にゃん子と寺子屋日記
一日完了形の暮らし(19)
ちーちゃん雲???


足が遠のいてしまった畑・・、とりあえず、片付けることにした。
この際、畑は売って、空家バンクでもと、いろいろ考えてみたが、自分の年齢、暮らしの利便、家族構成のこともあるし、いろいろ簡単には踏み出せない。
でもまあ、身軽でいることに越したことはないと、カフェの雑貨を少しは残して、片付けた。
狭い部屋が広くなり、気持ちよくなった。
道路に面した北の方から、冷たい海風が入り、木陰にいると、インスタントコーヒーでさえも違った味がする。

そういえば、来る途中、日曜日のスターバックスには、交通整理のおじさんが出ていたなと。
そう、みんな一息つきたい・・大変な世の中だもの、当たり前の話。

いったい、今が住みやすい社会と思える人がいるのかどうか、ほとんどノーだろう。
学校を嫌がる子ども、会社を嫌がる大人、でも、魚が水を離れては暮らせないように、人間もここから離れては暮らせない。自分を偽り、叱咤してがんばらせ、病気になる人も多い。

一番の原因は、お金だろう。お金のない社会だったらいいのにと思う。世の中の一番の雑事はお金ごとと思う。銀行に行く。振り込む。買い物に行く。お金を払う。貸す。借りる。利子の支払い。ローンの重し。子どもの学費、食費。すべてにお金が絡むから、莫大な時間をそれに盗られる。
大体お金というものができて、どのくらいの年数がたったのかしらないが、お釈迦さまの時代にもお金はあったようだから、人類は営々として、お金に支配されて生きてきたことになる。
そして、大半の人が、人生をお金を追い、追われることで過ごして何の疑問も抱かない。
余りにも虚し過ぎると、お金とは独立した人生を歩みたいと思った。
お金をばかにするのではない。お金はこの世のツール、道具だから維持管理はするが、極力お金に支配されない生活を目指す・・ということは、つまりお金を使わない生活ということ。
一人暮らしというのは、ある意味それができやすい。
家賃さえ払っていれば、一日家にいようが、寝ていようが、裁縫しようが、文句を言う人がいない。批判もされない。気が楽。愉しい。普通に暮らしていても、お金も多少は残る。
ここで、ないものねだりをする人は、せっかくの宝を捨ててしまう。一人暮らしが寂しい、友達がいないとつまらないという人。こういう人は、今度は大勢でいると、うるさいとか、あの人はどうだとか、絶対に批判心の芽生える人で、だから、どっちでも不平不満になる人ということになる。なので、一人でいるときは、ひとりを愉しみ、大勢の時はにぎやかさを愉しむのが自分にとってもしあわせと思う。
大体、寂しいとか、詰まらないとか、退屈とかいうのは、頭がかってにつくる妄想(煩悩)(-心)だと思う。鏡が湯気や、埃で曇っていて、本当の鏡ではない状態ということ。試しに、どこでもいいから、きれいに掃除してみるといい。ピカピカ、すっきり・・すると自分の曇りもとれる。ぐだぐだ思っていた自分が消えて、本来の自分が見えてくる。な~んだ、これでいいじゃんと肯定し、自分を信じる、自信が芽生える(+心)。
ついでに、食べものも冷蔵庫を使わないから、余分に買わない、明日に残さない。
反対に、備蓄用の缶詰、日持ちする乾物は豊富にもっておく。
ということで、お金への疑問から、一日完了形の暮らし方になってしまったが、とっても気に入っている。
ちゃ~んが生きていたら、「やっとわかったのか、人間はドンくさいねー」と言われそう。
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