私の中におっさん(魔王)がいる。
「助けて! 助けてください!」

 さっきのおじさんでも良いから、出てきてよ! いや、でも、死体は嫌だけどっ!

「誰かい――」

 ――ませんか。
 口にしたつもりの言葉は、胸が痞えて出なかった。ずるりと足元を何かが這ったから。ぎゅっとした緊張が走る。

 ただ白いだけだった空間、地面は確かにアスファルトみたいに硬かった。なのに、今は煙が立ち昇り、どこかに向って動いている。足元が波打ち際の砂の上みたいに揺れる。
 まるで、生きてるみたい。

 あっという間に煙は渦を巻き始めた。そして、白い渦は私の目の前でぴたっと止まる。嫌な予感がして、私はやっと、足を後退させる。振り返って、呼吸が止まった。後ろの空間もすでに白い渦となって、私のほうを向いていた。
 気がつくと、左右も同じだ。

「なに、なに、なに、なに――」

 パニックった瞬間、白い渦が私に向って突進してきた。

「キャアア!」

 悲鳴と同時に四方の白い渦は、私に体当たりした。
 あっという間だった。瞬く間もなかった。全ての渦は私の身体に〝侵入〟した。次ぎの瞬間、目の前が急に真っ暗になった。

(え? 気絶した?)

 一瞬、混乱が頭を支配した。

(……違う)

 きらっと何かが光ったと思うと、のっぺりとした巨大な月が私の真横に現れた。

(月? 夜? だって、朝じゃ……)

 月は、どんどん遠ざかっていく。それでやっと、叩きつける強風が意識の中に入ってきた。猛烈な風が頬を引き上げて行く。髪が月に向かって昇ってる。
 どういうこと?

(――え、私、落ちてる!?)

 私は自分が空から落下していることに、やっと気がついた。

「キャアアアアア!」

 発狂した途端、ぐるりと世界が回った。見上げていた月がいなくなり、代わりに真っ暗な景色が目に飛び込む。目を凝らしてよく見ると、それは広大な森だ。

 叫ぼうとして、息が詰まる。風が喉に侵入してくる。苦しい。叫べない。

(どうしよう、どうしよう、どうしたら良い!? このままじゃ、死んじゃう!)

 涙が、零れるそばから天に舞う。

(誰か、神様、助けて!)

 祈ったとき、何かが地面できらきらと光った。

(なんだろう)

 私はぐんぐんそれに近づいていく。

(あれ、あれは……)

 気づいたときには、絶望が胸を占めていた。
 それは、月明かりに照らされた瓦屋根だった。

 神社かお寺か、日本風の広い屋敷。広大な庭。それらを囲む石垣。暗闇の中で、はっきりと見える。私は、そこに向かって落ちている。

 もう、地面は目前だ。

(いや、死にたくない! 神様でも、悪魔でも、魔王でも、何でもいい、助けて!)

 助けて!




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