次期国王は独占欲を我慢できない
「まあ! まあまあまあ! アリスったら。綺麗になって!」

 アリスを見るなり、義姉であるオルガが満面の笑みで駆け寄ってくる。
 風になびく金色の後れ毛、まっすぐアリスを見つめる明るい青の瞳。成人の息子を持つとは思えない、シミひとつない白い肌は、それでも病的な白さではなく、うっすらとピンク色に染まっている。小さな顔の下のはすんなりと伸びた長い首があり、瞳の色にあった青い宝石のペンダントがよく映える。
 つまり、オルガはリュカそっくりだった。
 そんなオルガから「綺麗になった」と言われても、なんの冗談かと思ってしまいそうになるが、オルガの本心だということは分かっていたので、アリスはへらっと笑い返した。
 元々、フォンタニエ男爵家は貴族院としての地位も、一族の風貌もとても地味だ。
 現に、兄のアルマンと長男のレオンは、アリスと同じく凹凸の少ない顔立ちに、光沢のない茶色の髪の持ち主だ。そのため、この家族が揃うと、オルガとリュカの美貌が目立つ。

「あら、その指輪ね? お義母さまが贈ったのは」
「はい」
「リュカも嬉しそうにしていたわ。――ねえ、アリス。リュカが面倒臭くなったら、バシーッと言ってやってちょうだいね?」
「えええ?」

 話の展開についていけないアリスが驚いていると、後ろから不機嫌そうな声が飛んできた。

「お母様、変なことを言ってアリスを困らせないでもらえますか?」
「リュカ。だってあなた、昔からアリスべったりで……。いい? アリスもそろそろ生涯の伴侶を探し始める頃だし、あなただってアリスと結婚できないことは分かっているでしょう?」
「それは……!」
「リュカ!」

 反論しかけたリュカだったが、オルガの強い口調に悔しそうに唇を歪めた。
 到着早々、おかしな空気になってしまった。それが伝わったのか、奥からアルマンが出て来て明るく話しかける。

「そんなところで話し込んでないで、皆にも会ってやってくれ」
「皆?」
「あ、そうそう!アリスが来るって言ったら、兄妹全員集まってくれたのよ!」
「ええっ?」

 兄や姉たちと会うのは、何年ぶりだろう?それぞれが忙しくなり、ドミニクとロクサーヌも年をとりあまり出歩かなくなったこともあって、ここ数年は手紙のやりとりだけになっていた。
 本来ならば、社交界デビューの挨拶で王宮を訪れた際、再会する予定だったのだが、直前のドタバタでそれも流れてしまったのである。
 他のお客様もいらっしゃるということで、飛び出していくわけにもいかず、アリスは逸る気持ちを抑えて、アルマンとオルガに続いてサロンに向かった。
 窓が大きく、庭に面し明るい陽射しが入るサロンは、色鮮やかな花々で飾られていた。その中にある懐かしい面々に、アリスの顔は自然と緩む。

「グレース姉様、エミール兄様、マノン姉様!」
「アリス!!」

 一番上の姉グレースは、今は結婚して夫婦揃って離宮で働いている。夏の間避暑で利用される離宮は、王都の遥か北側にあるが、今回のお茶会のために夫婦揃って王都に来ていた。
 二番目の兄エミールと姉マノンは双子で、エミールは騎士を経て、民間の警官となり王都で働いている。マノンは王都一番のレース編みの店に嫁ぎ、今では本店を仕切っている。
 長男のアルマン以外は、平民になったわけだが、安定した職を得て自立していた。いずれはこんな風になりたいと、アリスが尊敬する兄姉たちである。
 一通り挨拶をした後は、久しぶりの兄姉の輪に加わった。リュカはといえば、お客様たちに捕まっている。元々、彼らの目的は王宮でも話題の美青年リュカと親しくなるためだ。アリスは軽く挨拶しただけで解放された。

「その飾り、懐かしいわ。そういえば、母様について行ったロラが得意だったわね」

 ロラとは、アリスに布薔薇の作り方を教えてくれた古参のメイドだ。
 布薔薇は、以前全国的に流行ったことがあったのだそうだが、その後丈夫で光沢のある刺繍糸が増えると、レース編みが発展し、布飾りは衰退していったのだそうだ。
 大体、端切れを使うというのが貧乏くさいと敬遠する貴族もいたというのだから、驚きだ。布もレースもリボンも、たっぷりと豪快に使うのがステイタスらしい。
 今のドレス飾りも、模様も大きさも様々なレース編みを多用するのが流行となっている。そのため、マノンは大忙しのようだ。

「最近はね、同じモチーフを長くヒモ状に編んだレースを、サテンのリボンに縫い付けたりするの。華やかなのに使い勝手がいいと評判なのよ」
「へぇ~。そうなんだ」
「アリスも、今王宮の衣装部にいるんでしょう?宣伝しておいてよ!」

 王宮の衣装部にも壁一面に取りつけられた大小の引き出しに、布やリボン、レースにボタンと、素材が沢山用意されている。だが、レースで飾られたリボンは見たことがなかったので、一度ポリーヌに話してみると、約束した。

「ところで、アリス。それなあに?」
「あ、これ!アルマン兄様好きだったから持ってきたんだけど、皆もいて良かった!」

 アリスは持っていた小さなカゴから、瓶を取り出した。すると、グレースの瞳が輝いた。

「これ!干し柿ペーストね?」
「そう。実は厩舎のマルセルさんと親しくなって、裏の柿をもらったの。昔領地でよく食べたの、覚えてる?」
「勿論よ~。ねえ、オルガ。スコーンにつけたらきっとおいしいわ。アルマン兄様に頼んでもらえる?」
「ええ。わかったわ――」
「僕がシェフに頼みに行きますよ」

 やって来たのは、レオンだった。
 アルマンはリュカを取り巻く輪の中にいる。リュカがおかしなことを吹き込まれないように、見張っているのだろう。
 レオンは次期男爵ということで、アルマンの秘書のような仕事をしている。たまに貴族院に顔を出すこともあるようだが、貴族院の建物にはまだ入ったことがないので、出くわすこともなかった。
 リュカは幼い頃静養のため一緒に過ごした時期があるが、レオンとはたまにしか会うことがなかった。それでも、アリスにとっては兄のような大切な存在だ。――実際は甥だけれど。

「レオン!久しぶりね」
「本当に久しぶりだね。なかなか王宮に行く機会がないんだけれど、うまくやってるかい?」
「ええ、勿論よ。――あら?」

 レオンの首元から、どこかで見たようなチェーンが見える。そんな視線に気づいたのか、レオンが苦笑した。

「――おばあさまが、僕にもくださったんだ」
「わあ!レオンともお揃いなのね!」

 考えてみれば、そうなのだ。レオンも、ロクサーヌにとっては可愛い孫なのだから、リュカに贈るならレオンにも贈るはずだ。
 グレースにもエミールにもマノンにも子供はいるが、まだ幼いため、さすがに彼らには贈っていないだろうけれど。

「女物の指輪を身につけろだなんて、正直戸惑ったんだけどね……」
「お母様は、言い出したら聞かないから。本当のパートナーが現れるまでのお守りって言うもの。それまではつけてあげて」
「そうは言っても、その女性に勘違いされたりしないかな?」
「え~……って、レオン!そういう方がいるの!?」
「えっ!?い、いやいやいやいや、まだ、そんな、僕はっ」

 慌てて否定するが、レオンの顔は真っ赤だ。レオンはリュカと違って、ポーカーフェイスが下手だ。それでは、想い人がいると言っているようなものなのに。勿論、そこに食いついたのはオルガだった。

「えっ?レオン、あなたそれどういうこと?どこのお嬢さんかしら?貴族?それとも――」
「あっ、じゃあ僕、これを厨房に持って行くから!」

 レオンはオルガの追及を逃れるために、急いで立ち去った。
 場が場だけに、オルガも客を残して部屋を出るわけにはいかなかったが、お茶会が終わった後で問いつめるだろう。
 アリスが引っかかったのは、レオンの言葉だ。

『その女性に勘違いされたりしないかな?』

 ドキリとした。
 特定の相手がいないのであれば、お守りとして、抵抗なく身に着けることができる。
 実際、受け取った時のアリスはそうだった。
 それが流行っていると聞いていたし、母の気持ちが嬉しかったからだ。
 でも、今は違う。
 勘違いされたくない人が、頭に浮かんだ。

「あ~、もう。レオンの想い人って、誰なのかしら?」
「ねえ、異性のサイズの指輪をこうして身に着けていると、どう勘違いされるかしら?」
「そりゃ……。そういう相手がいるのかなって思うさ。なかなか会えない相手と、お互いの物を交換するなんて、俺たちの時代にもあったもんだ」

 エミールが遠い目をして、当時を思い出すように語り出したが、アリスの耳を素通りする。
 神妙な顔つきで黙り込んでしまったアリスを見て、今度は矛先がアリスに向いた。

「なに?アリス、好きな人ができたの?」
「えっ?」
「なにっ!?そうなのか?どいつだ?なんていうヤツだ?」

 そんなこと、聞かれても困る。
 彼がしている仕事は言えない。それに、名前なんて知らないのだ。そんなことを白状しては、絶対に彼への想いを反対されてしまう。
 アリスはこの追及からなんとか逃れようと、頭をフル回転させた。

「ううん。流行りだって聞いたから軽い気持ちでつけたけど、私もいずれ皆みたいに素敵な相手と出かけたいから、出会いが減るのは困るわって思って」
「ああ~、そうねえ。流行りとはいえ、そういう弊害はあるかもしれないわね」
「リュカは嬉々としてつけてる気がするけどな」
「リュカは恐ろしい程にモテるのよ。だから、いいように使ってるんじゃないかしら」

 いいご身分だ。
 リュカはあれ程モテるのに、特に気になる女性はいないようだ。
 アリスにばかりかまけていて、おかしな噂をたてられているが、リュカこそどう考えているのだろう。
 確かに、オルガに心配されても仕方がないかもしれない。

「アリスは本当にそういう相手はいないのね?」
「う、うん!」
「でも、レオンは怪しいわ。後で追及しなきゃ」

 オルガは決意したように、拳を握りしめた。
 アリスは心の中で「レオン……フォローできなくてごめんね」と、レオンに謝った。


 * * *


 久しぶりにドレスを着て出かけて、帰った時にはぐったりと疲れ切っていた。
 普段着のワンピースに着替えると、やっと深呼吸できる気がした。
 王族の方々はいつもこんな思いをしなくてはならないのだ。そう考えるとゾッとする。
 立場上、憧れられ、羨ましがられることが多いだろうが、気が休まることもなければ、ウエストもぎゅうぎゅうに締め上げられなければならないなんて、大変だ。
 お腹が楽になると、急に空腹を感じて、アリスは食堂に向かうことにした。
 干し柿のペーストは、スコーンにもとてもよく合って、兄姉たちだけではなく、お客様にも喜んでもらえた。兄姉たちが全員揃っていると知っていたら、瓶をもうひとつ持っていけばよかった。
 食堂に着くと、いつものテーブルに、マリアとアネットという、いつもの顔ぶれが見えた。

「アリス、戻ってきていたのね」
「うん。お腹空いちゃった」
「私たちも、今来たところよ。一緒に食べましょう」

 食事が乗ったトレーを持って、ふたりがいるテーブルに向かう。だが、そのふたりの視線は、アリスを通り過ぎて更に後方に向けられていた。

「なに? どうしたの?」

 振り向くと、食堂の入口には誰かを探すヴァレールの姿があった。

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