毒壺女子と清澄男子
人生初の病院逃走事件を起こした翌日

最重要取引先への初訪問を終えた後、拉致同然に連れて来られた超高級ホテルのロイヤルスィートで、予め用意されていた医療機器やテヤンディー氏が手配した英王大学病院の外科医局長と名乗る医者により入念な診察と簡易的な検査まで受けさせられたのだ

「脳波にも乱れはありません、全く異常はございませんな」
「それはどうもありがとうございます」
「アリガトウゴザイマース! ドクター」

診察も終えて無事というお墨付きを頂き、安心したところであたしのお腹が盛大に鳴り出す

時間は午後8時で昼食を摂らなかったので無理もない、早々にお礼を言ってここから渋々自宅へ帰って食事をしようと思っていたら、例のティヤンディー氏が満面の笑みを浮かべてあたしを見つめる

外人、特にアメリカ人はハリウッド映画の見過ぎで喜怒哀楽の表現が激しい

きっとこのガタイがデカイ割に飼い主が帰宅した時の子犬のようなイメージの笑みを浮かべているのは、自分が衝突した被害者に何も問題が無く、訴訟沙汰にならなくて良かったという意味だろうと思っていたら、こんな事を言い出した

「スゥシィー? オア ラーミン? オー、フレンチ? 」

お詫びにご馳走したい、と分かったのはティヤンディー氏が手にしたスマホの翻訳アプリの音声から

ああ、今の時代は便利になったな、こんな物があれば学生時代にあんなに苦労して受験英語を覚える必要なんかなかったのに…

そんな思い出なんかどうでもいい、とにかく食事を決めなければ

「じゃあ、お寿司がいいです」

どうせご馳走になるなら寿司だ、と言うとすぐにテヤンディー氏はどこかへ電話を掛ける

きっとルームサービスにでも電話しているに違いない、まあこのホテルならそれでも充分美味しいお寿司にありつけそうだ

その間、あたしは一生のうちにこの一度しか足を踏み入れるチャンスなど無いであろうスィートルームの中と、窓の外に広がる夜景を眺めた

どこもかしこもゴージャス、ファビュラス、マーベラスといった具合で居心地の悪さにフカフカのソファの上でお尻を、同じくホッキョクグマの毛の如くやわらかく毛足が長い絨毯の上で足をモゾモゾ動かしているとまるで教会の鐘の音のようなチャイムが鳴り、テヤンディー氏がドアを開けると銀色のワゴンを引いた板前が続々と入室して来る
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