sweet dreams baby
「…いつから分かってたん?」

食器の片付けを再開した礼二が尋ねる。

「最初にあれ?って思ったのは2回目掛けた時かな。カモミールティー教えてくれた時、私の家にあるかどうか確認せずに提案してくれたでしょ?それで不思議に思ったの。もしかしてあるのを知ってたのかなって。
そこからちょこちょこ気になる所出てきて」

「へぇ。例えば?」

「私もあんまり詳しくないけど、ああいう相談室って『いつもご利用ありがとうございます』とか言わないイメージがあって。お店の人とかは言うけど」

「あー、いつもの癖で言うてもうてたなぁ。商売人の性やわ」

食器棚の扉を閉めながら、礼二は薄く笑った。布巾を畳んで夢子に向き直る。今度はお互い目を逸らさずに視線を合わせた。

「…確信したのは風が強い日に電話した時」

あの日の事を夢子は思い出す。

「あの時、電話の向こうからここのドアベルの音が聞こえたの。ドアが風で揺れたら鳴るでしょ?」

「こんな小さい音聞こえたん?でもここのドアベルの音かは分からへんやん」

「分かるよ。このベルは靖美さんが陶芸教室で作った、世界に1つしかないものだから」

電話からこの音が聞こえた時は驚いた。

「はぁ~、ほんまに耳がええな。さすがはピアニスト。でもそれなら、さすがに声で俺って分かって欲しかったけど」

てか、それが一番分かりやすい所やろ。という礼二からのもっともなツッコミに夢子は居心地が悪くなる。

「だ、だって、電話越しだったし、まさかと思ったの!声もいつもより低いし、標準語だったからまさか礼二だと思わなくて…」

先入観とは誠に恐ろしい。まさか、と思えば、気付けるはずの事にも気付けなかった。

「…ねぇ、どうして黙ってたの?どうして睡眠相談室やってくれてたの?」

それは夢子が一番聞きたかったことだった。なぜこんな何の得もしない事を礼二はしてくれていたのだろうか。

「…俺やって、最初はこんなサムいことする気なかったわ」

礼二はバツが悪そうに俯く。シンク用スポンジに洗剤をつけて、掃除を始める。
閉店作業を進めたいと言うより、何かしていないと落ち着かないのだ。

「ただ、あの電話番号渡した日、ネコが泣きそうな顔でここに来たから。俺が聞いてもなんも言わんし、俺も大概ひねくれてるから何があったか上手いこと聞き出せへんし。せめてちょっと笑わせたろ思て冗談のつもりで電話番号渡してん」

「え、バレてたの⁉あの時私が落ち込んでたの…」

「バレバレや。顔見た瞬間に分かったわ。で、番号見た時にこの店の番号やから気付いて笑ってくれるかと思ったんやけど、何の疑問も持たんと鞄に直したからこっちがびっくりしたわ」

「しょ、しょうがないじゃん!バイトしてた時はスマホに番号登録してたから覚えてないし、バイト辞めてからスマホ替えた時にデータ移行失敗しちゃって店の番号消えちゃったから...」

「あー、なるほどな。でも、ほんまに電話来るとは思ってなかったし。ディスプレイにネコの名前が表示された時は迷ったけど、さすがに声聞いたら分かるやろって。そしたら...」

「はい…。全然気付きませんでした…。酔っ払ってたから…、その、仕事で切羽詰まってたし」

苦笑を浮かべながら、「面目ない」と首を傾げる。

「でも、礼二だって言ってくれたら良かったのに~。どうして教えてくれなかったの?」

数ヶ月も富戸を演じていたのはなぜなのか。夢子が全然気付く気配がないから言い出せなかったのだろうか。

「…最初電話掛けてきた時、ネコ泣いてたやろ」

礼二が蛇口を閉める。スポンジを置いてタオルで手を拭きながら、伏目がちに答えた。

「俺に言えへん事も、こういう形なら聞けるかもしれへんって思ってん。ネコ、自分の中に溜め込む癖あるし。夜寝れんくて困ってるのも知ってたからな。あー、俺めっちゃええ奴やろ?」

自分で茶化す礼二だったが、それとは裏腹に夢子の心臓はトクンと波打っていた。

この店の閉店時間は午前2時。閉店作業をしたとしてもせいぜい、3時前には終わる。でも、夢子は3時を過ぎて電話したこともあったが、富戸は電話にでた。つまり、礼二は待っててくれたのだ。いつ掛かってくるかも分からない夢子からの電話を。

この有り余る程の優しさは友達としてなのか。それとも、

「てか、ネコの方こそ俺やって気付いてからも、何で電話掛けてきたん?そっちこそ言うてくれたら良かったやん。風が強かった日って結構前やで」

痛い所を突かれて、夢子の肩がギクっと上がる。少々情けない理由ではあるが、相手にだけ話をさせて自分は黙秘とはフェアじゃないだろう。

「言ったら…礼二に電話できる口実が無くなるから」

「え?」

「礼二は私と同い年なのに、一人で立派にお店やってて。だから、そんな人に仕事が貰えないだの、仕事のプレッシャーだの、言えなくて…。情けない奴だって思われたくなくて格好つけたの」

嫌わないで、弱いって思わないで。
そんな強がりが夢子の口を塞いでいた。

「気付かない振りしてたら、別の人としてなら、言えた。自分でも変な感覚だなって思うよ」

「…ほんまアホやなぁ」

礼二がポツリと言う。

「ネコがよう頑張ってるのなんかとっくに知ってるわ。へこんでもめげずに好きな仕事やってんのに、情けないなんて思うわけないやろ。充分、格好ええと思うで」

夢子は自分の目に熱が集まるのが分かる。これからの別れが、二人を素直にさせているのだとしたら、この別れに感謝した。


好きな人から頑張っていて格好良いって言われるなんて、これほど嬉しいことが他にあるだろうか。


「…ありがとう」


それだけやっと言うと、下を向く。


「そやから、外国行ったらもうこんな茶番必要ないやろ?国際電話は電話賃高いしな」

礼二がおかしく言って励ましてくれる。
でも、違う、違う。

「…今度は、礼二に電話したら、困る?」

「…」

「ちゃんと時間は考えるよ。そっちの都合も…。だから、たまにで良いから、声を聞かせてくれないかな…」

「それは」

突然、礼二の手が夢子の手首を掴んだ。驚いて顔を上げると、切れ長の目に期待の色を宿した礼二が真っ直ぐに見つめてきた。

「都合の良いように、解釈してええんか?」

その瞳が何を訴えているのか、礼二が何を期待しているのか、分からない程夢子も子供ではなかった。

「…良いよ。私も、都合良く解釈したから」

「…OK。二言は無しやからな」

「もちろん」

礼二は掴んでいた夢子の手首を離して契約成立、とばかりに握手をする。
そしてパッと手を離した。

「あーあ!明日定休日やからゆっくり寝よう思っとったのに。この急展開のせいで寝れへんようなったわ」

「じゃあ良い方法を教えてあげる」

夢子は頬杖をついて礼二に向かって頬笑む。

「布団を人肌温度に温めるとリラックスできて良く眠れるよ」

「いやそれ、俺が教えたやつやん。それに俺の家は湯たんぽないし」

「それなら」

夢子は目を伏せる。

「私が湯たんぽ代わりになってあげられるよ」

礼二は一瞬息を吸い込んだ。しかしすぐに口の端を上げた。

「……ほんなら、頼むわ」

まぁ、多分お互い寝られへんやろうけど。

しばらく見つめ合った後、どちらともなく笑い合った。

今日なら素直に話せるだろうか。夢子は想いを馳せる。
いつもここで話を聞いてくれる事が嬉しかった事。
海外に行くと決まった時、学生時代から密かに募らせていたこの想いを打ち明けようと決意したこと。

そして、今日の送別会は、本当は終電前にお開きになっていたけど、どうしても礼二に会いたくて時間を潰してわざとここに来たこと。
最後のは多分怒られるだろうな。
でも、あなたに会いたいと高鳴るこの心臓に免じてどうか大目に見て欲しい。

こんなずるい事は、きっとあなたの為にしか出来ないから。
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