私の中におっさん(魔王)がいる。

「一滴でよろしいので、血液を頂戴いたします」
「そんなの必要ないよ」

 黒田はにやりと笑うと、親指の皮を噛み切った。流れ出た血液は地面には落ちず、まるで生き物のようにうねりながら、物凄いスピードで毛利らに向った。

「おっと!」

 花野井は軽々と避けたが、彼以外は反応しきれず、うねった血の刃を受けた。

「うわぁ! びっくりしたぁ!」
「大丈夫ですか? 雪村様!」

 目を丸くした雪村に、駆け寄った風間は心配そうに彼の手の甲を凝視する。

「良かった……」

 ほっと息をつく。自分の頬と同じく、薄皮を切られただけだ。

「超過保護」

 悪びれなく、嫌味たっぷりに笑った黒田を風間は鋭く睨み付けた。

「黒田様。これは一体なんのおつもりで?」
「なにって、手間を省いただけだよ。みんな薄皮切るに留めてあるんだから、そんなに騒がないでよ。それとも、心臓貫いた方が良かった?」
「……ご冗談を」

 風間は乾いた笑みを浮かべ、黒田は面白そうに頬をニタリと持ち上げる。そこに、

「お~い。もう切ったぜ」

 いつの間にか指先を赤く塗らした花野井が声をかけた。

「早くしてくれよ。じゃねぇと、傷すぐに塞がっちまうからな。俺は」
「では、早速」

 風間は各々の血を、ジャケットの内ポケットから取り出した呪符につけて回った。呪符は先ほどの物とは違い薄紅色だった。
 風間はそれを、屋敷に程近いところにぽつんとあった庭石の上に置いた。淡い桜色のようにも見える白い庭石は、漬物石くらいの大きさしかない。近くで見ようと毛利らは、風間に近寄る。その時だった。

 突如屋敷の半分を割るように光が立ち上がった。赤い光は屋敷から庭を走り、完全に彼らを取り囲んだ。

「なんだ?」

 ぽつりと毛利が呟いた瞬間、光はいっそう輝きを増し、呪符を置いた庭石が弾け飛んだ。その直後、毛利達は激しい痛みと脱力感に襲われた。

 項垂れるように膝を突くと、目に映った自分の影が濃くなっている。夜だというのに、昼のように明るい。混乱の中、必死に顔を上げると、頭上で白銀の光が降り注いでいた。小さな、太陽のように眩い光の塊。

(これは、ヤバイ)

 直感したのは黒田だけではなかった。
 このまま自分の中の〝何か〟をあの白い太陽に奪われ続ければ、間違いなく死ぬだろう。命、魂、そういうものを削り取られ、白い太陽に吸い出されている。そんな確信が、彼らにはあった。
 
 激しい苦痛の中で黒田は辺りを見回すと、一同が一様に苦悶の表情を浮かべていた。あの毛利でさえもだ。表情のある毛利を、どことなく可笑しく感じる。
 
(ハッ! ぼくってまだ余裕あるじゃん!?)

 などと強がってみた黒田だったが、目の前が白く滲んで行くのがわかった。

(ああ、最悪。これまでかぁ……)

 一瞬、死が過ぎる。
 だが、黒田はそれを撥ねつけた。

(ざけんなよ! ぼくはここで死ねないんだよ! あいつらを根絶やしにするまでは!)

 憤怒の感情が湧き出した瞬間、激しい苦痛が終わりを告げた。
 身体が途端に軽くなる。しかし、それは一瞬で過ぎ去り、すぐに脱力感が襲ってきた。息が荒くなる。
 膝をつきそうになる体をぐっと堪えた。

 他国の者の前で醜態をさらすわけにはいかなかった。
 残りの者も膝をつき、倒れこみたい衝動に駆られたが、黒田同様に意地でもそれをするわけにはいかない。
 プライドがそうさせなかった。

 だが、やはりというべきか、雪村だけは膝を突き、あー疲れた! と言わんばかりに豪快に仰向けに寝そべった。

「……死体、死体は?」

 驚いた声音を上げたのは花野井だった。彼は窺うような視線で一同を見回す。囲んだはずの死体が跡形もなく消えていた。

「――どういうことだ?」

 毛利は静かに、抑揚のない詰問を風間に向ける。風間は静かに瞳を閉じた。

「おそらく、魔王の許へ行ったのでしょう。帰ってこなければ失敗。――帰ってきた時は、成功です」

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