白井君の慰め方
番外編 白井君と冬のある日



「あ、白井君」

廊下から教室の中を覗き込む白井君は、私と目が合うとニッコリ笑って手を振ってくれた。もちろん私もそれに手を振り返すと、おいでおいでと手招きするので素直に廊下へと向かう。

「どうしたの?」
「今日の放課後、予定ある?」
「ううん、無いよ。部活終わるの待ってようかなーと思ってる所」
「それがさ、部活無くなったんだ。一緒に帰ろう」
「うん!」

まさかの朗報に感謝して、またあとでねーと、手を振りクラスへ戻る白井君を見送った。スマホに連絡を入れる方法では無く、対面して口頭で伝える方法を選んでくれた白井君に、今日も元気を貰っている。白井君は今日もカッコいい。学年内の白井君フィーバーは大分おさまってきたというものの、前髪が短い爽やかイケメンスタイルは未だに継続中である。

『相原さんはどっちもカッコいいって言ってくれたけど、やっぱり世間の反応も意識した方が良いかなと思って。周りに気を遣うのは疲れたから一旦休む分、外見はもう少し意識してみる』

白井君の言う外見というのは髪型の事で、それが違うだけで随分と白井君の表情が分かり易くなったのがポイントだった。白井君が普段どんな表情をしているのかが目に見えて分かるようになる事で、白井君の気持ちが周囲に筒抜けになったのである。

「ニッコニコじゃん、あんたの彼氏」

私が席に戻るのを待っていてくれた友人は、「最近すっかり尻尾生えてるよね。ぶんぶん振ってるのがはっきり見えてる」なんて、やれやれといった様子で言う。そんな事は無いと思うけど、そういえば白井君を飼い犬扱いしていると悩んだ頃もあったなぁと、あの頃が懐かしくなった。

「…白井君と仲良くなれて嬉しい限りです」
「あんたにしかあんな風に笑わないもんね、ミーハーなファンは減ったけどコアなファンは陰で増えてるタイプ」
「やめて!不安になる!」

そう。白井君が周囲への気遣いをやめたと同時に、結局白井は白井じゃんという評価のもとでフィーバーは無くなった訳だけど、たまに見せる微笑みは未だにマニアの間で人気だった。癒されるらしい。めちゃくちゃ分かる。その人達とはきっと話が合うだろうけど、絶対に白井君を譲るつもりは無い。

「大丈夫大丈夫。あんたにしか懐いてないのみーんな知ってるし、不安なのあんただけだから」

うんうんとクラスメイトも頷いていて、私からは何も言えなかった。恥ずかしいけど本当に言う通り、白井君は私の事をとても大事にしてくれている。私と会う時だけ明らかに雰囲気も表情も違うのが、短くなった前髪からよく分かるようになった。それがとても嬉しい。

分からせる為に髪の毛は短いままなの?なんて事は聞けないけど、もしかしたら…なんちゃって。そんな風に自惚れてしまうくらい私は愛されている。

「あれ?今日のお昼それだけ?」
「うん、ちょっと太ったので。白井君の幸せ太り」
「なにそれ羨ましーい」
「なんちゃって。本当は白井君を幸せにする方法を考えたら次は私の番かなって。私、もっと可愛くなって白井君を世界一幸せにする!」
「わーお、頑張れーい」

「ほんっと、そういう所似た者同士でお似合いだよね」と、友人はまたやれやれのポーズ。

「まぁ頑張り過ぎるなよ」
「大丈夫!」

無理をするつもりはない。無理して疲れちゃって私が辛いのは白井君の為にはならないから。ただ、私が私の出来る事を出来る範囲で白井君の幸せに繋げられるなら、それは私の幸せでもあるのだ。


ーーー


「もうすっかり寒くなったね」

いつも通りの帰り道。付き合ってからは時間のある時だけ特別に、通り道の公園のベンチに寄って帰るようになっていた。そこで座って話すのが何より幸せな時間だったけど、最近は大分寒くなったし、そろそろこの習慣も終わりかもしれない。冬は寂しい。白井君との時間が短くなっていくから。

「俺、手が温かいんだ。貸して」

白井君にギュッと包み込まれた私の右手に温もりが灯る。じんわりと温かで、優しい温度。

「こっちも。どう?」

誘われるままにもう片方もお願いして、両手を温めて貰った私はすっかりメロメロのポカポカ。ありがとうとお礼を告げて、温まった手のひらから顔を上げると、近い位置に白井君の顔。

「…へへっ」

ドキッとしてしまって笑って誤魔化した。照れる。この距離はいつも照れる。それは白井君も同じだったようでニッコリ笑って目を逸らし、そっと離れていった。…と、思ったら、グイッと視線だけ私の方に急いで戻ってきた。

「あのさ、相原さん」
「何?」
「あのさ、その…俺さ、君が好きなんだけど、そういう気持ちになったのも初めてなんだ」
「そういう気持ち?」
「こう、大切だから優しくしたくて、ずっと一緒にいたいってなる気持ち。もっと傍に居たいし、もっと知りたいと思うし、興味がある。相原さんの事ならなんでも」
「うん。私も白井君の事そう思うよ。大好きだから」

それは互いの共通の理解である。そうだよね、そう思っているよねと、今更確認する必要も無いくらい分かり合ってるつもりだったけど、急にどうしたんだろう。

「だからその、恋愛感情から来る気持ちの変化が全部新鮮で、他人の気持ちを読み取ったりするのがずっと苦手な事だったから余計に分からない事だらけなんだけど…なんていうかその、あのさ、」
「?」
「もっと傍に寄ってもいい?」

なんだかちょっと意を決したような雰囲気で話し出すからびっくりした。なんだそんな事か。そんなのいつでもいくらでもどうぞと頷くと、ピタリと身体がくっつく距離に白井君は移動した。並んで座るベンチの身体が触れ合う右側だけ、とても温かい。ドキドキするけど、なんだか気持ちが良い。

「人ってあったかいんだね…」

ぼんやりと呟きながら温もりに沿うようにそっと白井君の肩に頭を乗せると、白井君の身体がこわばったように感じて、あ、これはダメだったやつだと慌てて肩から頭を離した。いけない、つい調子に乗ってしまった。

「ご、ごめん白井君。嬉しくてつい…」
「え!あ、いや、俺も嬉しいから大丈夫。その…良かったらどうぞ」

どうぞと言われたならお言葉に甘えさせて貰おうかなと、もう一度頭を預けてみた。…うん、なんか…なんだろう。

「…や、やっぱりやめておく…二回目はなんか、初めてより恥ずかしい…」
「え?」

私の言葉に何故かハッとして、ショックを受けたような顔をする白井君。ジッと私を見つめたまま発した次の言葉は、

「恥ずかしい?俺とだと」

で、ある。一瞬にして断ってしまったこの状況に後悔した。拒否した訳では無いのだけれど、結果的に白井君の中でそういう事になってしまったみたいだ。今すぐ弁解しないと!

「違うの!そんな事ないよ!そういう事じゃなくて、ただ自然と甘えたのと、これから甘えます!って気持ちで甘えるのは心構えが違う、みたいな話で…」
「!甘えてくれてたの?」
「そうだけど…あれ?やっぱり嫌だった…?」

なんだろう、気持ちが上手く噛み合わない。なんだこれは。ただくっついて頭を肩に乗せただけなのに、今私達の間で何が起こっているんだ。

頭の中がハテナマークだらけでさっぱり分からない私に、「そんな事は絶対に無い!」と、白井君は慌てている。まるでさっきの私みたいだと思うと少しホッとした。伝え合うのが下手な所が似てるんだなと、それすら嬉しいから恋の不思議。白井君がついた大きな溜め息も、自分を落ち着ける為だと分かっているから大丈夫。深呼吸をしてから白井君は私の方を改めて見る。

「その…なんかごめん。完全に俺が間違えた」
「間違えた?」
「いや、間違えたというか…うん、えっと、まず。正直に言うと、俺は相原さんに触りたいと思ってるんだ」
「うん…え?!」

余裕を持った心にまさかの爆弾投下。白井君らしいといえばらしいけど、あまりに予想外の言葉で一気にまたパニック状態の私の脳内。さっ、触りたいというのはつまり、つまりそれはえっと…いや!そんなのきっと私の勘違いだ、そうだ、また私の妄想が暴走してるだけで、

「ごめん。やっぱり気持ち悪いよね?こんなこと言われて嫌だった?」
「嫌じゃない!どうぞ触って下さい!」

大きく両手を広げて白井君に全てを捧げる気持ちを表した。咄嗟の行動なのでこれで合ってるのかも考える暇は無かった。白井君に悲しい思いをさせるくらいなら私が間違えて恥をかく方が良い。そういう事じゃないって拒否されても大丈夫。ちょっとショックだろうけど、いや、大分ショックだろうけど大丈夫、

「うん、ありがとう」
「!」

途端、ギュッと温もりに包まれる。迷いなく白井君は私を受け入れて、優しく、強く、私を抱きしめてくれる。びっくりした。けれどそれ以上に私の中の何かが満たされていく。白井君の呼吸を身体で感じるのはとても落ち着く。ドキドキするけど、ホッと心の芯が温まる。これで合ってたのかな…違ってたとしても、まぁいっか。

「…比べたんだ、先輩と」

すると、耳に近い位置で声が降ってきた。それは白井君の心の入り口だった。

「先輩と比べても意味が無いのは分かってるけど、やっぱりどうしても気になって。俺にとっては全部が初めての事だけど、きっと相原さんは同じ経験をしてるんだろうなって、つい頭をよぎる」

思いもよらない告白に驚いて、白井君の表情を確認する為に顔を上げようとすると、ギュッと白井君の腕に力が込められる。このままでいてとお願いされているようだったから大人しく身体を預ける事にした。

「触りたいと思うようになってから、自分のものにしたい、みたいな気持ちが強くなってるんだ。相原さんの気持ちも知ってるし、十分伝わってる。でも、それでももっとって思ってて、でもきっと先輩は全部知ってるんだろうし、俺と違ってもっと格好良かったんだろうなって勝手に落ち込んだりして…俺、本当にこういう事分かんないんだなって」
「……」
「…どうすればいいのか分からないのが不安なんだ。相原さんはすごく可愛いから、いつ誰のものになるかと思うと不安で。俺は相原さんを満足させられてる?」

抱き締める腕を緩める事なく、白井君は私の肩に顔を埋めて言った。声はどこか頼りなくて、不安を感じてるのが顔を見なくても伝わってくる。きっと顔を上げたく無いんだと思う。その気持ちは分かる。私も自信が無い自分を見せたくないと思う。

…でも、上げて貰わなきゃ伝えられない。白井君の気持ちは伝わったけど、私の気持ちは伝えられない。

彼の背中に回した手をトントンと優しく叩いた。

「白井君」
「…うん」
「こっち向いて」
「……」

渋々と顔を上げた白井君は、視線を余所に向けている。無防備な彼の顔へ私は一気に距離を詰めて、

「!」

唇に一つ、キスをした。目を丸くした白井君が私を見て、言葉を失っている。それから指で唇に触れて、ボッと頬を赤く染める。その仕草の全てが可愛くて、全てが好きだった。私は白井君が大好きだ。

「私は、白井君にしかこんな事は出来ないよ。白井君だから恥ずかしいとか飛び越しちゃうし、白井君になら何されても全部嬉しい。そんな自分は初めてで…だからね?私を白井君のものにして下さい」
「っ、…」

きっととんでも無い事を言っている。でも、それが事実で真実だから仕方ない。それが私の全て。私から白井君に伝えられる全て。きっと二度と他の人にこんな事は出来ないと思う。一生に一回の出来事。この先何がどれだけあってもずっとこの一回が私の心の中で大切に残る。それが、白井君も同じでありますように。

「…俺からも、良い?」

熱に浮かされた瞳で白井君が問うそれに頷くと、近づいてきた彼の顔に目を閉じる。

二度目の初めてのキス。私からのキスと、あなたからのキス。きっと、ずっと忘れられない大切な思い出。

手を繋いで帰る。こんなに寒いのに、温かい。私達二人で居られればきっとずっと温かいんだろうなと、隣を歩く白井君に思った。大好きな白井君。ずっと一緒に居られますように。



白井君と冬のある日 完

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