次期国王は独占欲を我慢できない
 善は急げ、とばかりに、マノンはニナの店に向かった。
 はにかみながら髪留めの特徴を話すアリスの、なんと可愛いことか。思い出すだけで、マノンもにまにましてしまう。

(いままで、紫なんて選ぶことなかったのに……)

 アリスはその明るい性格から、黄色やオレンジなど、パッと華やぐ色を好んでいた。それが、髪留めもリボンも紫を選んだのだ。
 話す時、かすかに声が弾んでいたことに、自分では気が付いていないだろう。
 アリスにあんな表情をさせた相手は、一体どんな人なのか――いつか知る、その時が楽しみだ。

「ニナ、いる?」
「あら、マノン!」

 落ち着いた接客で有名なニナが、今日はやけに上機嫌だ。

「あのね、花の形の髪留めが欲しいの。中央に紫の石がついてるのがあるんですって?」
「あ~。ごめん、それ売れちゃったのよ」
「ええっ!?さっきまであったんでしょう?私の妹がとても気に入って、プレゼントすることにしたのに!」
「う~ん。ごめん!本当についさっき売れちゃったの。しかも、誰が買ったんだと思う!?」
「そんなの、どうでもいいわよ。あ~、もう……どうしよう。ねえ、似てる髪留め、ないかしら?」

 温度差のあるふたりの会話は、なかなかかみ合わない。
 すると、店の外が騒がしくなった。

「もう……一体なに?今日はなんだか騒がしいわね」

 マノンが店のドアを開けると、外の喧騒が飛び込んでくる。
 忙しなく行き交う人々の中には、慌てた表情や、怯えもあった。

「職人通りか?」
「ああ。女の子が襲われて――」
「同じ強盗か?最近は本当に物騒だな」

 職人通り――女の子――マノンの顔から血の気が引いた。

「いやあね、強盗ですって。職人通りは大通りから入った場所とはいえ、王都のど真ん中よ?上に掛け合っても、なかなか警備を強化してくれない……って、マノン!?」
「私、行かなきゃ!」
「ちょ、ちょっと!どうしたの!?」

 慌ただしく店にやって来たかと思うと、今度は青い顔をして飛び出して行ってしまった。
 ニナはそれを、ぽかんと見つめた。

(どうしよう……!強盗?最近のって、なに?)

 先ほど聞こえてきた声では、最近路地裏に強盗がよく出没するという話だったが、マノンは初耳だ。
 勿論、知っていたら、近道だからと職人通りを通る地図なんて書かない。
 今回襲われたのは、ひとりで歩いていた女の子ということだ。どうか、アリスではありませんように。心の中で強く願いながら、必死で足を動かす。冬用のマントが重く思うように進まないのがもどかしい。
 息を切らしながら職人通りへと続く角を曲がると、人だかりが見えた。

「アリスっ……!どこっ?」

 震える声で呼ぶ声も、ざわめきの中に消える。
 マノンがなんとか人だかりの中を割り込もうとした時、急に集団が、まるで花道を作るかのように左右に割れた。そこにいたのは、ラウル殿下だった。しかも、汚れたマントを着た少女を抱き上げている。
 ラウル殿下の険しい表情に、一瞬たじろいだマノンだったが、少女のマントの下から見えた見覚えのあるワンピースに悲鳴を上げた。

「アリスッ!!」

 駆け寄ろうとしたマノンを、逞しい腕が抱き留めた。

「待て!マノン、落ち着け!」
「エミール!離して!!」

 マノンを止めたのは、先に到着していたエミールだった。
 通りの端には、汚れた服を着た男が警察官に押さえつけられていた。あいつがアリスを襲ったのだろうか。マノンの胸の中を怒りの感情が渦巻く。

「あの男なの!?アリスを襲ったのは!」
「ああ。だが、アリスに大きな怪我はない。転んで気を失ったところに、殿下が来てくださったのだ」
「まったく!こんな王都のど真ん中に強盗なんて!警察官(あんたたち)は一体、なにをしてるのよ!」
「落ち着け!頼むから!!」
「取り乱すのも仕方がない。だが、今やるべきことは、彼女を医師に診せ、そして犯人を取り調べることだ」

 冷静なラウルの言葉に、マノンがハッと我に返る。
 慌てて腰を下ろすが、それをラウルが止めた。

「礼はよい。ところで、ふたりはアリスの知り合いか?」
「は、わたくしは兄でございます。こちらも、アリスの姉にあたります」
「簡単に、事情を聞かせてもらえるか?」
「は、はい……」

 いつの間にか、周囲からは野次馬が消えていた。どうやら、ラウル殿下の側近が追い払ったようだ。
 野次馬がいなくなった通りに、豪華な馬車がやって来た。ドアには、王族の紋章が入っている。
 なにやら大事(おおごと)になってしまったと、マノンは息を呑んだ。

「まず、なぜアリスはここをひとりで歩いていたのだ?」
「申し訳ございません。わたくしの店を訪ねて来たのですが、兄の――このエミールのことですが、この兄にも会って行きたいということで、店からエミールのいる警察官の詰所までの近道を教えたのです」
「お前……!このところ、強盗が出ると噂になっていただろう!」
「知らなかったんだもの!……あっ、申し訳ございません。このところ、店で作業にかかりきりだったもので、世間の噂に疎くなっておりました。知っていたら、勿論大通りを行かせました」
「いや、こればかりは仕方がない。早く捕まえて欲しいという要望は上がっていたのだ。だが、視察が今日になってしまった。なんとか間に合ったが、本当は事前に防ぎたかった」

 ラウルが悔しげに、声を絞り出す。
 アリスを抱く手は、心なしか震えて見えた。

「あの……。お手を煩わせるのは申し訳ありませんので、妹はどうかわたくし達に任せてもらえないでしょうか」
「そうです。近くに診療所もありますし、我々で運び……」
「いや、このまま王宮に運ぶ」

 エミールの言葉を遮るように、ラウルが強い口調で断る。その勢いに、ふたりは一瞬唖然とした。だが、アリスのマントはだいぶ汚れている。一国の王子にこのまま預けるのは心苦しい。

「彼女は王宮勤めだ。我々が預かっている身で、このような危険な目に遭わせてしまった。責任は私がとる」

 そう言われると、もう引き下がるしかない。
 頷きながらも、マノンはぐったりとラウルに身を預けているアリスを気遣った。

「あの……ところで、アリスは本当に大丈夫なのでしょうか……」
「ああ。ただ、少し派手に倒れ込んでしまったため、無理に起こさずにこのまま運ぼうと思う」
「頭を打っているかもしれないということだ。ここは殿下にお任せしよう」
「……わかったわ。殿下、どうかアリスをお願いいたします」
「勿論だ。エミール、その男は君たちに任せる」
「はい」

 ふたりと、数人の警察官が見守る中、ラウルはアリスを抱きかかえたまま、馬車に乗り込んだ。そっと腰かけに座らせると、すぐ横に座り、アリスの上半身を自分の身に預けさせ柔らかく抱く。側近が静かにドアを閉めると、御者が馬を走らせた。けが人がいるからか、ゆっくりと静かな出発だった。

「……アリスを側近に預けるのかと思ったわ……」
「ずっと殿下が離さなかったな。きっと、責任を感じてらっしゃるのだろう」

 責任を感じたら、ああしてずっと抱いているものだろうか?

「それに、アリスの名前がすぐに出たわ。エミール、アリスの名前を教えたの?」
「いや。俺たちが駆けつけた時にはもう、犯人はフレデリクにのしかかられて、のびていた。殿下はアリスを抱き起こそうとされていて……その時には、もう名前を呼んでいらしたぞ?」
「――もしかして、侍女の名前を全て覚えてらっしゃるのかしら」
「侍女?なんのことだ」
「アリスったら、今はベアトリス王女殿下の侍女をしているのですって」
「なんだって?すごいじゃないか!」

 とはいえ、自分の侍女でもないアリスのことを覚えているとは、さすが次期国王ということだろうか。

(そういえば、ラウル殿下はとても美しい紫の目をしていらっしゃるのよねぇ)

 こんなに間近でお目にかかるのは初めてだったが、吸い込まれそうな神秘的な瞳をしていた。

(でも……まさか、ね)

 アリスが紫を選んだきっかけが、ラウル殿下であるはずがない。
 マノンは頭に浮かんだ考えを打ち消した。


 * * *


「殿下。それでは狭いのではないですか。彼女をこちらに――」

 断るだろうな、と思いながらも一応、フレデリクは提案してみた。

「いや、いい」

 案の定、ラウルは即答する。

「では、そのマントだけでも。かなり汚れておりますし、気を失っている間に土埃を吸い込んでしまったら大変です」
「……それもそうだな」

 手を貸そうとしたが、それも断られ、フレデリクはラウルがアリスを抱えながらマントを外すのを見守っていた。
 ゆっくりと、そっと、まるで宝物を扱うような手つきは、犯人と対峙した時と真逆だった。
 アリスを大通りで見つけたのは、本当に偶然だった。
 最近、路地裏でひとりになった女性を襲う強盗がいるとの情報で、警察官の詰所に行くところだった。
 犯行が夕刻から夜、人通りも少なく暗い中でおこなわれることから、少し早めに裏通りを調査してみることにして、路地裏に向かった。悲鳴が聞こえたのは、その時だった。
 顔色を変えたラウルが走り出し、フレデリクが後を追う。今思えば、その声がアリスのものであることが、わかったのだろう。
 角を曲がると、男がアリスの髪を掴み上げ、引き寄せようとしていた。

「殿下、ここは私が――」

 だが、フレデリクの声を無視して、ラウルが既に飛び出していた。

「殿下!」

 その声にギョッとしてこちらを向いた男に、ラウルが殴りかかる。
 ラウルの勢いにアリスから手を離した男だったが、ラウルの怒りは収まらない。殴られた顔を押さえ、抵抗らしい抵抗もできない男の腹を蹴り、地面に倒す。男は地べたに転がると、手を振って降参の意思を示したが、それを見たラウルは、腰の剣に手を伸ばした。

「殿下!いけません!」
「止めるな!こいつの腕を、斬ってやる!」

 怯える男の手には、掴みあげた時に抜けたアリスの髪が絡みついていた。かなり強い力で引っ張ったのだろう。だが、ここで怒りのままに剣を振るっては、後々面倒なことになる。

「殿下、こんな男は私にお任せください」

 反論しかけたラウルだったが、アリスのうめき声が聞こえて、アリスの元に駆け付けた。

「アリス、アリス!大丈夫かい?ああ、ごめんよ。遅くなって」
「…………っ」

 だが、なにかを話そうとして、アリスはそのまま気を失ってしまったのだ。そんな彼女を、ラウルが手放すはずがない。
 片手で抱えながらマントを外すのは少し手間取ったが、ようやく外し終えると、ラウルは顔を顰めた。
 頬の下から顎にかけて、擦り傷ができていたのと、相当強く掴まれたのか、手首に痣が残っている。

「あの男……!やっぱりあの場で切り捨てれば良かった」
「あの男は、民間の警察に任せましょう。エミールさんが悪いようにはしませんよ」
「彼は、アリスの兄と言っていたが、フレデリクも知っているのか」
「はい。エミールさんは、私が騎士になった時の隊長でした。彼は騎士を引退してから民間の警察官になったのです」
「……それを知っていて、俺に言わなかったのか」
「報告はもういらない、と途中で止めたのは殿下ではありませんか」

 なにも言い返せないのか、ラウルが口を噤む。

「う……」

 モゾモゾと身体を動かすと、アリスは痛みを感じたのか、少し顔を歪めた。

「アリス?気がついたのか?大丈夫か?」
「……さ、寒い……」
「寒い?待ってろ」

 ラウルは自分が着ていたマントを器用に片手で脱ぐと、アリスを包み込んだ。
 暖かくなってホッとしたのか、またアリスはうつらうつらと目を閉じる。
 
「アリスは、リュカの単なる遠縁というのではないと言っていたな?」
「アリス嬢は、リュカの叔母に当たります。現フォンタニエ男爵家の当主、アルマン・フォンタニエの末妹です。ただ、アリス嬢が生まれたのは、前当主夫妻が隠居した後のため、男爵家の生まれでありながら、正式には男爵令嬢とはならなかったのです。本人は、リュカより年下なのに叔母という立場であることに抵抗があったようです」
「そうか」

 あの時、全て聞いていたら、もっと事は単純だったのかもしれない。
 でも、少し回り道をしたからこそ、ラウルの想いも強くなったのだ。
 もう、アリスを離したくない。
 自分の腕の中で安心したように眠るアリスの寝顔を、ラウルはじっと見つめた。

「んん……」
「……アリス?」
「……ああ、やっと会えた……」

 薄く目を開け、ラウルを見て呟くアリスに、ラウルは胸が締め付けられた。
 アリスはラウルを見ているが、ラウルを見ていない。その証拠に、一瞬間を置くと、彼女はガッと目を見開いた。

「で、ででっでっでっででん……!」

 慌てて飛び起きようとして、眩暈がしたのか、ふらりと頭が揺れる。そんなアリスをラウルが抱きしめ直すと、落ち着かせるようにゆっくりとアリスの背中を撫でた。

「アリス、落ち着くんだ」
「いえ、でも……あのっ」

 驚き強張る身体をほぐすように、大きな手が撫でる。
 知らない手なのに、とても良く知る手のようで、アリスの身体から少しずつ力が抜ける。
 知らない声なのに、とても恋しい声に聴こえる。
 話したこともないのに、なぜこうも切なく耳朶に響くのか。なぜ、自分の名を呼ぶ声が、こんなにも優しいのか――。
 アリスはとても混乱した。

 あの人ではないのに、なぜあの人を感じてしまうのだろう。
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