恋、花びらに舞う
叙情的な景色をぶち壊すような轟音が響いてきた。
マシンと呼ばれる車のエンジン音は地響きとともに唸りをあげ、噛み付くような激しさだった。
レース場を目にしたときは、少なからず圭吾への思慕が残っていたが、地鳴りと共に響く爆音が、それらすべてをかき消した。
「見て、朝比奈さんよ、オーラがすごい。いい男は、どこにいても目立つわね」
「どこ?」
人の輪の中心にいるサングラスをかけた背の高い男性が、レーシングチームの監督の朝比奈和真で、輝かしい経歴の持ち主であるとマナミに言われても、由梨絵には風情のない爆音をまき散らす元凶にしか思えない。
「大きな音の中にいたら、耳がおかしくなりそうね」
「気にするのはそこ? 由梨絵みたいに、素敵な彼がいる人は興味ないか」
「彼とは別れた」
「ウソッ、いつ! ねぇ、どうして?」
「会社を辞めたとき……」
目の前をマシンが通過して、由梨絵の返事は爆音に飲み込まれた。
「なに? 聞こえない」
「会社を辞めたとき別れた。もう付き合えない、サヨナラってきっぱり言ってきた」
聞こえないと言われて、由梨絵は声を張り上げて同じセリフを繰り返した。
「由梨絵からそう言ったの?」
「そうよ、いけない?」
「いけなくはないけど……芹沢さん、優しくて素敵だったのに。破局の原因は何? 浮気とか」
「破局なんて、そんなおおげさなものじゃないわよ。浮気ではないけど……」
他人に深く踏み込まない圭吾が、茶道で知り合ったという女性を気にすることが多くなった。
心に傷を負ったその女性に同情するのだと、恋人の由梨絵に話すのだから、そのときの圭吾にやましい気持ちはなかったはずである。
けれど、圭吾の気持ちが同情から愛情に変わるのではないか、そんな気がしてならなかった。
圭吾の心変わりを見たくはない、その思いが由梨絵を動かした。
「彼、気になる彼女がいたみたいなの。だから、ふられる前に私から別れを切り出した」
「わっ、オトコマエ」
爆音に負けない声を張り上げていた二人は、エンジンが止まり突然の静けさが訪れてもそのままの大声で、由梨絵の打ち明け話は周囲に聞こえた。
まわりから笑い声が漏れ、マナミと由梨絵は肩を寄せて声をひそめた。
「オトコマエって、褒めてるのよね?」
「まぁね、半分呆れてるけど。でも、いいんじゃない? 自分で幕を引くのって由梨絵らしい」
小気味よく言い返してくる友人は高校からの付き合いで、遠慮のない言葉は気遣われるよりよほどいい。
「みなさま、パーティー会場に移動してください」
スタッフに促されてマナミとともに歩きはじめた由梨絵は、ふいに視線を感じた。
気になる先に目をやると、長身の男がサングラスをはずしながらこちらへ歩み寄ってくるところだった。
「わぁ、朝比奈さん」
「俺を知ってるんだ。彼女、車は好き?」
「はい」
「嬉しいな。そっちの彼女も?」
「いえ……」
「知り合いにチケットをもらったので、友達も一緒に来たんです」
朝比奈の問いかけに、由梨絵の代わりに答えたマナミは興奮している。
「ふたりで来てくれたんだ。嬉しいな」
マナミと由梨絵のあいだに割って入った朝比奈は、ふたりの腰に手をまわして歩き出した。
なんて強引な男だろう……
そう思いながら、由梨絵は腰を引き寄せる大きな手にあらがえずにいた。