次期国王は独占欲を我慢できない
 クラクラする頭が徐々にはっきりしてくると、アリスは、今置かれている状況が非常にマズいものだと感じていた。
 新米の侍女、しかも下っ端の小間使いが、王族の方々が使う立派な馬車で、ラウル殿下に介抱されているなど、なんの悪い冗談かと思ってしまう。
 しかも、何度か身体を起こそうと試みてはみたものの、ことごとく失敗していた。
 今もまた、起き上がろうとしたところ、肩に置かれたラウルの手に力が込められ、あえなく撃沈だ。

「あ、あの……、私、もう大丈夫です」
「ダメだよ。頭を打って気を失ったのだから。医師の判断がおりるまで、起き上がってはいけない」

 この押し問答も、もう何度か繰り返していた。
 いや、意識はハッキリしている。
 目の前はちらつかないし、自分の名前だって今の仕事だって、どうして王都に向かったのかも覚えて――。

「あっ!」

 飛び起きようとして、またラウルの手に押さえられ、腕の中に逆戻りだ。しかも大きな声を出したものだから、少し頭に響き、呻き声を漏らす。

「ほら、だから大人しくしていてと言ったのに」

 いや、これが大人しくしていられるだろうか。
 アリスはベアトリスの小間使いだ。今日は休日だったとはいえ、ベアトリスのための買い物に来たのだ。買い物すらロクにできないとなると、小間使い失格だ。

「急に大きな声を出して。一体どうしたんだい?」
「ベアトリス様のお買い物に行っていたのです。私、紙の包みを持っていませんでしたか?」

 どうしよう。
 せっかく素敵なリボンを見つけたのに、どこかに落としてしまっていては、ガッカリされてしまう。
 ベアトリスは、アリスのアレンジをとても楽しみにしてくれていた。その期待に応えられないのは辛い。

「大丈夫だよ。それはフレデリクが持っている」
「はい。ここにありますよ」

 向かい側の腰掛けに座る、逞しい青年が紙の包みを見せてくれた。彼がフレデリクなのだろう。服装やラウルと一緒に馬車に乗っていることから、彼の側近といったところか。
 良かった――アリスはほっと胸をなでおろした。

(……ん?)

 アリスの中で、違和感が生まれた。
 なぜ側近のフレデリクが、ひとりでゆったりと座っていて、ラウルが窮屈な格好で、下っ端侍女を介抱しているのだ。おかしいだろう。

「あ、ありがとうございます」

 礼を言いつつ、アリスはこの状況をなんとかして欲しいという気持ちを込めて、フレデリクをじーっと見た。

「……なんでしょう」
「いえ、あの、フレデリクさんのお隣が空いているようですから、私はそちらに移動した方が――」
「ダメだよ。フレデリクは俺より体格がいいし、なにかあった時には、最初に動かなければならない。それに、エミールたちに君のことは任せてもらったんだ。だからアリスはここにいればいい」

 な、なぜ……!
 アリスは項垂れた。
 しかも、名前はエミールから聞いたのだろうな、だからといってどうしてそんなに親しげに呼ぶのだろう。

「……諦めてください」

 なぜかフレデリクがため息混じりに、そうアリスをなだめた。

(エミールお兄様……。そうだ、私エミールお兄様に会いに行く途中だったんだ。そりゃこんな騒ぎになったんだもの。警察官のエミールお兄様が駆けつけるのも当然ね。ああ、こんなことになって、マノンお姉様にはエミールお兄様が説明してくれるかしら)

 ふたりから掻っ攫うように、ラウルに連れて来られたことを、アリスは知らない。
 ただ転んで気を失っただけなのに、兄姉たちは気を揉んでいることだろう。

(あとで手紙を書いて、心配無用だって知らせなきゃ)

 困ったことになった、と考えていると、大きな手で視界を遮られた。

「え、あの……」
「なにを難しい顔をしている?君は頭を打ったんだ。今はなにも考えず、休みなさい」

 視界が暗くなり思考が止まると、確かに少しジーンと頭が重く感じる。
 あれこれ考えを巡らしていたことが、顔に出ていたのだろうか。
 考えることを諦め、アリスは静かに目を閉じる。
 ラウルの手は、アリスの目を覆ったままだ。瞼にあたたかな闇を感じ、アリスは身体から力を抜いた。 
 トクン、トクン。
 耳に、ラウルの規則正しい心音を感じて、馬車の揺れに体を任せていると、なんだか安心する。
 だがそれも、フレデリクが口を開けるまでだった。

「まもなく到着いたします」

 うつらうつらと、再びの夢と現実の境目を漂っていたアリスの意識がハッキリした。

(どうしよう!私がこの馬車にのっていることって、マズいよね⁉)

 だが、起き上がろうとしたところを、またラウルに戻されてしまう。

 困る。それは困る。
 王族の到着時は、侍女や近衛(ヴィオレ)が出迎えることになっている。そんな人たちの視線に晒されるなど、まっぴら御免だ。

「あ、あの……。申し訳ありませんが、私だけ門の手前で下ろしていただけないでしょうか」
「なにを、乗合馬車じゃあるまいし」
「フレデリク、乗合馬車とはなんだ」
「平民の間で使われている交通手段です」
「なかなか良いアイデアだ」

(そんな事を話してる場合じゃないんですけど!)

 つまりは却下らしい。
 確かに門の手前でこの馬車が止まれば、それはそれで視線を引いてしまうだろう。
 ラウル殿下はよく女性と逢い引きしているのではなかっただろうか?どうして、この状況がよろしくないと気づいてはくれないのだ。

(あ、違うわ。逢い引きだと噂されていたのは、マルセルさんのところに行ってたっていうのが真相だっけ……)

 それなら余計、よろしくない。
 アリスのような下っ端が、一緒の馬車に乗るなど、どんな騒ぎを起こすか自覚がないなら、余計よろしくない。
 なんとかしなければ。
 またジンジンし始めた頭で、なんとか考える。

「あ、あの、でしたら私だけ馬車に残してくださいませんか?」

 そうだ。アリスが助けられたことを、御者は知っているはずだ。
 馬車が王宮から離れ、馬車棟に移動してから、下ろしてもらおう。

「なにを言っているんだ、アリス」
「頭を打って混乱しているのかもしれませんね」
「それは大変だ」
「さ、着きましたよ」

(いやぁぁぁ!)

 せめて顔を隠そうと、身体を包んでいたマントを掴む。その手触りは、慣れ親しんだ分厚いだけの使い込んだものではなく、柔らかで滑らかな手触りの高級品だった。
 なんと、自分のだと思っていたら、ラウル殿下のマントにくるまれていたのだ。

「あ、あの……私のマントは……」
「フレデリクが持っているが……これはもう擦り切れて使い物にならないぞ」
「いいんです!それがいいんです!」
「アリス……なにを言っているんだ。早く医師に診てもらおう」

 せめて、せめて自力で歩こう。
 ふたりの後を、マントを頭からかぶってソロソロ歩こう。だが、そんな気持ちをラウルが汲むはずもない。ラウルが身体を反転させたかと思うと、あっという間に膝下と脇に手を差し入れられ、アリスはラウルの上に乗せられていたのだ。

「はっ?えっ?んんっ?」
「では、行こうか」
「はい」

(嘘でしょ嘘でしょ嘘でしょ⁉)

 アリスはラウルによって、まるで赤ん坊のように横抱きにされた。

「いや、ここここここれはさすがにいけないと思います!はい、ダメです!」
「暴れたらダメだよ?なにがなんでも落とさないけれど、アリスにはそのマントは大きいから、それで暴れると少し危険だ」
「あああ歩いて降りるのを許していただけないのなら、せめてフレデリクさんに――ヒィッ」

 視界に入ったラウルの顔が衝撃的すぎて、次の言葉はアリスの喉で凍りついてしまった。
 壮絶なまでの美しい微笑みが、そこにあったのだ。ただし、目は笑っておらず、冷たい視線だけでアリスの口を封じたのである。

「それは、絶対に許さない」
「え、あの……」
「……お願いですから、私を巻き込まないでもらえますか。命が惜しいので」

 フレデリクはそう言い残し、さっさと馬車を降りる。

(それは!私の台詞です!フレデリクさん‼)

 アリスは泣きそうになりながら、せめてもと思い、頭までスッポリとマントをかぶった。
 私は人形だ。心はここにない。なにも感じない。目を閉じてそう唱える。それでも、マント越しに感じる冷たい視線はグサグサとアリスに突き刺さった。


 * * *


 マントをかぶろうがなにをしようが、結局部屋まで連れて行かれては、抱き上げられていたのがアリスだということが、瞬く間に広まってしまった。

「ふぅ……」

 ベッドに横たわったまま、ため息をつく。
 有難いことに、ベアトリスから数日の休養を言い渡された。

(怖いなぁ。みんなの反応が……)

 ベアトリス本人が希望しての急な抜擢ということもあり、周りの人間のアリスへの風当たりはきつかった。それをベアトリス自身も分かっていて、普段アリスをそばに置くことはしない。だが、若さ故か、時折ベアトリス自身の感情が優先され、アリスに対する親しみが周囲に漏れることがある。
 一緒に働く仲間から、妬みのような感情をぶつけられるのは辛い。ため息も漏れてしまうというものだ。そんな中、ラウルに抱き上げられて帰ってきたのだから、風当りがきついどころの話ではない。

「風ってもんじゃないわ……。竜巻よ、竜巻。ひゅるる~って飛ばされちゃうわ」

 冗談ぽく言ってみても、悲しいかな。笑えない。

「あ~、どうしてこんなことになったんだろう」

 今日何度目かの呟きが漏れた時、アリスの部屋のドアがノックされた。
 恐る恐る返事をすると、「エリーズよ」と、少し強張った声が返ってきた。
 ――来た。しかも、大物が来てしまった。
 アリスは覚悟を決めて、「どうぞ」と応えた。どうせ避けては通れないのだ。それならば、さっさと済ませてしまった方がいい。
 だが、入って来たエリーズは、見るからにしょんぼりとしており、とても文句を言いに来たとは思えない。

「……ええと……今日のことはですね、まったく偶然でして……」
「ごめんなさいっ!」
「えっ?」

 突然頭を下げられ、アリスはぽかんと口を開けた。

「あなたが強盗に襲われていたところに、相談を持ち掛けられていたラウル殿下が視察中遭遇したって聞いたわ」
「あ~……。そうなんですか。ごめんなさい、私転んで気を失ってしまって、気が付いたら助けていただいていたもので、その辺りはよくわからないんです」
「本当に、ごめんなさい」
「ええと、なにがです?」
「本当は、お仕えしている王族の方々のお使いで出かける時は、馬車を用意してもらえるの。この国は治安がいいとは言っても、やはりお金を持っていることがわかると、おかしな考えを持って行動する者もいるから……」

 エリーズは、それを知りながら、アリスに助言しなかった、という事だった。
 本当は、サラに馬車の手配についてアリスに話すよう指示したらしいが、サラが伝えなかったと聞いても、そのまま放置したらしい。
 良く思われていなかったのは知っていたが、こうして実際に行動に移されるのは、少し怖い。

「それは、皆さん私が嫌だからなのでしょうか」
「……いいえ。嫌ではないわ。そりゃあ、最初に聞いた時は驚いたわ。わたくし達は、それなりに年数を重ねてやっと侍女になれたのですもの。それが、少しドレスのデザインが気に入られたからって、何様かしら、なんて思ったりしたわ。――でも、あなたが望んだことではないのよね」
「まあ……そう、ですね。私自身、衣装部での仕事にやっと慣れてきたところだったので……」
「そうよね。実際働いてみたら、鼻につくところもないし、ベアトリス様と直接関わらない仕事が殆どでも、全然文句も言わないものね。それなのに、わたくし達、あなたに対してすごく意地悪だったわ。本当にごめんなさい」

 一気にそう言うと、エリーズは再び頭を深々と下げた。
 サラや他の侍女も謝りたいと言っていたそうだが、けが人に気を使わせてしまうからと、エリーズが代表してやって来たのだった。

「あなたは、アリソンとは違うのに。一年目で侍女になったからといって、彼女と同じではないのに……。ベアトリス様に叱られて当然だわ……。許してくれる?」
「勿論です」

 アリスの答えに、ホッとしたようにエリーズが微笑む。
 ホッとしたのは、アリスも同じだ。やっと、味方ができたのだから。
 それにしても……こんな風に言われるなんて、アリソンとは一体どんな人物なのだろう?

(まあ、でも……。私とは接することもないかしら)

 相手はラウルの侍女頭。対してアリスは、ベアトリスの侍女の中でも一番下だ。
 普段仕事をする階も違えば、なにより仕事内容が違う。見かけることはあっても、話すことはないだろう、と考えた。
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