涙、夏色に染まれ
 皿洗いを終えた里穂さんが台所から戻ってきた。
「二人とも、買い物ば手伝ってくれん?」

 疑問形だけど、イエス以外の返事を予想してない口調だった。
 いいですよ、と言ったら、良一と声が重なってハモった。声をわざと低くしてしゃべるあたしより、良一の声のほうが低かった。良一はあたしのほうを向いて笑って、あたしは良一から目をそらした。

 家を出るとき、里穂さんは扇風機のスイッチを切っただけで、ろくに戸締りをしなかった。島ではたいてい、そんな感じだ。
 白い軽自動車の後部座席に、あたしと良一は並んで乗った。良一は、スキニージーンズの長い脚を、きゅうくつそうに折り曲げている。

 車が走り出す。里穂さんは、鼻歌交じりでCDをコンポにセットした。弱虫と反撃の名を持つロックバンドの、今月リリースされたばかりのアルバムだ。本土みたいに便利なお店のない島では、ネット通販が強い味方だ。おかげで、新譜も確実に手に入る。
 良一は、Bマイナーのシリアスな響きが印象的な歌い出しに小声で乗っかると、嬉しそうに、くしゃっと笑った。

「里穂さんも、このバンド、好きなんですか?」
「うん。聴き始めたとは、割と最近けどね。実はね、結羽ちゃんのおかあさんに勧められたとよ」

 バックミラー越しに、里穂さんがあたしに笑い掛けた。あたしは、そうですか、と口の中でつぶやいた。
 母がロックを聴くのは、あたしの影響だ。いや、あたしを偵察するためだと、一時期、あたしは感じていた。母がうとましかった。あたしの好きな音楽、小説、漫画。母は血まなこになって、あたしを知ろうとしていた。あたしに近付こうとしていた。

 良一は無邪気そうに言った。
「おれも、実は、結羽がきっかけです。結羽、このバンド、好きって言ってただろ? 聴いてみたら、おれもハマった」

 そんな話、したことあったっけ? あたしが音楽を聴き始めたのは、小近島を離れて中学に入って、学校がつまらなくて、持て余したエネルギーの行き先を、音楽にぶつけるようになってからだ。

 毎日が楽しくないなんてことを言いたくなくて、あたしは良一たちと連絡を取らなくなっていった。好きなバンドの話って……hoodiekidの動画でたまに触れる程度だ。テロップにチラッと入れて、そこにコメントをもらったりして。

 横目で見やれば、良一の整った横顔がある。広めの額。眉間の下のなだらかなくぼみと、そこからスッと細く通った鼻筋。濃く長いまつげは伏せ気味に生えて、頬に影を落としている。
 小学生のころの幼かった良一と、モデルとして写真の中に収まっている良一と、隣に座っている生身の良一。同じ人物だとわかっているのに、全然違って見えてしまう。

 時の流れっていうのは、そういうことだ。変わらないものなんてないってこと。
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