涙、夏色に染まれ
 あたしたちがフェリーに乗り込んだら帰っていいと告げておいたのに、甲板から浮桟橋を見下ろすと、明日実も和弘も里穂さんも、まだそこにいた。
 和弘が真っ先に、甲板に出たあたしと良一を見付けて、ジャンプしながら両手を振った。明日実と里穂さんも、すぐに気付いた。

 明日実が大声を出した。
「結羽ーっ! 良ちゃーんっ! ぎばれーっ!」
 ぎばれって、島の言葉だ。頑張れって意味。良一が潤んだ目をして、大きく手を振った。
「引っ越しのときと同じだな。ぎばれーって、見送ってもらった」

 あたしは黙ったままうなずく。声を出したら、涙まで出そうだった。もろくなってちゃいけないのに、うまく感情がコントロールできない。
 フェリーのエンジン音が大きくなった。船体がゆっくりと動き出す。

 明日実と和弘が手を振っている。あたしは小さく右手を挙げて応えた。その手首には、昨日の傷を隠す包帯がある。
 突然、良一があたしの包帯の手首をつかんで、強い力で引っ張り上げた。

「何するの」
「手、もっとちゃんと振らないと、見てもらえないだろ」
 良一につかまった手が、あたしのじゃないリズムで、大きく左右に揺さぶられる。明日実が笑って、和弘が何か怒鳴った。里穂さんが見守ってくれている。

 島が少しずつ遠ざかる。青く澄んだ湾に白い水尾を引いて、フェリーが一度、出航を告げる汽笛を鳴らす。
 ここで過ごした日々は、悲しいことも、楽しいことも、嬉しいことも、やるせないことも、たくさんあった。いろいろあった。かけがえのないものばかりだった。

 あたしは、ここから船出する。
 捨てるわけじゃないし、忘れたりもしない。ここはあたしのふるさとだ。
 あたしは旅人であり続ける。旅をしていくその先で、自分という誰かに出会いたい。

 心の鎧はまだ着けておく。心の閉ざし方も覚えておく。あたしは弱い。身を守らなければ、打ち倒されて立てなくなる。
 だけど、弱いままではいられない。ちゃんと笑おう。たまに泣こう。昔、島の潮風の中でやっていたことを、一つひとつ、もう一度やってみよう。

「あたし、ぎばるけん」
 あたし、頑張るから。
 本当はしゃべれる島の言葉を、口の中だけでつぶやく。

 あたしは良一の手を振りほどいた。そして、自分の力で、自分のリズムで、遠ざかるふるさとの人々に向けて、大きく手を振った。
< 101 / 102 >

この作品をシェア

pagetop