ビタースウィートメモリー
頭上に影が落ちて、悠莉は吉田が自分よりもはるかに背が高いことに気がついた。
もしかしたら大地よりも高いかもしれない。
「マニキュアの匂いが嫌いなんです。もう日本から撤退しちゃいましたけど、レブロンのパフューマリーセンティドネイルエナメルだけは使ってました。乾いたあとに薄く香水みたいな匂いがするんですけど、それがけっこう好きで」
「マニキュアの匂いを嫌う人は少なからずいますよね。香りつきのものはあまりないし、撤退はさぞ残念だったでしょう」
「それはもう。だからもう4年くらいマニキュアは買ってません」
「青木さんは健康的な肌色だから、くすみのない赤とかが似合うだろうね。きっと色っぽくなる。綺麗に彩られた爪を見れないのは残念だ」
吉田が悠莉の視線をとらえた瞬間、エレベーターが止まった。
笑っている顔は優しげだが、瞳だけはいやに力強い。
敬語を外すタイミングも絶妙で、だいたいの女性は胸を高鳴らせるだろう。
だが、悠莉は違った。
自他共に認める、恋愛成分10%以下の人間である。
「じゃ、お仕事頑張ってください」
張り付けたような胡散臭い笑顔に、話を強制的に終わらせる一言を添えて、エレベーターの閉まるボタンを押す。
ドアが閉まるギリギリの瞬間まで、吉田の熱い視線は悠莉に注がれていた。
それを意外に思うが、きっとそれも今だけだろう。
あと三ヶ月もすれば、いつまで経っても落ちない悠莉を諦めるに違いない。
深呼吸して、頭を真っ白にする。
とりあえず仕事に集中しようと意識すれば、悠莉の頭からはもう吉田は消えていた。