ただ愛されたいだけなのに


 わたしがためらっていると、山端さんが伝票を持ってやってきた。

「あら、まだ洗ってなかったの⁉︎ あの人、もうお帰りよ。はやくしてちょうだい!」と。「まったく、どうしてこんな仕事もできないような子供を雇うのかしら」
 小声でもはっきり聞こえる独り言を言いながら厨房を出て行った。

 わたしは息を止めてコップの中の水を流した。できればマスクとゴーグルも装着したいくらい。水圧を強くして、何度も何度も水で流した。付着していた世にも奇妙な恐ろしいものが水に流されてから、キッチンペーパーで拭いていると、山端さんがお礼も言わずにひったくって、男性のもとへ持って行った。きっと、隠れて監視してたに違いないわ。自分が洗いたくなかったのよ。

 わたしは厨房から入れ歯の持ち主を観察した。短い足にでっぷりとしたお腹が乗っている。そのお腹に、いまにもはち切れそうなサスペンダーの紐が二本。余分な顎の肉で首が見えなくなっている。シャンプーハットをかぶっているかのような髪型に、鏡代わりになりそうなほどテカった顔、ニキビなのか吹き出物なのか、よくわからないブツブツが大量発生している——わたしは吐き気をこらえた。


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