次期国王は独占欲を我慢できない
アリス、自覚する
 グンと過ごしやすくなった。
 同僚に受け入れられるだけで、こんなにも環境も気持ちも変わるものなのか。
 まだ仕事には戻らなくていいと言われていたアリスだったが、医師の診断結果が良かったことから、部屋でリボンを縫うことにした。男に掴まれた手首には、まだ赤黒い痣が残っており、動かす角度によっては少し痛むけれど、舞踏会本番は待ってくれないのだ。

「リボンが汚れなくて、本当に良かったわね」
「すごいわ、アリス。こんなに美しいリボンがあるなんて」
「ねえ、今度、お店を紹介してくれる?」

 作業をしていると、暇を見つけてベアトリスを始め、エリーズやサラたちも顔を出してくれた。
 主を部屋に来させるなど、本来あってはならないと思ったのだが、どうやらベアトリスもラウルに叱られたらしい。

「午後から買い物に行くって聞いておきながら、わたくしもそのままひとりで行かせてしまったもの。責任はわたくしにあるわ」
「本当にそうだぞ。俺が出くわしたから良かったものの、少し遅ければもっと大きな怪我を負っていたかもしれない」
「もう、何度も謝ったじゃない。お兄様ったらしつこいんだから。ねえ?アリス」

 なんとも返事がしづらい。
 アリスはうふふふふ~とだけ、笑ってみせた。口角を上げると、擦りむいた頬の下がヒリリとする。思わず顔を歪めたアリスに気づいたラウルがすっ飛んできた。

「ああ、ほら、あまり口を大きく動かしてはいけない。若い女性が、顔に傷が残ったらどうするんだ」

 優しく顎に触れると、アリスの顔を優しく上向きにし、患部を確認する。が、見えるはずがない。アリスの頬から顎にかけては、分厚いガーゼが貼られていた。頬の擦り傷も、大した怪我ではない。ただ、薬だと渡された液体が、やけに染みるのだ。それが乾いてからも動かすたびにガーゼに触れるので、ヒリリとしてしまう。

「あの、大丈夫です」

 やんわりと断るが、ラウルに通じないのは分かっていた。怪我した日から、ずっとこの調子なのだから。
 そう、なぜか見舞いの中に、ラウルが混ざっているのだ。しかも、毎日やって来る。そして、今のようにやたらと世話を焼きたがるのだ。

(……い、居た堪れない……!)

 助けを求め、ベアトリスを見ると、ベアトリスが立ち上がった。助けてくれるのだと、ホッとしたのもつかの間、彼女は真逆の事を言い出した。

「では、わたくしはこれで」
「えっ!」

 思わず大きな声を出し、また頬がヒリリとする。顔をしかめたアリスを、ラウルがたしなめた。

「こら、大きく動かしてはいけないよ」
「は、はいぃ……」
「ごめんなさいね、アリス。今日もサボってしまっては、いくら温厚なオーギュスト先生も怒ってしまうわ」
「行っておいで、ベアトリス。アリスのことは俺に任せて、ダンスの練習を頑張るんだ。マルセルが楽しみにしているだろうしね」

 すると、ベアトリスの顔がポッと赤くなる。
 勇気を出して舞踏会のパートナーにと、マルセルを誘ったところ、受けてもらえたそうだ。しかも、マルセルはダンスの名手でもあるため、あれから練習に励んでいる。
 マルセルがダンスの名手……、以前であれば、どうにも信じられなかったが、今は違う。あの日、マルセルの凛々しい姿を見てからは、そんな話も納得だ。
 恋するベアトリスは、大きな一歩を踏み出していた。

「ベアトリス様、頑張ってくださいね」
「ええ、勿論よ!では、行きますわね」

 ベアトリスが出ていくと、途端に息苦しく感じる。
 アリスの部屋は狭い。そんな空間で、ラウルとふたりきりでいるなど、気まずい以外のなにもない。
 アリスはわざとらしく、明るい声を出した。

「ベアトリス様は最近、一層輝いておられますね」
「アリスは、ベアトリスの恋が叶えばいい、そう思ってる?」
「勿論です!私は、心から応援致しております」
「ふぅん。うまくいったとしても、ふたりの未来は困難が待っているよ。それでも?」

 なぜか、皮肉げに唇を歪めるラウルに、アリスは正面から反論する。

「たとえ困難が待ち受けていても、おふたりが本当に愛し合っていれば、それは乗り越えられるはずです」
「そうかな。君が思っているほど、身分差というのは、簡単ではない。しかも、相手が父より年上ときてる。そんな政略結婚は珍しくもないけれど、恋愛ともなると、好奇の目で見られるだろう」
「そう……かもしれませんが……。身分差がなければ、愛し合えるのでしょうか。思いやれるのでしょうか?心から、相手を知りたいと、そして、その相手を幸せにしたいと、思えるでしょうか。年齢もまた、同じことだと思います」

 確かに、身分差というのは、色々大変だとは思う。
 周りだってなかなか納得しないだろうし、価値観も違うだろう。そこに年齢差も加わると、経験してきたことの差も現れる。そう考えると、身分や年齢の近い立場での恋愛結婚が一番いいのだが、世の中そう上手くはいかない。
 
「ふぅん。そうか。安心したよ」
「え?安心、ですか?」
「そう。そうだな……アリスが、ベアトリスを慕ってくれて、身分差の恋を心から応援していることが」
「当然です。私は、ベアトリス様の侍女なのですから」
「君のような子が、ベアトリスの近くにいてくれて、良かったよ」

 ラウルが嬉しそうに微笑んだのを見て、アリスはハッと我に返った。
 一体自分は、王子殿下を相手になぜ熱弁をふるっているのだろう。
 どうも、調子が狂う。なぜ、こんな会話をふたりきりでしているのだろう。ラウル殿下はお忙しい方だ。ご自分の用事があるだろうに、なぜか立ち去る素振りを見せない。

「あの……、私はもう大丈夫です」
「アリスは、ダンスが得意かい?」
「え?ええと……はい、まあ、それなりに」
「そう、楽しみだな」

 なにがですか、とは聞けなかった。
 …………。
 沈黙が続くが、ラウルが出て行く様子はない。
 やたらと近くでアリスのことはすることを見るため、針を持つ手も進まない。

(居た堪れない……!)

 ここはなんとか、お見舞いを断らなければ。
 アリスは、なんとか失礼にならないようにと、言葉を選び、絞り出した。

「あのぅ……、ラウル殿下。私のことは、大丈夫ですから、もうお見舞いに来てくださる必要はありませんよ?」
「アリス……」
「ラウル殿下は、王都への視察が遅れたことで、私が被害に遭ったと責任を感じているのだと思うのですが、その必要はありません。むしろ、私は、ラウル殿下に感謝しているんです。あの時、ラウル殿下がいらっしゃらなければ、一体どうなっていたかと考えると、今でも恐怖を覚えます」

 アリスが下手に反撃したものだから、相手の男は激昂し、アリスの髪を毟り取る勢いで掴みかかってきた。
 あの形相は今でも時折夢に見る。そして、目覚めてホッとするのだ。

「怖かったことは確かです。でも、痣と擦り傷で済んだのは幸運だったと思います。だから、ラウル殿下が責任を感じる必要など、ないのです」

 アリスは言葉に詰まりながらも、なんとかその思いを伝えた。それをラウルはじっと聞いている。彼に、アリスの言いたいことは、伝わっただろうか。

「――アリスは、大切な人を失うかもしれない、そんな瞬間を味わったことはあるかい?」
「えっ?」

 また、話が少しズレた気がする。
 アリスが困ったように眉を下げ、それでもラウルの問いに答えた。

「そういう経験は、まだありません」
「そうか。――俺はね、あるよ。あの瞬間、どうにかなってしまいそうだった。痛めつけようとしたアイツを、徹底的に壊してしまいたい衝動と、大切な人を失ってしまうかもしれないという、冷たい絶望が、同時に身体の中に渦巻いた。血が沸騰しそうな、でも自分の全てが凍りつきそうな、相反する感情がぶつかって……狂ってしまいそうだった」
「ラウル殿下……」
「俺はね、アリス。そんな思いは、もうしたくない。それには、もう悠長にしていられないと、気づいたんだよ。やっと」

 ラウル殿下は、以前そのような経験をしたのだろうか。それを、先日のアリスの事件で思い出してしまったのだろう。だから、こんなにも責任を感じて、こんなにも、苦しそうな表情(かお)で、こちらを見つめているのだ。
 アリスは自分にそう言い聞かせた。
 そうしなければ、まるで自分に対して語りかけているようで、揺らいでしまう。胸が締め付けられ、ラウル殿下から目が離せなくなってしまう。ラウル殿下に、彼を重ねてしまう――。

 ゆっくりアリスに近づくラウルを、アリスはまるで魔法に掛けられたかのように、ただじっと見つめていた。吐息がかかるほどの距離でアリスを見下ろす、紫の瞳が揺れた。
 ガーゼに覆われた頬に、大きな手が優しく添えられる。アリスは動くことができず、ただじっとラウルを見上げていた。

 黒尽くめの青年も、こんな目をしていた。
 あの日、最後にあった時、彼はこんな風に瞳が揺らいでいた。
 ――彼は、何者なのだろう。
 そして、どうしてラウル殿下は、こんなにも自然にアリスに近づくのだろう。

 目の前にいるのはラウルなのに、黒尽くめの青年を思い出してしまう。
 背の高さも、瞳の色も、大きな手も、驚くほど似ていた。
 これは一体、どういう意味なのだろう。

「あ、あのっ……」

 息をつめていたためか、ようやく絞り出した声は、咽に張り付いておかしな音になった。

「……なに?」
「なぜ、私のことを気にかけるのですか?なぜ、そんなに優しい……でもどこか苦しげな、そのような目をなさるのですか?」
「――わからない?」

 わからない。
 いや、気づきたくないのかもしれない。

 ラウルとの距離が近づくにつれ、チラつく考えがある。
 ラウルの特徴に気づく度に、黒尽くめの青年を思い出す。
 時折見せる表情が、柔らかく響く低い声が、ちょっとした仕草が、アリスを見つめる目が、彼に重なるのだ。
 黒尽くめの青年とは、突然キスされたあれ以来、会っていない。
 最近はラウルと会う頻度が増えて、黒尽くめの青年との思い出が、霞んでしまう気がして怖い。
 ラウルに接する度に思うのだ。
 彼が、ラウルに似ているのだろうか。それとも、ラウルに彼を重ねてしまうのだろうか。それとも――“彼”は、幻だったのだろうか。

 まさか。そんなはずはない。
 
 ふたりの面影はどんどんひとつに重なっていくのに、アリスは心の中でその考えを打ち消した。

「アリス、俺はね――」

 トントン。

 乾いた音が響いた。
 それはとても控えめなノックだったが、この場の空気を変えるのには、充分だった。

「……誰か、来たようです」
「ああ」

「はい、どなたでしょう」

 ドアを開けた先にいたのは、アリソン・フォンテーヌ侯爵令嬢だった。
 色素の薄い白い肌をした、人形のような美少女が、立っていた。微笑みをたたえた様子は、とても可愛らしい。だが、アリスに向けられた視線は、アリスを見ているようで見ていない。少し居心地の悪くなる視線だった。

「ラウル殿下を、お迎えにあがりました」
「は、はい」
「――フレデリクはどうしたんだい?」

 ラウルもまた、先ほどまでみせていた柔らかな表情から一転、態度は丁寧だが、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っていた。

「先方のお相手をなさっておいでです。殿下、まいりましょう」

 ラウルは、その言葉に小さく息を吐くと、アリスの部屋を出た。

「では、アリス。また来るよ。作業もほどほどに」
「お気遣い、ありがとうございます」

 深々とお辞儀をし、ラウルが立ち去るのを待つと、アリスは顔を上げた。すると、そこにはまだアリソンがいて、アリスをじっと見ていた。

「あの……なにか?」
「殿下は、あなたのことは名前でお呼びになるのね」
「え?ええと……」

 ラウルといい、アリソンといい、今日はなかなか会話の意図が見えない相手が多い。
 大体、アリソンを初めて見たのはベアトリスの朝食に同行した時だったが、ラウルはアリソンの名を呼んでいたではないか。まさか、自分の侍女ではないアリスを呼んだのが問題だとでも言うつもりだろうか。
 アリスが困惑していると、アリソンはそれ以上なにも言うことはなく、足早にラウルを追った。

(一体、なんなのかしら……)

 休養のはずだが、これでは気疲れしてしまう。
 アリスはふたりの姿が見えなくなると、ドアをしっかりと閉めて、作業に戻った。

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