愛しの彼はマダムキラー★11/3 全編公開しました★
第四章
○社長室の前

社長室のプレートを見上げながら、美海は最後のチェックをした。

清楚なワンピース、問題なし。
化粧直し、問題なし。
フゥーと息を吐き、それにしてもと考えた。

美海(政治家の友達に頼んだとか言っていたけれど、リン姉さんたら一体どれだけ人脈があるんだか)


○(回想)会議室

仕事の説明を受けた。
社屋の引っ越しに伴う資料のデジタル化。
紙の書類をスキャナーで読み込み、わかりやすく保存するという作業。
アルバイトは十人。指示されるままそれぞれ別々の部署に散ったのだが、美海は最後に残された。

担当男性社員「桜井さんには、社長室に行ってもらいます」
美海「社長室というと、社長の書類担当ということですか?」

担当男性社員「そういうことです」
美海「あのぉ、なぜ私が社長の担当に?」

担当男性社員「社長室に出入りして頂くのでね。誰でもいいという訳にはいきません。桜井さんについては、最初から決まっていました」

(回想終了)


美海(さあ、いざ出陣!)
小さな拳を作り、美海は意を決して社長室の扉をノックした。

美海「失礼します」

社長室の扉を開けると――。
まずはじめに、大きなガラス窓が目に入る。
ハッとするほど明るくて、開放的な空間だと思った。

社長の星佑は、部屋の中央にある会議用と思しきテーブルの脇に立って、書類に目を落としていた。
それはもしかすると美海の履歴書なのかもしれない。
書類と見比べるようにして美海を振り返る。

彼は美海と目が合うと、ほんの少し照れたように睫毛を伏せた。

美海(え? か、かわいい)

思わず胸がキュンと跳ねたことに驚いて、美海は慌てて視線を外す。

美海(年上の男性にこんな気持ちが湧くなんて)

イケメンだということは、ロビーで見かけていたからわかっていたけれど、彼の瞳が透き通るように綺麗なことと、少年のようにはにかむ仕草は予想していなかった。

美海(想像以上だわ。あのモテ女のリン姉さんがぞっこんになるのもわかるー)

まだスタート地点に立ったばかりでないか。落ち着け自分と言い聞かせながら、美海は
乾いた唇を噛んだ。
ゴクッと鳴った喉の音が、苦しげに頭で響く。

星佑「桜井美海さんですね」
美海「はい。よろしくお願いします」

星佑「どうぞ、座って」

美海にそう促して、彼はテーブルの向かい側に腰を下ろした。

これからが緊張の時間だ。
美海の目の前には、触るとヒンヤリとするであろうガラスのテーブルと、腰を掛けるだけの背もたれのない椅子がある。
美海はその椅子に、そっと浅く腰を下ろした。

星佑「星佑です。これから一月よろしくお願いします」
美海「よろしくお願いします」

星佑「美海さん。事務職の経験はあるんですか?」
前職を探られれば未婚であることがバレてしまう。
なので、学生のころのアルバイトの事しか履歴書には書いていない。

余計なことは言わず、美海は「はい」とだけ答えた。

星佑は視線を上げることなく、手元の資料に目を落としている。

美海(見ているのは、リン姉さんが作った私の履歴書ね)

同じ物を写メで送ってもらっているので、履歴書に書いてある内容はわかっている。
年齢は本当だが、大学卒業してすぐ結婚したという設定だ。

夫が海外出張の間、社会勉強のため働きたいと思っている有閑マダム。
働く理由を聞かれたら、そんな風に答える予定になっている。

もし本当に星佑が人妻好きなら、そこに食いついてくるはず。

星佑「それなら、パソコンの説明も特に必要ないですね」

美海(へ? そっち?)

美海「あ、はい。大丈夫だと思います。パスワードなどの資料は頂きましたので」

星佑は軽く頷く。

星佑「じゃあ早速だけど始めてもらおうかな」
美海「はい」

あっけない幕切れだった。
なんとなくモヤモヤとした気持ちを抱えながら席を立つ。

星佑が向かった先は、彼の席とは反対側の壁際にある、いかにもにわか作りの席だった。
スキャナーとパソコン。そして、デスクが並んでいる。

星佑「桜井さんの席はここです。僕と二人の部屋でやり辛いかもしれないけど、ごめんね」
美海「はい、あ、い、いいえ。こちらこそよろしくお願いします」

席について、あらためて部屋を見渡してみる。

美海(ちょっと意外かも。甘い雰囲気の人だから、もう少しくつろげるような部屋かと思ったけど、なんか違う)

本人の見た目とは真逆の社長室だ。
ガラスのテーブルに、骨組みが金属のデスク。例えば朝、誰もいないこの部屋に入ると、冷え冷えとした雰囲気が漂うんじゃないだろうか。そんな風に思った。

美海(でも、この人がいると、途端に部屋全体が温かい空気に包まれるわ)

緊張感と柔らかさ。絶妙なバランスだ。
星佑は棚から一束のファイルを取り出して、美海の席に置く。

星佑「はい、お願いします。これが終わったら言ってね」
美海「わかりました」

星佑「読み込んだファイルは、一冊で一ファイル。背表紙とインデックスを目次にしてまとめて」
美海「はい」

星佑は、終始穏やかに微笑み、その声も落ち着いていて優しい響きである。
さっきのように照れたような様子を見せることは、その後もなかった。

美海(なんかちょっと残念かも、なーんてね)

スキャナーに書類を通しながら、チラリと星佑を見る。

彼は机に向かい、黙々と書類を読んでいる。

いやらしい視線で女性を見る様子もないし、チャラい感じも一切ない。
今のところ彼に抱くイメージは、好印象のみだ。

美海は内心うーんと唸った。

ふと、コンコンとドアを叩く音がした。
女性秘書A「失礼します」

チラリと美海を見た彼女はツンと済まし、星佑の元へと歩いていく。

そのまま女性秘書Aは星佑と話を始める。

女性秘書A「本日の会議についてですが、追加資料をお持ちしました」
星佑「ああ、ありがとう」

美海(秘書? なにあの人、なんか感じ悪ーい)

そのままなんとなく見ていると――。
美海(あ!)
星佑が手を滑らせて書類を落としそうになり……。
女性秘書A「あ」

星佑「おっと」
女性秘書Aがすがりつくようにして、星佑を支えた。
女性秘書A「だ、大丈夫ですか?」
星佑「ご、ごめんね」

女性秘書A「社長、髪が」
星佑「え?」

女性秘書Aはゆっくりと指先を星佑の額に伸ばし、乱れた前髪をなでた。

美海(近づき過ぎ! なにあの変態秘書! あ!指輪してる、彼女、人妻?)

星佑「あ、ありがとう」
女性秘書A「いいえ」

美海(あー!あー! また照れてる!)

そのはにかんだ微笑みは、ついさっき美海に向けられたものと同じだった。
美海(あの男、天然だわ。あれはきっと、天然のマダムキラーね)
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