私の中におっさん(魔王)がいる。
 その奥に戸があった。
 多分、そこが浴室だろう。

 脱衣所には、竹で編んだ籠がいくつか置いてある。中に、白い布が置いてあった。布を端によけて、竹の籠の中に脱いだ制服を入れる。
 セーターを取り上げる。

「これは洗わなきゃ」

 汚れた袖口を見ると、なんだか急に哀しくなってきた。
 お母さんやお父さん、かなこに会いたい。かなこの冗談を聞いてバカ笑いしたい。沢辺さんを見てめいっぱい憧れたい。お母さんのあんまり美味しくないご飯が食べたい。お父さんの特に話すこともなくてじっと黙って新聞読んでる顔も見たい。
 家族とか友達とかって、こんなに大事だったんだ。

(ううっ。このままじゃ泣いちゃいそう)

 私は気持ちを振り切るように、浴槽へ続く戸を開けた。


 * * *


 木材の浴槽から上がると、汗を掻いたからか、気分が上向きになっていた。

(大丈夫、私は帰れる。第一、この世界に私ひとりきりってわけじゃないんだから)

 脱衣所に行って布を取る。体を拭きながら、籠に入れてあった下着を取ろうとして、手が空を切る。
 
「あれ?」

 籠の中に視線を移す。一瞬、頭が真っ白になる。置いたはずの下着がない。それどころか、制服までない。
 籠の中は空っぽだ。

「うそ、どうしよう!」

 きょろきょろと辺りを見回したときだった。
 風呂小屋の戸がガタガタと鳴った。
 ぎくりと心臓が跳ねる。

(ちょっと、待って、誰か入ってくる気じゃ!)

「ちょ、あの入ってま――」

 言い終わる前に戸が開いた。
 黒髪が覘く。
 青い瞳が視線を上げた時、彼と目が合った。

「きゃああああ!」
「うわあああ!」

 思いっきり叫んで、置いてある竹篭を手当たり次第に投げつけた。彼は驚いて悲鳴を上げながら、お風呂小屋から逃げ出した。逃げる彼に、残っていた最後の竹篭を力いっぱい投げつけた。
 籠は彼の頭に命中し、縁側と庭の境で見事にすっころんだ。

「ゆ~き~む~ら~く~ん!」

 お風呂小屋の戸から顔だけだして、苦々しく彼の名を叫ぶ。
 戸の陰で布を体に巻いた。

「ち、違うんだ! 別に覗こうとかしたわけじゃなくって……! 着替え、着替えを持っていこうと思って!」

 振り返った雪村くんは、両鼻から鼻血を垂れ流していた。
(覗きじゃない? 説得力がない!)
 ギロリと睨みつけると、雪村くんは慌てて手に持っていた物をかざした。

「う、嘘じゃないよ! ほら!」

 それは、丁寧にたたまれた浴衣みたいに見えた。
(だからって、普通入ってる時にくる!? 知らないならまだしも、案内した張本人だよ! あやしい……!)
 私はぎろりと雪村くんを睨み付けた。

「あっ! もしかして、私の服盗ったのも雪村くん!?」
「え? 服って、なんのこと?」

 訝しがった様子で首を傾げたとき、それを遮るように明るい声が響いてきた。

「あれぇ? どうしたの?」

 縁側を軽やかに歩いてきたのは、クロちゃんだった。
 私と雪村くんの顔を交互に見て、はっとした表情をした。

「はっは~ん、なんだよ坊ちゃん覗きかい? 案外度胸あるんだね」
「ち、ちが、違う!」

 指をパチンと鳴らして、そのまま雪村くんを指差す。
なんか面白がってない?

「あれ、これなんだ?」
 
 不思議そうな顔をしてクロちゃんは、雪村くんの影から何かを取り出した。その瞬間、私は思わず駆け出した。

「きゃああ!」

 クロちゃんの手からブラジャーを奪い取る。
 荒い息のままに、雪村くんを睨み付けた。

「ちが、知らな……」
「あれ?」

 ブンブンと首を横に振る雪村くんの横で、クロちゃんがまた何かに気づいた声を出した。
スタスタと歩いて、お風呂小屋の隣の木の陰をガサガサと漁る。

「これ、キミが着てた服だよね?」

 クロちゃんが掲げたのは、まぎれもなく私の制服のスカートだった。
 
「うう……こんのぉ――変態!」

 私は雪村くんに罵声を浴びせて、クロちゃんに駆け寄った。茂みの中には一式全てが無造作に置いてあった。
 それらを抱えて、私はクロちゃんを見据えた。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 お礼を言って、お風呂小屋へと駆ける。
 戸を乱暴に閉めた。

「信じらんない。なに考えてんの雪村くん! 顔が赤かったのって、そんなこと考えてたからなの!? もう、マジで信じらんない!」

 もう、絶対口きかないんだから!


< 73 / 116 >

この作品をシェア

pagetop