次期国王は独占欲を我慢できない
「アジュール隊の報告では、国境は特に問題はないらしい。何度か国境を越えようとした者がいたらしいが、全て商人だったようだ。……ラウル、聞いておるか?」
「え?はい。聞いてますよ。その件では、リュカが活躍したようですね」
「ああ。この件で、中隊長に抜擢されたらしい。おまえとは親しいんだったな。今度、少し話してみたいものだ。――ところで、最近よくひとりで行動することが多いようだな」

 ラウルは少し黙り込んだが、相手は国王陛下だ。隠したところで、お見通しだろう。それでもまだ言葉にしたくないことはある。ラウルはそのことには触れず、返事をした。

「別に、マルセルに会いに行くのに側近は必要ないでしょう。なにより、マルセル自身があまり特別扱いを好まないのですから」
「ふぅん?」

 チラリとラウルを見ながら語尾を上げる返事が、ラウルの気に触った。その反応から、やはりアリスのことは知られているようだと確信する。
 自分の気持ちがまだ定まっていないこの時期に、既に把握されているというのは、いい気持ちはしない。

「騎士訓練所に、面白い子がいるようだ」
「――そうですか」
「おや、知らなかったか。お前も訓練所にはたまに行くだろう。ちゃんと周りを見ておくことも、お前の義務だぞ」
「わかりましたよ。それで?なにが面白いと言うのです?」
「厩舎裏に、柿の木があっただろう。母上がお好きだったというだけで、切るにはしのびなくて、育つがままにしてあったあの木だ。渋柿で、どうにもできんと思っていたら、なんと渋で防腐剤を作ったそうだ。訓練所のバルコニーに塗ったところ、以前よりも傷みにくくなったそうだ」
「そうですか。良かったではないですか」

 ラウルとしては、この話題は早く切り上げたいところだ。だが、ローラン陛下にはそのつもりはないらしい。

「面白い子には、是非とも会ってみたいな」
「……一体、なにが言いたいのです」
「いや?そういう子がいると聞いて、王宮の家屋職人たちから是非量産したいと言われてな」
「あぁ、そうですか」

 つい語気が荒くなる。そんなラウルを、ローラン陛下はからかうように付け足した。

「面白い子は、隠しておくのが難しいな」
「――いきなり国王陛下に呼ばれたら、萎縮してしまうでしょう」
「おや、その子はそんなに気の小さい子か」
「誰でも、王族が相手ならそうなりますよ」
「だから、正体を明かせずにいるのか?」

 ハッと顔を上げたラウルの視線の先には、もうからかうような笑いを含んだ目はない。笑みを引っ込め、心の奥底を見透かすかのような静かな目が、じっとラウルを見ていた。

「果たして、気の小さいのはどちらかな」
「……すみません」

 思わず視線を逸らす。フッと息を吐き、先ほどの視線の前では、息を詰めていたことに気がついた。
 だが、ローラン陛下はまたすぐに口調を砕けたものに戻した。一気に場の空気が和らぐ。

「来年は、お前も成人だ。将来、国母となる生涯の伴侶を決める時期だぞ。マルセルのところに遊びにいく暇があるなら、候補者と交流を深めたらどうだ」
「結婚相手は、自分で決めます。大体、父上だってご自分で決められて、今もラブラブじゃないですか。息子にも同じように愛ある家庭を、とは思わないのですか?」
「思うさ。当たり前だろう。だが、堂々とできないなら、話は別だ。それになぁ、私にもまぁ、大人の事情というのがあってな……。その辺は仕方がないだろう」
「大人の事情に、俺を巻き込まないでください」
「お前が、自分の事情に大人を巻き込んでるんだ。全て自分で決められる立場と強さを、早く持てばいい。それだけだ」

 それだけ、と簡単そうに言うが、それが簡単ではないことは、誰でもわかることだ。
 ローランにも若い頃、婚約者候補がいた。
 建国時から王族に忠誠を誓い、クセのある貴族たちをまとめあげてきた侯爵の娘だった。だが、ローランは社交界デビューの挨拶にやって来た、ひとりの少女に一目惚れしてしまったのである。
 王族への挨拶のために並んだたくさんの貴族の中から、彼女を見つけてしまったローランを、もう誰も止められなかった。なんと、国内の殆どの貴族が居並ぶ中で、彼女に求婚したのである。そうなっては、侯爵も諦めなければならなかった。たくさんの証人がいる中、自分の娘をゴリ押しすることはできず、祝福という大人の対応をした。勿論、そんな場で求婚された娘にも断る勇気などなく、あっという間にふたりは結ばれた。
 これは、この国に伝わる大恋愛物語として有名で、どんな恋愛小説よりも、どんな恋愛劇よりもドラマティックでロマンティックだと、年頃の女性をうっとりさせている。
 だが、そのとばっちりがラウルに降りかかっていることを、誰も知らない。
 公共の場――しかもそれが、たくさんの貴族が並ぶ王宮の広間で、王族との婚姻を諦めざるを得なかった侯爵家は、希望を次の時代に託したのだ。つまり、ラウルである。

(はぁ……。勘弁して欲しい……)

 ため息をついて、部屋を出たラウルを、廊下でひとりの少女が待っていた。

「ラウル殿下、本日のご予定は全て終了でございますね」

 囁くような声で静かに微笑む少女は、見るからにはかなげで、触れたら折れてしまいそうな程細く可憐な容姿をしていた。
 長い白金の髪は、薄暗い廊下でも廊下の灯りに輝く程、艶やかだ。白く浮かび上がる顔には濡れた大きな薄茶の瞳と薄紅色の小さな口、尖りすぎない高い鼻が上品に配置していた。思わず“配置”という言葉が出てしまうほど、少女は人形のような容姿をしていた。
 細く傷ひとつない小さな手には、真鍮のランプを持っている。
 王宮の廊下には灯りがあるが、全体を照らすほどの光はない。だが、そのランプは彼女には大きく重すぎたようで、手がふるふると小刻みに震えていた。
 本来ならば、側近がすることだが、陛下を訪ねる時に人払いをしたため、ここにはいない。――だが、部屋から出たら分かるところにいるはずなのだが……。視線を巡らせると、少し離れた柱から、こちらを見て、どう動くべきか迷っていた。ラウルは思わず、小さく肩をすくめた。長くついてくれている側近だ。これで察するだろう。

「殿下、お部屋に戻りましょう」
「――それを、こちらへ」

 ランプを受け取ろうと手を差し出すと、少女は大げさなまでに目を見開き、驚いた顔をする。

「いけません。これは、わたくしのお仕事ですもの」
「いや、これは君には重すぎる。いいから、渡してください」
「殿下……。なんとお優しいのでしょう」

 少女は、一層瞳を潤ませて、ラウルを見上げる。
 この程度でなにを――そう言いかけた言葉を飲み込み、ラウルはなんとか口角を上げて見せた。それだけで少女は頬を染める。
 ため息が出そうになるのを押しとどめ、少女に問いかけた。

「アリソン嬢。なぜ、あなたがこんなに夜遅くに迎えに来たのです?」
「そんな……。殿下、わたくしのことは、どうかアリソンとお呼びくださいませ。わたくしは、あなた様の侍女なのですから」

 なぜか会話もままならない。
 答えを聞くことを諦めたラウルは、側近を呼んだ。

「フレデリク、彼女を部屋まで送るように」
「かしこまりました」
「えっ?で、でもわたくしは殿下と……」
「私はまだ行くところがあります。君たちは、もう休んでください」

 ラウルがわざと君“たち”と強調すると、アリソンは眉をピクリと動かした。どうやら、気に障ったらしい。だが、そんなことはどうでもいい。ラウルはさっさとランプを側近のフレデリクに渡すと、廊下を別の方向に向かった。

「で、でも……殿下おひとりでは……」
「大丈夫ですよ。では、まいりましょう」

 背後では、ごねるアリソンをなだめるフレデリクの声が聞こえる。それを振り払うかのように、ラウルは回廊から中庭に出た。

 アリソン・フォンテーヌ

 彼女こそが、ローランとの婚姻に失敗したフォンテーヌ侯爵家が、今度こそとラウルに近づけて来た、婚約者候補だった。王宮勤めに上がったばかりだが、何段階もすっ飛ばして、いきなり王族の侍女となった娘だ。これが所謂、大人の事情というものなのだろう。

 アリソン・フォンテーヌと、アリス・フォンタニエ。

 名前が似ていても、まったく違うふたり。
 ラウルは、屈託なく笑い、止めなければ木に登ることも厭わない、底抜けに明るい太陽のようなアリスに、無性に会いたくなった。
 だが、さすがにもう、部屋に戻っているだろう。部屋から抜け出す術を知っている彼女は、合図をしたら出て来てくれるだろうか――そう考え、すぐに打ち消す。
 だめだ。今の恰好では、会えない。
 ラウルは、父ローランから言われたことが心に刺さっていた。

『だから、正体を明かせずにいるのか?』

『果たして、気の小さいのはどちらかな』

 不安なのだ。
 感じるままに、惹かれるままに、アリスへの想いを大きくしていっていいのか。
 自分が誰なのかを、アリスが知った時の反応が。
 アリスが、自分をどう想っているのか。
 アリスが見ているのは、ラウルであって、ラウルではない人物だ。彼女は、ラウルとは会ったことすらないと思っている。

 こんなのは初めてだった。
 それまでは、自分はなんでもできると思っていた。なんでも持っていると思っていた。人より優れているとさえ、思っていた。
 でも、本当はとてもちっぽけな存在だったのだ。

 こんな時は、自分をさらけ出せる人間と話したい。
 頭の中をマルセルがよぎったが、自称隠居のじじい、マルセルの夜は早い。起こすと機嫌を損ねてしまう。

(そうだ……)


 * * *


 目指す部屋の下で、ラウルは小石を握ると、軽く上に投げる。それは正確に、狙った窓を叩いた。
 カツン、という乾いた音の後、すぐに窓が開けられる。訝し気に覗いた顔がラウルに気づくと、窓を大きく開けて身を乗り出した。そして、そのまま窓横の蔦を掴み、スルスルと慣れた身のこなしで降りて来た。

「殿下じゃないですか」
「蔦……」
「え?」
「脱走の時、蔦に掴まって降りてきたな」
「下りやすいですからね。おススメですよ」

 アリスが教えてくれた降り方は、ラウルが知らなかっただけで、結構知られた方法なのだろうか。勝手に、アリスと自分の秘密だと思っていたラウルは少し残念そうに頷いた。

「それにしても、久しぶりだな。リュカ」
「ええ、ほんとに」

 数年ぶりに会った友人は、再会に顔を綻ばせる。だが、それが本心かどうか、ラウルはわからない。
 リュカはいつも笑顔を絶やさない男だった。
 屈強な男たちが多い騎士団の中で、細身で整った顔立ちのリュカは目立った。いつもへらへらと笑い、調子のいいことを言うリュカを、気に入らない騎士は多かった。そんなリュカに対する不満分子が爆発しかけたのだが、あっという間にそれは沈静化した。それをラウルは、たまたま見ていた。
 リュカの胸倉を掴み凄んだ男を、じっと見据える冷たい目――見たことのないリュカの表情だった。そのままの体制でも落ち着き払い、男に向かってなにかを言うと、男は青くなってリュカを離した。
 その時、ラウルはリュカが自分に似ている――と、思った。
 ラウルは普段あまり感情を出さないが、リュカもまたそうなのだ。リュカは笑顔という仮面で自分を隠している。あの、人を蔑むかのような冷たい目……あれが本当のリュカなのだ。
 本性を隠して生きるふたりが親しくなるのは、それほど時間がかからなかった。
 立場も違い、ここ数年は会うことも少なかったが、それでも今、リュカがとても機嫌が良いと気づく程には、仲が良かった。
 それに、少し雰囲気も違うような――。
 少し前を歩くリュカの首に、チェーンが見える。
 あまりアクセサリーなどを好まない彼が、つけているとは珍しい。

「首に、なにかつけているのか?」

 詮索するつもりはなかったが、気がついた時には聞いていた。だが、リュカもまた嫌がることもなく、素直に頷く。それどころか、ふわりと照れくさそうに笑った。それはいつもの作り笑いではなく、心からの笑顔だった。
 騎士のくせに細く綺麗な、骨ばった指にチェーンをかけると、そのままするすると持ち上げる。チェーンの先についていたのは、華奢な指輪だった。

「――ええ。大事なお守りです。僕の大切な人とお揃いなんですよ。“私の愛があなたを守りますように”と彫られています」
「リュカには、そういう人がいたのか」
「います。僕は、彼女が一番大切です。正直、彼女が幸せに笑っていられれば、その他のことはどうでもいい。――すいませんね。ここは殿下のためなら~って言うところなんでしょうけど」
「いや、いいさ。そんなのは誰が言っても薄っぺらな言葉だ。真に守りたい相手がいるからこそ、国をも守りたいと思うものだろう。リュカは間違っていない」
「殿下なら、分かってくれると思いました。騎士になることを勧めたのも、彼女なんです」

 指輪を撫で、ふわりと微笑んだリュカが眩しかった。
 リュカには、指輪を交換するような相手がいるのだ。
 ラウルの胸が少し傷んだ。
 たとえ会えない日々が続いても、リュカのように指輪を通して想いを繋げられる相手がいることが、ラウルには心から羨ましかった。
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