この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。【完】

〝アロイス〟

 目を見開いた。
 ローデリヒの海色の瞳が小刻みに揺れる。

 聞き間違えかと思うくらいの、掠れた小さな声だった。
 それでも、ローデリヒの耳にはハッキリ入ってきた。

 母は今、なんと言ったのか?

 ほんの七日前に見た時には、少女のように若々しく、そしてどこか儚げで、俗世とは隔絶されているかのような雰囲気だったのに。

 今では一気に十歳以上老け込んでしまったかのような見た目をしていた。
 乱れた髪はそのままで、結われることなく下ろされている。
 服も部屋着のまま。それも着崩してしまっている。
 理解出来なかったローデリヒはそれでも、べティーナへと手を伸ばした。


「は、はうえ……。お体の調子が悪いと伺いました……。大丈夫でしょうか……」


 痛いのだろうか、こめかみを押さえた手にローデリヒは自身の手を重ねる。酷くカサついた手。水分が足りていない手。病人の手。

 その手は、振り払われはしなかった。
 だが同時に、受け入れられもしなかった。

 べティーナの虚ろな瞳がローデリヒの姿をぼんやりと眺める。だが、その視線はローデリヒを通り過ぎて、後ろから追いかけてきた侍女へと向けられる。


「……どこ?どこに行ったの?」

「母上?」


 首を傾げたローデリヒの肩にやんわりと侍女が手を乗せる。


「さあ、殿下。べティーナ様はお身体の調子が悪いのです。こちらに」


 それに抗うように、ローデリヒはべティーナの手から自身の手を離した。そして侍女の手をどかそうとする。
 だけど、侍女の手を掴んだローデリヒの手は、不自然に止まった。
 べティーナの言葉によって。
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