涙、夏色に染まれ
 校長室を出て、廊下と同じ大理石の階段を上る。
 職員室側のこの階段は、父のトレーニングスペースだった。運動好きの父は、先生方が帰った後に校庭で走っていたけれど、雨の日には階段を走って上り下りして、運動不足を解消していた。

 廊下や階段を走ってはいけませんって、先生は言うものなのにね。父は、放課後になったら、自分からそれを破って走っていた。そのことを「変だよ」って言ったら、笑ってごまかしていた。あたしも一緒に笑った。

 二階に上がったところに、資料室という名の空き教室が二つ、郷土資料室が一つある。もともとは、ここも子どもたちが通ってくるための教室だったはずだ。それは何年、何十年前のことだったのか、大人たちでさえ覚えていなかった。

 資料室のうち一つには、卓球のラケットとボールが置いてあった。ラケットは、ラバーがすっかりはげているのも多かった。休日、両親と卓球をすることもあって、ここに用具を取りに来た。薄暗い資料室に入るときはゾクゾクしたものだ。

 空き教室群のところを離れて、低学年の教室の前を通る。四十人が入れる教室に三つだけ机が並ぶ光景は、もうない。黄ばんだカーテンも掛けられていない。朝の会で奏でられていたオルガンもない。教室の角の高い場所に設置されていた古いテレビも。
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