砂時計が止まる日
「続けたいでしょう?
類の生活は野球を中心に回っている。
その中心をなくしたら類の生活はどうなる?
崩れていくでしょう?
それを勉強に変えるのも難しいじゃない。
私の時も変えられなかった。
変わらずに勉強した。
それでいいじゃないの。」
私はまた類に問いかける。
「それに類は我慢する必要なんかない。
類は好きなことをつづければいいの。」
「でもお金は今だって大変なんだろう?
姉ちゃんの財布が月末になるとからっぽなの、俺知ってる。」
類の言うことは正しい。
毎月食費はかつかつ。
でも通帳にはある程度の金額はある。
「確かにうちは裕福じゃないし、私が特待生になってどうにか成り立ってる。
一般の家に比べたら窮屈だけどその分自由に生きてほしい。
小さな枠の中でその枠を精一杯使ってほしい。
類や心菜には囚われるものなんてないんだから。
二人を抑え込むものはないの。
だからこの小さい枠で足りなくなれば枠なんか壊して外に出ればいい。
それはいつかは来る、それが類にとっては今だよ。
類が我慢する必要はないよ。
足りない足場は私が作る。」
私たちは枠の中に生まれる。
その大きさはその家庭によってまちまち。
成長していつかたりなくなった枠から出ていってまた違うところに新しい枠を作る。
枠の外には足場も何もない。
それを“創る”人が必要。
おおよそは親が担う。
片親は2人で行うことを1人でやらなきゃいけない、だから苦労するんだ。