ビタースウィートメモリー
結果ケアレスミスを直す努力をせず、一時期残業が三日間続いたことがあり、我慢の限界が来た大地は定時前に大声で明石に怒鳴り、やる気がないなら会社を辞めろと凄んだのだ。
激昂する大地に逆ギレした明石がパワハラだと人事部に訴え、今年の経理部は波乱の幕開けであった。
異動してからわずか二週間で明石は会社を辞めたが、8人でもどうにか経理部はまわっている。
「萩野がミスする時って、だいたい記入ミスって気づいてた?ぞろ目がずれていたり、桁が違っていたり、あとは領収書の見落としもあり得る。あ、見つけた」
やっと見つけた数字のズレは、たった今言ったどのパターンにも当てはまらず、単純な書き間違いであった。
「こういうパターンもあるって自分で把握しとけよ。ここの数字を直せば、ほら合計が合った」
左手で帳簿の数字をなぞりながら、右手で電卓を叩き、正しい数字を見せる。
おお、と感嘆する萩野に得意気に笑いかけ、大地は帳簿と電卓を返した。
「次は気をつけろよ」
「はい!ありがとうございました」
がばり、と頭を下げた萩野の髪から、シャンプーの香りがした。
その香りが悠莉と同じものであることに気づき、カッと胃の辺りが熱くなる。
それを誤魔化すように、大地は萩野から目をそらし、二人分のタイムカードを押した。
定時から一時間が過ぎていた。
一緒にエレベーターを待っていると、そわそわした様子の萩野が、ためらいがちに大地に話しかける。
「あの、小野寺さんって」
「何?」
萩野はいつも7cmヒールを履いているが、それでも大地よりも頭二つ分は背が低い。
上目遣いで大地を見つめる萩野は、頬から耳にかけて、ほんのり桜色に染まっていた。
「あ、えと、好きなタイプの女性ってどんなのですか?」
それは取って付けたような言い回しだった。
本当は好きな女性がいるかどうかを聞きたかったのだろう。
勇気が出なかったのか、タイプというワードを捩じ込んだ萩野のいじらしさを可愛くは思うが、それだけだ。
「タイプね……背が高い人かな」
目を見開く萩野に追い討ちをかけるように、さらにいくつか追加する。
「それから仕事が出来て、さっぱりした性格の人が好き」
好き、と呟いた時、大地が考えたのは一人だった。
大地は無意識のうちに微笑んでいた。
咲きはじめの薔薇のような華やいだ笑顔に、萩野は何かを察したらしい。
それきり、二人の間に会話はなかった。