次期国王は独占欲を我慢できない
「マルセルさ~ん」

 ノックの後、声をかけるとドアがゆっくりと開いた。
 呼びかけに顔を覗かせたマルセルだったが、顔色はあまりよくない。

「干し柿が出来たんですけど……」

 アリスがそう言って、手に持った包みを差し出すと、マルセルは「ヒッ!」と声を上げて激しく首を横に振った。

「い、いらん!俺はそいつのせいで、えらい目にあったんだぞ!そんなもん、食えたもんじゃねえ!」

 やっぱり渋が完全に抜け切る前につまみ食いしていたか――。アリスは肩を落とした。
 どんな食べ物にも、食べごろというものがある。それを逃せば、舌にも胃にも優しくないのは当然のことだ。これは、柿が悪いわけではない。だが、マルセルはすっかり柿に恐怖心を抱いているようだった。

「これは大丈夫ですから。ほんとに」
「――ほんとか?」

 訝し気に包みを見る。嫌な目にあっても、やはり中身は気になるらしい。
 アリスは苦笑しながら包みをマルセルに渡した。

「取り込むのを手伝えなくて、すまんかったな。お、うんまい」

 あんなに嫌がっていたのに、もう頬張っている。でも、美味しいと言ってもらえてよかった。食べごろであっても、好き嫌いはある。ましてや一度具合が悪くなると、口にすることを構えてしまうものだろう。

「食えるとなったら、なんでも食うさ。そうじゃなきゃ、騎士なんてやってられない。しかも、これは本当に美味い」
「そうですか。良かった」
「この間は、アイツが代わりに手つだってくれたろう?」

 そう言われただけで、アリスの様子が明らかにおかしくなった。
 ピタリと動きを止めたかと思うと、今度は小刻みに震え、顔を真っ赤にしたのだ。

(あ~。こりゃあ、アイツなにかやったな?)

 まだ正体を明かしていないのだから、もう少しじっくりと距離を縮めると思ったのだが、そうではなかったらしい。
 さて、どちらがそのきっかけを作ったのだろう?
 馬に蹴られるのは嫌だが、好奇心はある。

「なんだ。つばでもつけられたか?」
「そそそそそ、そんなんじゃないですよ!たまたま、私が持ってた柿を頬張ったら、指まで食べられてビックリしたっていうだけで!」

 なんだよ。本当にツバ付けたのか。これにはさすがのマルセルも呆れてしまった。だが、赤くなったり慌てたり、かと思えば動きをピタリと止めたり。普段はしっかりしているのに、動揺して小動物のような動きになったアリスを見ていると、からかいたくなる気持ちは分かる。

(まあ、アイツはからかってるわけじゃないんだろうけどな……)

「その後は全然普通だったんで、向こうも偶然だったんだと思います」
「偶然で人の指舐めるか?」
「そ、そういう言い方はどうかと思います!」
「言い方もなにも、そうじゃねえか。嫌だったか?気持ち悪かった?ゾッとしたとか?」
「まさか!」

 とっさに口から出た言葉に、アリス自身が驚いて慌てて両手で口を覆う。だが、発してしまった言葉をなかったことにはできない。マルセルの耳にはしっかりと届いていた。
 チラリとマルセルを見ると、満面の笑みでアリスを見ていた。
 恥ずかしさに小さくなるアリスの頭に、マルセルの大きな手が乗り、ぽんぽんと優しく触れる。

「じゃあ、ビックリしたんだな」

 アリスはコクリと頷く。

「ドッキリともしただろう」

 アリスの視線が困ったように彷徨うが、少しして再びこっくりと頷いた。

「いいんじゃねえか。それはそれで」

 マルセルはずるい。
 結局、アリスの心の内を簡単に引きずり出してしまった。でも、少しホッとした。
 黒尽くめの青年が密偵だと知ってから、彼のことを誰にも話してはいけないと肝に銘じてきたのだ。でもどんどん惹かれていって、どんどん青年の存在が自分の中で大きくなって、もう少しで溢れ出てしまいそうだった。アリスにとって、彼の話をできるのは、マルセルしかいなかったのだ。だから、不本意ではあったが、こうして胸の内をさらけ出せたのは、有難かった。
 だが、それもこれからは難しくなってしまう。
 騎士訓練所で仕事をしている間は、厩舎にシーツを持ってきたり、反対に汚れたシーツを回収したりと、毎日のように通って顔を合わせてきたのだが、これからはそうはいかない。
 アリスの新しい職場となる衣装部は、王宮内にある。厩舎からだいぶ離れてしまうため、マルセルに頻繁に会えなくなってしまうのだ。

「あー、これからマルセルさんにあまり会えなくなるなんて……」
「ん?どういうことだ?」
「私、明日から仕事が変わるんです」
「――そりゃ、突然だな。こんな時期外れに異動か。次はどこだ?」
「衣装部です。友達が言うには、ベアトリス王女殿下が社交界デビューなさったから、衣装部の仕事が増えたのではないかって……」
「……そうか」

 なぜか、マルセルが難しい顔をして考え込んでしまった。

「マルセルさん?」

 急に黙り込んだマルセルに声をかけると、マルセルがニカッといつもの笑みを見せた。

「会えなくなるわけじゃないぞ。衣装部が手掛けるものは、なにも王族のものだけじゃない。この王宮内の制服も軍服も、すべて衣装部の仕事だ。ということは当然、騎士団の物もそうだ。これからも、こっちに来ることはあるさ」
「えっ。本当ですか?なんだ、良かった」

 アリスは安堵のため息をついた。
 てっきり、王宮から出られない仕事だと思い込んでいた。だが、マルセルの言う通りだ。普段アリスが着ているお仕着せも、仕事が決まった時に支給された物だ。特になにも考えずに受け取ったのだが、勤め人の服も王宮内で作っているから、できることなのだろう。

「たまに、こっちに来る時はまた名乗りを上げたらいいさ。隠居のじじいも、話し相手がいなくなっちゃ寂しいからな」
「またそんな、隠居のじじいなんて言う……。言っときますが、マルセルさんは私の父様よりも随分と若いんですからね!」
「へえ。アリスのお父さんはいくつなんだ?」
「もう六十を過ぎました。本当の隠居生活ですよ。だから私、自立しなくちゃと思って、こうして働いているんです」
「なるほどな。お前がしっかりするはずだ」

 年上にも物怖じしないところなんかは、そんな環境だったからこそ、身に着いたものだろう。
 柿渋の効果や、干し柿の作り方は、使用人や領民から聞いたと言うから、周りには大人が多かったと想像がつく。良家のお嬢さんなどは、あまり領民や使用人と親しくすることを好まない。だが、アリスの育った環境では、それが自然なことだったのだろう。それはマルセルを怖がることなく、話しかけてくるところからも分かる。

「お前なら、新しいところでもうまくやっていけるさ」
「だといいんですけど……」

 まだ本調子ではないマルセルと長く話していては悪いからと、アリスは早めに部屋に切り上げた。
 アリスとしても、明日から新しい仕事ということで、早く休んでおきたかったのだ。
 また厩舎に来る機会はあるだろうと思っていても、それでも以前よりは減ってしまう。
 宿舎までの道のり、アリスは寂しい気持ちを抱えて、歩いた。
 そんなアリスを、マルセルはじっと見送っている。

「こんな時期に、アリスだけが異動?アイツはなにも言っていなかったし……。一体、誰が仕組んだ?」

 マルセルの小さな呟きは、物思いに耽るアリスには届かなかった。
 正直、アリスにも少し不安はある。
 勤め人は、お互いの身分は関係なく、共に仕事をする仲間であることが求められる。だが、マリアやアネットから聞いた話によると、王宮内での仕事は、なんだかんだ言っても身分がものを言う世界らしい。
 人手不足でアリスが異動することになったのも、騎士訓練所のメイドの中では唯一、貴族の一族だからだろう、ということだった。
 敷地の外れの訓練所に、貴族の令嬢以外の配属が集中していることも、結局は同じ理由なのだろう。
 その証拠に、今年から王宮勤めになった侯爵令嬢は、既に王族の侍女をしているのだそうだ。こんなことは今までになく、破格の待遇だという。
 勤め人同士である以上、身分は関係ない、というのも、どうやら先輩や指導係が気おくれしては仕事にならないから、ということらしい。それを聞いて、アリスの気持ちは一気に落ち込んだのだ。
 男爵家の生まれとはいえ、領地でのびのび自由に育ったアリスとしては、そんな風に型にはめられるのが苦手だった。兄姉に会えるのは嬉しかったが、彼らのところに遊びに行くのは、とても気を使ったものだ。それがこれから毎日続くのは、正直気が滅入る。
 男爵というのは、準男爵に較べれば、それなりに歴史も格式もあるものの、貴族階級の中ではかなりの下級貴族だ。身分を重んじる王宮勤めでは、大変なことも多いかもしれない。


 * * *


「アリスって言うのね。マリアから聞いているわ。私はジゼル・バルゲリーよ。よろしくね」

 ジゼルは、マリアがよくお茶会に招待されると言っていた、取引先の伯爵家令嬢だった。心配したマリアが紹介してくれたのだ。そのおかげもあって、時期外れの異動もすんなりと受け入れられた。

「よろしくお願いします。ジゼルさん」
「訓練所とは仕事内容がだいぶ違うから、戸惑うことも多いと思うけど、なんでも聞いてね」
「はい」

 王宮の南の隅にある衣装部の仕事部屋はとても広く、日光がよく入るように、南東に大きな窓があった。そのような部屋の造りから、訓練所の洗濯部屋を思い出したが、広い室内には大きな机が並べられ、様々な素材や色の布が置かれている。

「すごいですね」
「ビックリするわよね。でも、最初は簡単なお直しが殆どよ。勤め人たちの制服が、日々解れや破れで運ばれてくるから。そういうのは大丈夫?」
「はい」

 修繕ならば、訓練所でもおこなっていた。大きく切れたものや、中には袖部分を外して新しいものをつけたこともある。勿論、丈夫であることが前提の訓練服とは違うだろうが、大丈夫だろう。

「じゃあ、ここにある物からお願いできるかしら。それぞれの制服で布や糸が違うから気を付けてね。全部壁の引き出しに入っているから」

 部屋を見渡すと、北西の壁一面に大小様々な大きさの引き出しがついていた。下部の大きな引き出しには布が、上の小さな引き出しには糸やボタンが入っているのだそうだ。
 ジゼルは一通り説明すると、そのまま隣の椅子に座った。どうやら、初日は隣についていてくれるらしい。有難いことだ。
 アリスは早速手前にあった制服を広げて、確認した。ワンピースの裾が擦り切れ、解れていた。
 擦り切れるということは、長さが合っていないのではないだろうか。アリスは丁寧に糸をほどくと、少し裾を切り落とす。そして改めて折り返すと、細かく縫い始めた。

「手際がいいのね」
「そうですか?ありがとうございます」

 ジゼルはアリスの手元を確認すると、任せても大丈夫だと判断したのだろうか。自分の仕事にかかった。

「できたものを、届けてきましょう。各部署の場所も覚えてね」
「はい」

 修繕した制服に糸くずがついていないかを確認し、窓際に置いてあるアイロンで皺を取る。これは訓練所では扱ったことがないので、ジゼルに教えてもらいながら、なんとかこなした。
 丁寧に包むと、ジゼルは手鏡で身だしなみを整え始める。それをアリスが不思議そうに眺めていると、ジゼルが苦笑した。

「一応王宮内を歩くから、時々身だしなみを確認できるように手鏡を持った方がいいわ。私たちが使う通路では王族の方々と会うことは少ないけれど、いつお会いしても粗相のないように、整えなければ」
「はい」
「今日は私がやってあげるわ」

 ジゼルの厳しい目がアリスを頭の先からつま先まで、細かくチェックすると、どこから出したのは、小さなピンを数本、口に咥えた。

「サイドをもっとピンで留めなきゃ」
「はぁ……。ぐっあ!」

 髪が強く引っ張られる感覚に、思わず声を漏らすが、ジゼルはそんなもの聞こえないとばかりに、グサグサとピンを差しこむ。ありとあらゆる場所で髪がググッと引っ張られ、顔全体の皮膚が引っ張られる気がした。

「はい。これでいいわ。じゃあ行きましょう」
「はい」

 渡された手鏡を見ると、やけに引きつった顔のアリスがいた。
 毎朝、こんなにピンで髪を留めなければならないのだろうか……。一本もはみ出さないほどに丸く出来上がった頭に、刺繍の入った白い布の室内帽を被った。そうすると、殆ど髪は隠れてしまうのだが、ジゼルにとってはそういう問題ではないらしい。

「こっちよ」

 廊下を曲がり、階段を下りる途中にある小さなドアをジゼルが指差す。勤め人専用通路の入口だ。
 ドアは小さいが、通路は意外と広い。向こうから来た人ともすれ違える程の幅と、大柄な男性でも屈まず通れるくらいの高さがあるため、アリスにとっては窮屈には感じなかった。
 大体は、階段横から階段横へ、本来の廊下の下を通っているため、迷わずに済みそうだ。
 確かに、これだと王族の方々には滅多に会うなく、仕事をすることができる。王族に会いたい人たちにしてみれば、残念な造りだろう。それなのに、王宮勤めの方が人気だというのが、本当に不思議だった。

「ここから出ると、届け先のメイドルームが近いわ」
「はい」

 こういう風に、騎士訓練所への届け物があることもあるのだろう。早くその日が来ればいいのに……なんてことを考えていたら、前を歩いていたジゼルが「まあ!」と声を上げたため、何事かと廊下を見た。すると、慌てたように廊下から消える後ろ姿だけが見えた。刺繍をふんだんに使った贅沢な服に、一目見ただけで分かる磨き上げられた革靴、そして、煌めく銀髪――。

「驚いた……。まさか、こんなところにラウル殿下がいらっしゃるなんて……」
「なんだかお急ぎでしたね?」
「こちらを驚いたように見てらしたわ。私も突然のことで、お辞儀できなかったわ……。どうしましょう、後で叱られるかしら……」
「ええ~、出会い頭じゃ、仕方ないですよ」
「そうだけど……。そんな、事故みたいに言わないでちょうだい。皆が聞いたらすごく羨ましがられるような出来事よ」

 そんなものだろうか。
 アリスは首をかしげながら、メイドルームに入った。


(なんで、ここにアリスがいるんだ!)

 王宮内でアリスを見たラウルは、急いで横の廊下に入った。側近のフレデリクも驚いたように後に続く。

「殿下。いかがなさいました」
「……いや、ちょっと用事を思い出した。ところで、勤め人の異動があったのか?」
「さあ……。自分は聞いておりませんが」

 アリスが王宮内にいた。あのお仕着せは、訓練所のものではなく、衣装部のものだ。
 こんな時期に異動なんて、一体なにがあったのだろう。しかも、命じられたのはアリスだ。一体、誰がいつ命じたのだろう。
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