソファの上で膝を抱え小さくなっている千春に愛し気な笑みを浮かべた。

愼哉が奏でている曲はメンデルスゾーンの曲だ。

千春の名前に似ているその曲は、テレビや街中でよく耳にする有名な曲。

駿平とともに初めて木島家に招かれた八歳のとき、愼哉が緊張している千春の気持ちを和らげるために「千春の曲だぞ」と言って弾いた思い出の曲だ。

音楽の素養が皆無の千春には、滑らかな指使いで綺麗な音を奏でる愼哉が別世界の王子様のように見え、目をキラキラさせた。

学生時代、本格的にピアノに取り組んでいた愼哉の腕前はかなりのもので、木島グループの後継者という立場でなければピアニストを目指していただろうと緑から聞いている。

今では趣味としてピアノを弾く程度で、千春が来たときにも決まって何曲か弾いている。

普段から落ち着いていて優しい表情を千春に向ける愼哉だが、ピアノを弾いているときはいっそう穏やかで楽し気に見える。

本当はピアニストになりたかったのだろうと、千春はいつも思う。

それが許されない立場を受け入れ、真摯に仕事に向き合う姿を垣間見るたび、愼哉への思いは強くなる。

そう、初めてこの曲を弾く姿を見たときからずっと、千春は愼哉を思い続けているのだ。

けれどその思いは実らないと納得しているし、口にするつもりもない。

千春はマスコミが騒いでいる愼哉の結婚の記事を思い出した。

今年二十七歳の愼哉に恋人や結婚の話が出ても決しておかしくない。

今日の記事が本当なら、愼哉と付き合いが長い女性のようだ。

千春はこれまでそんな女性の存在に気づかなかったが、愛情深い愼哉のことだ、相手を大切に思い誰にも知られないようにひっそりと愛を育んでいたのだろう。

駿平の事務所に愼哉が姿を見せてからずっと、千春はそのことが気になり何度も尋ねようとしたが、愼哉が自分以外の女性のものであると認めるのが嫌で聞けなかった。

夕食の席にも悠生がいて、聞ける雰囲気でもなかった。



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