次期国王は独占欲を我慢できない
新しい恋の伝説がこの国で生まれてから、一年経ったある日のこと。
アリスはラウルと一緒に、王宮の敷地の端にある、小高い丘に向かっていた。
アリスの右手は、しっかりとラウルの手が繋がれている。その指にはアリスがデザインした指輪があり、もう随分月日が経ったにも拘らず、まだ胸がときめく。
「なにニヤニヤしているの?」
「本当に結婚しちゃったんだなぁと思って。たまに、夢でも見ているのかもしれないなって、思ってしまいます」
「なにを今更」
夢じゃない、とばかりに頬にキスされ、アリスは思わず周囲を見回した。
「ちょ、ちょっと!場所をわきまえてください!」
「見てないって。大丈夫」
ラウルはそう言うが、アリスが後ろを見た時に、思い切りフレデリクと目が合った。すぐに逸らしてくれたが、見られていたことは確実だ。
「だ、大丈夫じゃありませんっ」
口では怒りながらも、顔はどうしても笑ってしまう。こんな突然のキスも、本当は嬉しいのだから、仕方がない。
「ホラ、着いたよ。気を付けて」
「はい」
足元に気を付けながら丘を登ると、頂上には既に人の姿があった。
アリスたちの気配に気づいて振り返ると、チッと小さく舌打ちする。それを隣の女性が窘めた。
「マルセル、こんなところでやめてちょうだい。今日は大事な日なんだから」
「……わかってるよ、ベアトリス。で、なんだってお前たちまで来たんだ?」
「わたくしが呼んだの。ふたりには、見届け人になって欲しいって」
ベアトリスに手招きされ、アリスとラウルもふたりの近くに行く。
ふたりがいたのは、マルセルの元妻、カロリーヌの墓の前だった。
ふたりが一緒に、花束を置く。すると、マルセルが跪いて語りかけた。
「カロリーヌ……。お前の命日に、独身で来るのは、今日で最後だ。お前の愛を知った時、俺は愛なんて望んじゃいけない人間だと思った。そんな崇高なものに、縁がないって思った。でも、それは俺が戦いしか知らねえとんでもないバカだったってことだった。カロリーヌ、悪い。俺は、幸せになる。お前の想いも、全部抱えたまま、幸せになる」
「カロリーヌさん、この方は、わたくしが幸せにしますから、心配なさらないで」
なんというか、ふたりらしい宣言だった。
あの舞踏会の後も、年齢や立場の違いを理由に、マルセルはなんとかベアトリスの目を覚まさせようとした。だが、ベアトリスの気持ちが揺らぐことは一度もなかった。それでも、なかなか恋人関係に発展できない苛立ちはあったのか、ある日突然、マルセルに怒鳴り散らしたのだ。
『あなたは、わたくしが幸せになれないなどと勝手に言うけれど、あなたに決められたくないわ!わたくしの幸せは、わたくしが決めます!わたくしは自分が幸せになるために、あなたも幸せにするの!』
初めこそ、「お前、言ってることが滅茶苦茶だぞ?」と呆れていたマルセルだったが、それが心に響いていたようだ。
マルセルは、マルセル自身をも幸せにすると言い切ったベアトリスに、自分が幸せになる権利があること、そして、そんな未来があることに気づいたのだ。
カロリーヌへの祈りを終え、腰を上げたベアトリスに対して、マルセルはまだ膝をついたままだった。
ベアトリスが「どうしたの?」と肩に触れようとすると、マルセルが再び墓に向かって語り出した。
「カロリーヌ。お前は、口にできない俺への想いを、手紙にしたためてくれていたな。あれを読んだ時、正直、お前の心情はよくわからなかった。でもな――今は、痛いほどわかるんだ。世界よりも国よりも大切な存在があるってことを、こんなデカい身体でも抱えきれない程の愛情ってやつを」
「ま、マルセル?」
「だから、お前には礼も言いたい。こんな俺を想ってくれて、ありがとう。こんな感情に名前があるってことを教えてくれて、ありがとう」
そう言って立ち上がると、マルセルの言葉にポカンとするベアトリスを強く抱きしめた。
「ベアトリス。俺も幸せになりたい。それは、お前と一緒がいい」
「……マルセル!」
泣きながら抱きしめ返すベアトリスを見て、アリスは胸がいっぱいになった。
「これ以上お邪魔するのも悪いから、俺たちは行こうか」
「そうね。じゃあ、このお花をお墓に――あら?」
「どうした?」
「これ……たんぽぽの葉……」
「本当だ。どこかから、綿毛が飛んできたのかな」
見てみれば、丘のあちこちにたんぽぽの葉が点在していた。
「踏まないように、気を付けなくちゃ」
「それより、転ばないように気を付けてくれよ」
「はーい」
少し膨らんだお腹に手を当て、気を付けながら丘を下る。その途中にも、たくさんたんぽぽの葉を見つけた。
「いつか、ここが一面のたんぽぽの丘になったらいいわね」
「そうだね」
* * *
たんぽぽの綿毛は、風に乗ってふわふわと飛んで行く。
北へ、南へ。
風が吹く限り、どこまでも飛んで行く。
川を越え、谷を渡り、高い塀さえも軽やかに飛び越える。そして、たとえ石畳の隙間でも、しっかりと根を張り、花を咲かせる。
そんなたんぽぽに似た少女は、広い王宮で小さな花を咲かせ続けた。
愛を知らない男にも、口に出せない恋に悩む王女にも。そして、素顔を隠す王子の心の中にも。
やがて、その花は王宮全体を包み込む、大きな存在となった。
アリスはラウルと一緒に、王宮の敷地の端にある、小高い丘に向かっていた。
アリスの右手は、しっかりとラウルの手が繋がれている。その指にはアリスがデザインした指輪があり、もう随分月日が経ったにも拘らず、まだ胸がときめく。
「なにニヤニヤしているの?」
「本当に結婚しちゃったんだなぁと思って。たまに、夢でも見ているのかもしれないなって、思ってしまいます」
「なにを今更」
夢じゃない、とばかりに頬にキスされ、アリスは思わず周囲を見回した。
「ちょ、ちょっと!場所をわきまえてください!」
「見てないって。大丈夫」
ラウルはそう言うが、アリスが後ろを見た時に、思い切りフレデリクと目が合った。すぐに逸らしてくれたが、見られていたことは確実だ。
「だ、大丈夫じゃありませんっ」
口では怒りながらも、顔はどうしても笑ってしまう。こんな突然のキスも、本当は嬉しいのだから、仕方がない。
「ホラ、着いたよ。気を付けて」
「はい」
足元に気を付けながら丘を登ると、頂上には既に人の姿があった。
アリスたちの気配に気づいて振り返ると、チッと小さく舌打ちする。それを隣の女性が窘めた。
「マルセル、こんなところでやめてちょうだい。今日は大事な日なんだから」
「……わかってるよ、ベアトリス。で、なんだってお前たちまで来たんだ?」
「わたくしが呼んだの。ふたりには、見届け人になって欲しいって」
ベアトリスに手招きされ、アリスとラウルもふたりの近くに行く。
ふたりがいたのは、マルセルの元妻、カロリーヌの墓の前だった。
ふたりが一緒に、花束を置く。すると、マルセルが跪いて語りかけた。
「カロリーヌ……。お前の命日に、独身で来るのは、今日で最後だ。お前の愛を知った時、俺は愛なんて望んじゃいけない人間だと思った。そんな崇高なものに、縁がないって思った。でも、それは俺が戦いしか知らねえとんでもないバカだったってことだった。カロリーヌ、悪い。俺は、幸せになる。お前の想いも、全部抱えたまま、幸せになる」
「カロリーヌさん、この方は、わたくしが幸せにしますから、心配なさらないで」
なんというか、ふたりらしい宣言だった。
あの舞踏会の後も、年齢や立場の違いを理由に、マルセルはなんとかベアトリスの目を覚まさせようとした。だが、ベアトリスの気持ちが揺らぐことは一度もなかった。それでも、なかなか恋人関係に発展できない苛立ちはあったのか、ある日突然、マルセルに怒鳴り散らしたのだ。
『あなたは、わたくしが幸せになれないなどと勝手に言うけれど、あなたに決められたくないわ!わたくしの幸せは、わたくしが決めます!わたくしは自分が幸せになるために、あなたも幸せにするの!』
初めこそ、「お前、言ってることが滅茶苦茶だぞ?」と呆れていたマルセルだったが、それが心に響いていたようだ。
マルセルは、マルセル自身をも幸せにすると言い切ったベアトリスに、自分が幸せになる権利があること、そして、そんな未来があることに気づいたのだ。
カロリーヌへの祈りを終え、腰を上げたベアトリスに対して、マルセルはまだ膝をついたままだった。
ベアトリスが「どうしたの?」と肩に触れようとすると、マルセルが再び墓に向かって語り出した。
「カロリーヌ。お前は、口にできない俺への想いを、手紙にしたためてくれていたな。あれを読んだ時、正直、お前の心情はよくわからなかった。でもな――今は、痛いほどわかるんだ。世界よりも国よりも大切な存在があるってことを、こんなデカい身体でも抱えきれない程の愛情ってやつを」
「ま、マルセル?」
「だから、お前には礼も言いたい。こんな俺を想ってくれて、ありがとう。こんな感情に名前があるってことを教えてくれて、ありがとう」
そう言って立ち上がると、マルセルの言葉にポカンとするベアトリスを強く抱きしめた。
「ベアトリス。俺も幸せになりたい。それは、お前と一緒がいい」
「……マルセル!」
泣きながら抱きしめ返すベアトリスを見て、アリスは胸がいっぱいになった。
「これ以上お邪魔するのも悪いから、俺たちは行こうか」
「そうね。じゃあ、このお花をお墓に――あら?」
「どうした?」
「これ……たんぽぽの葉……」
「本当だ。どこかから、綿毛が飛んできたのかな」
見てみれば、丘のあちこちにたんぽぽの葉が点在していた。
「踏まないように、気を付けなくちゃ」
「それより、転ばないように気を付けてくれよ」
「はーい」
少し膨らんだお腹に手を当て、気を付けながら丘を下る。その途中にも、たくさんたんぽぽの葉を見つけた。
「いつか、ここが一面のたんぽぽの丘になったらいいわね」
「そうだね」
* * *
たんぽぽの綿毛は、風に乗ってふわふわと飛んで行く。
北へ、南へ。
風が吹く限り、どこまでも飛んで行く。
川を越え、谷を渡り、高い塀さえも軽やかに飛び越える。そして、たとえ石畳の隙間でも、しっかりと根を張り、花を咲かせる。
そんなたんぽぽに似た少女は、広い王宮で小さな花を咲かせ続けた。
愛を知らない男にも、口に出せない恋に悩む王女にも。そして、素顔を隠す王子の心の中にも。
やがて、その花は王宮全体を包み込む、大きな存在となった。