私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~
* * *
夜が深まり、ゆりは夢現の中にいた。
遠くの方で馬の嘶きに似た音がした気がして、薄っすらと目を開けた。
二段ベッドの底板がぼやっとした視界に映り、窓からの月明かりで薄青く見えた。
上ではセシルが寝ているはずだ。
「……う、ん」
再び眠りにつこうと目を閉じた瞬間、突如ゆりの口が塞がれた。
脈が跳びはねるほど驚いて目を開けると、そこには緊迫したセシルの顔があった。
「シッ!」
指を口に当てて強く言ったセシルに気圧され、ゆりは頷く。
ゆりが上半身を起こすと、セシルはそっと耳打ちした。
「盗賊かも知れないわ。夜襲よ」
「え!?」
「今、雪村と結が見に行ってるわ」
「なんで――」
「キャアア!」
聞き返す言葉を遮るように、窓の外から悲鳴が上がった。
セシルは小声のまま厳しい口調になる。
「隠れて!」
セシルはゆりの腕を引いてベッドの下へ押し込むと、自らも身体を反転させながら転がり込んできた。
セシルは喉を鳴らし、腰から湾曲したナイフを取り出した。
緊迫した空気が伝わり、ゆりは祈るような気持ちで手を組んだ。
次第に悲鳴がいたる所から上がり始め、宿の中からも誰かの甲高い悲鳴が上がった。
狂ったような下卑た笑い声と共に、ドッカドッカと荒い足音が、廊下を歩んでくる音がする。
(――お願い、そのまま通り過ぎて!)
ゆりが懇願したとき、ぴたっと足音が止んだ。背筋にぞくっと悪寒が走る。
(部屋の前に、いる)
心臓の早鐘が体中を駆け巡るように高らかに鳴り響く。
体中に力を入れたとき、セシルの長い指がゆりの固くした手に触れた。
一瞬だけ緊張が解け、セシルを見やる。セシルは表情を固くしながら、ドアの先を見つめていた。
セシルも怖いのだろう。白い肌が蒼白にかわり、一筋の汗が頬を伝っていた。
ゆりは、セシルの手を握り返した。
セシルは一瞬驚いた表情をしたが、にこりと硬い笑顔を作った。
そのとき、けたたましい音と共にドアが蹴破られ、木片がベッドの脇に飛び散った。
思わず悲鳴を上げそうになったゆりは、口を押さえて悲鳴を堪えた。
「誰かいるかなぁ?」
野太い不気味な声だった。
隙間から、金色の毛むくじゃらの太い脚と、黒いズボンの裾をショートブーツに詰めた足が覗き見える。
(二人もいる……)
恐怖で息が詰まったとき、セシルがゆりを隠すように体を動かし、奥へ詰めた。
「良い子だから出ておいでぇ」
「いないんじゃねぇの?」
「いやいやいるいる……」
厭らしく鼻を鳴らし、大きく息を吸う音が耳に届いた。
「――女の匂いだ」
ギクリと心臓が跳ね、ゆりはカタカタと鳴りそうになる歯を押さえつけた。
パニックになって、飛び出しそうになる体を抱きしめる。
セシルの息を呑む音が僅かに聞こえ、微かに震えている白い両手でナイフを握り締めた。
「荷物はあるみてえだけど、姿ねえじゃん。逃げたんじゃねえのか」
「いいや、いる。絶対にいる。若い女だな」
鼻をスンスンと鳴らして、空気を嗅ぐ音がした。
「二人だな」
「二人かぁ――本当に若いんだろうな。オマエ前もそう言って、結局ババアだったじゃねえか」
「あの時は、好い匂いのババアだったんだよ」
「ま、オマエの鼻は利くからな」
男の一人が軽口をたたいた時だった。視界に影が降り立ち、二つの赤茶の目がぎょろりとベッド下を覗いた。
「ひっ!」
思わず小さくゆりが叫び、セシルは素早く双眸に向ってナイフを突き出した。それをひょいとかわし、男はセシルの腕を掴んで一気に引きずり出した。
「お~いた! おいおい、ホントにいたぜ」
「なあ、俺の言った通りだろ」
「でも一人だぜ。やっぱオマエはヌケてるよ」
(一人――)
ゆりの心にするりと邪心が忍び込む。
このままじっとしていれば、見つかる事はないかも知れない。
「放せ!」
セシルの片足が、跳ねるのが見えた。
「おっと。危ねえな」
男の薄ら笑いが聞こえ、セシルの片足は地面に戻らなかった。
おそらく、男に足を掴まれているのだろう。
「放しなさい! この、クズ野郎!」
「言葉使いの悪いネエちゃんだなぁ」
嘲るように男が言うと、もう一人の男が我慢ならないというような声音で言った。
「おいおいヤーセル。嗅ぎつけたのは俺だ。俺に先によこせ」
「――ヤーセル……」
セシルは囁くように言ったが、男達は気づいていないのか、気にしていないのか、やいやいと言い合いを続けている。
「まあまあ、二人でヤレば良いじゃねえか」
「じゃあ、俺が先にヤリてえ」
「え~。じゃあ、俺その後かよ。俺が潔癖なの知ってんだろ。つーか、不潔なオマエのあとに突っ込むなんて、俺ヤダよ」
ゆりは恐怖と迷いから、心臓が脈打つたびに左右に揺れるような気がしていた。
このままでは、セシルはひどい目に遭わされてしまう。
しかし、自分が出て行って何が出来るというのか。
目を見開いたまま、身動きひとつ出来ないゆりの耳に、嘲弄するような声音が届いた。
「お? どうしたよ、ねえちゃん。俺の胸板なんて触っちゃってよ。その気になったか? 結構すげえだろ?」
(セシルさん――?)
ゆりに動揺が走ると同時に、セシルの凛とした声音が届いた。
「真名(マナ)を持って命ず、ヤーセル。この手を放しなさい」
「……う!」
男の呻く声が聞こえ、セシルの足が地面に戻った。
「ヤーセル、伏しなさい!」
「……うがっ!」
セシルの強い声音と同時に、男の後頭部がゆりの視界に現れた。
「……ちきしょう。オマエ、言霊能力者(リング)か」
悔しそうに男――ヤーセルが言って、仲間に向けて声を上げた。
「おい、絶対名前言うんじゃねえぞ! 名前を知られて、体に触れられなきゃ大丈――」
「黙りなさい、ヤーセル!」
「――ギ!」
ヤーセルは一瞬不自然な声を上げて、そのまま黙り込んだ。
「私は竜狩師(シャッス)! 気高い竜狩師を狩ろうなんて、良い度胸じゃないの。返り討ちにしてあげるわ」
緊張が伝わる、しかしながら威風堂々とした声音で、セシルの声はゆりの耳に届いた。
しかし男は、嘲笑を上げた。
「へへっ! 名前も分からないんじゃ、お嬢ちゃん勝ち目はねえ。強がりは、止めるんだな」
「ヤーセル! こいつの名前を教えなさい!」
「……ゼ、ゼア」
屈辱に震えた声音が届いた瞬間、セシルは駆け出した。
だが、ゼアの足は軽くステップを踏み、セシルは男を通り過ぎたようだった。
セシルをかわした男の足は、蹴立てるように跳ねた。
「うぐっ!」
セシルの呻き声が聞こえ、廊下から何かが激突したような重い音が響いてきた。
「名前が分かっても触れられないんじゃ意味ねえんだよ、馬鹿が!」
ヤーセルが地面に伏しながら、セシルを罵り、哄笑した。
「そいつはなぁ、鼻も犬並みだが、体も犬並みだぞ! 何せ、人狼だからなぁ!」
「……人狼……」
セシルの苦しそうな呻き声が微かに聞こえ、ヤーセルが下品に笑った。
「こいつはなぁ、生まれつき動物の能力が備わってる能力者さ。聞いたことくらいあるだろ? 獣能力(ベスティエ)ってやつだ。ゼアは頭は悪いが、強いぜぇ?」
「頭が悪いは、余計だろ」
「――くっ!」
駆ける足音が響き、セシルのショートブーツがベッド下に映った。が、次の瞬間ブーツが僅かに浮き、部屋の奥へと吹き飛んでいくのが見えた。
「キャアア!」
窓ガラスの割れる音がして、ベッドの隙間からナイフが滑り込んできた。その先に、頭から血を流してぐったりとしているセシルがゆりの目に飛び込んでくる。
ゆりは思わず声を上げそうになったが、口を押さえ悲鳴を飲み込んだ。
恐怖で目を見開いたまま、全身が震え、バクバクと高鳴る心臓を床に押し付けると、セシルの薄く開かれた瞳と目が合った。
セシルの瞳は、ゆりの身を案じるように優しい目をしていた。
ゆりの意識は、その瞬間、白く弾けたような気がした。
(――何をしてんだろう、私は。セシルさんを、助けなきゃ!)
ゆりは、目の前のナイフに手を伸ばした。
ベッドを這い出し、セシルの前に立ち塞がると、ベッドサイドにいたゼアに向ってナイフを突きつけた。
「お? なんだ、やっぱりもう一人いた」
「なんだ? なにがどうなってる!?」
暢気な声音を出したゼアだったが、一方で、動けず状況把握が出来ないヤーセルは焦燥に満ちて語気を荒くした。
「いたんだよ。もう一人、な、俺言ったろ?」
「だから見えねえんだっつの、馬鹿!」
目の当たりにしたゼアとヤーセルは、ガタイの良い、屈強な男だった。
ゼアは、金色の髪が肩まで伸びていて、緩くウェーブがかかり、腕と脚の筋肉が盛り上がるほど鍛え上げられていた。
ヤーセルは、ゆりの位置からは顔は見えないが、青色の髪に、ゼア程ではないものの、鍛えられた肩の筋肉が服の上からでも窺えた。
(こんな人達に、セシルさんは向って行ったんだ……)
一体どれほどの勇気がいったのだろう。
自分の倍以上ある体つきの男達に、一人で立ち向かい、なおかつ、自分が傷ついているのにもかかわらず、ゆりを気遣うその優しさに胸がいっぱいになった。
(私が不甲斐ばかりに、勇気がないばかりに……!)
頬に流れた涙を強く拭い、ゼアを睨み付ける。
「ゆり、逃げなさい」
後ろから、呻くようにセシルが言ったが、ゆりは首を横に振った。
「嫌です! セシルさんを置いて逃げるなんて、出来ません!」
「……ゆり」
随喜に似た囁きが背後から聞こえた瞬間、ヤーセルが粗暴に吠えた。
「ゼア! 分かってんだろうなぁ!?」
「あ?」
怪訝な顔つきでゼアが振り返ると、ヤーセルは底意地の悪い声音を出した。
「だぁから、そっちはいらねえっての!」
「ああ! 分かった、分かった!」
合点がいった様子で、ゼアはゆりに向き直り、冷酷な笑みを浮かべた。
ゆりは恐怖と極度の緊張から息が詰まったが、ナイフを持つ手に力を込める。
ゼアが右にゆらりと体を傾けたかと思うと、地を這うように体を屈めて、物凄いスピードでジグザグに駆けてきた。
ゆりは、懸命にナイフを合わせようとしたが、とても反応し切れない。
ゼアはゆりの手前で思い切り踏み込んで、飛び掛った。
「きゃあ!」
ゆりは思わず目を瞑り、突き出したままのナイフを振り上げた。
突風のような衝撃が、すぐ隣を駆け抜けた。
「――ゲグッ!」
「え?」
ゆりには、一瞬、何が起こったのか分からなかった。
どこからか、ベキボキ――と、嫌な音が響いてきたが、体にはなんの異変も感じられない。
だが、確かに、ゆりの耳には不気味な音と、苦しみに呻いた声が聞こえたのだ。
そう、後ろから――。
ゆりは、心臓が冷えるような思いで、ゆっくりと後ろを向こうと、体を傾ける。ゆりの隣には、屈強な背中があった。
「……」
ゆりは、嫌な予感に言葉をなくした。
振向かなきゃいけない気がするのに、振向きたくない。
相反した思いのまま、ゆりは後ろを振り返った。その目に残酷な光景が飛び込んで来る。
ゼアの豪腕が、セシルの腹に埋まるようにめり込み、セシルは口から血反吐を吐きながら、喘いでいた。引き攣れるように息をし、ゼアの腕を反射的に掴んでいる。
「……セシルさ――」
か細い声で呟くゆりに、ゼアはゆっくりと振り返る。
爛々とした瞳と目が合って、ゆりは恐怖から体を震わせ、後退りした。
ゼアはゆりに向き直り、にやりと厭らしく笑うと、ゆりの方へ手を伸ばした。
「ゼ、ア――動く、な」
片息つきながら、かろうじて喉が振動したような声が聞こえ、ゼアの伸ばしかけた右腕がピタリと止まった。
「なんだ、まだ息があったのか」
ゼアは微動だにせずに、感心したように口の中で呟いた。
セシルは、ゆりを強い瞳で見据えた。唇が震えながら微かに動く。
それは、今のうちに逃げろと言っているように見えた。
ゆりはゆっくりとかぶりを振り、セシルに駆け寄ると彼女の腕をとった。引き摺って廊下へ出そうとしたが、その前にセシルは意識を失ってぐったりとゆりに体を預けた。
「セシルさん!? ――セシル!」
「もう死んだんじゃねーの」
冷たい声音が背後から響き、ゆりは背筋を凍らせた。
勢いよく振り返ると同時に、強烈な張り手が顔面に直撃した。
頬を強く打たれ、視界はぐらりと揺れ、地面に弾き飛ばされてついた腕を捕られる。男が体に圧し掛かってきて、ゆりは動きを塞がれた。
男は、見ない顔だった。ゼアではない。
一見、優男のように見えなくもないが、ガタイがよく、目が冷たい印象だった。
誰だと一瞬混乱したが、その青い髪と声に覚えがあった。
「どうして、あなたが……」
男は、セシルの能力によって動けなかったはずだ。
「あのなぁ、能力者は死んだり、気絶したりしたら能力が解けるもんなんだよ。ガキはんなことも知らねえのかねぇ」
男が呆れた調子で言うと、後ろからあっけらかんとした声音が上がった。
「あっ、ホントだ!」
「だからオマエはホント、力ばっかのアホだっつんだよ!」
腕や脚をバタバタと動かすゼアを振り返って、男はゼアを罵倒し、ゆりに向き直って冷酷に笑んだ。
「オマエ、あの女なんて置いて、さっさと逃げてれば良かったのに。馬鹿だな」
細められなかった赤茶の目が、餓えているように光って、ゆりに嫌悪が走った。
「ヤーセル。俺も混ぜろ」
「俺が先な。こいつ、ガキだからゼッテー新品だぜ」
「潔癖だなぁ、ヤーセルは。俺はヤリ済みの女の方が良いけどな。慣れてて」
「潔癖ってのもあるけどな。痛がってんのを見るのが、また堪んねぇんだよなぁ」
下卑た会話の意味を悟って、ゆりはぞっとした。
全身がガタガタと震えだし、涙が滲んできた。
「たす、たすけて……」
ゆりは震えながら懇願したが、ヤーセルは一笑に付し、べろりと舌なめずりしてゆりに顔を近づけた。
その時、凛とした声音が響いた。
「穿牙(ツイガ)!」
ドアの方向から刃物のような鞭が撓り、ヤーセルの腕を貫いた。
「――ギャア!」
ヤーセルは悲鳴を上げて立ち上がり、流れ出る血を押さえた。
その隙に、ゆりは這い出るように後退し、震える足で立ち上がり、一目散にドアへと走った。
するとドアの前に、雪村と結の姿があった。
ゆりは泣きながら雪村の胸へ飛び込んで、背中に隠れるようにすると、混乱しながら叫んだ。
「セシルさんが……!」
「え?」
雪村は驚いて前へ向き直ると、セシルの姿を見つけたのか息を呑んだ。
絶句した雪村の代わりに激昂をあらわにしたのは結だった。
「貴様らァ!」
毛を逆立てる勢いで吠え、走り出した。
それを見て取って、ゼアが駆け出し、結に向って鋭い爪を繰り出したが、ひらりとかわし、ゼアの顔面に強烈な蹴りを食らわせた。
ゼアは吹き飛び、二段ベッドを壊して壁に激突し、穴を開けて、隣の部屋へ上半身を投げ出した。
「ヒュ~。すっげえ!」
目を丸くして歌うように感心したヤーセルに、結は鋭い瞳を向けた。
「あの女はどうでも良い。でも、オマエラ、ゆんちゃんに手を出した、許さない!」
「どーでも良いけど、まだ終わってないぜ」
にやりと笑んだヤーセルの視線に導かれるように、振向きかけた結のわき腹に強烈な蹴りが飛んできた。
結はゼアが吹き飛んだのと反対側の二段ベッドへ吹き飛ばされた。
二段ベッドの柱が壊れ、木屑が結の上に振る。
「結!」
心配して駆け出そうとしたゆりを、雪村が腕で制止した。
パッと見上げた雪村の表情は、どこか呆れたようであり、どこか真剣でもあった。
結はゆっくりと起き上がり、自分を蹴飛ばした男、ゼアを睨み付けた。
その瞳は、不気味に爛々と輝く。
「ガルルル――」
獣の哮るような声が結の喉元から鳴り、ゆりは自分の耳を疑い、目をぱちくりとさせた。
「オマエ――」
ヤーセルが何か言いかけた瞬間、結に札が飛んでいき、届く前に爆発した。
その衝撃と風圧で、結は吹き飛ばされ、完全に意識を失った。
「ちょっ……雪村くん?」
ゆりは驚きと疑心に満ちた声音を出した。
結を襲った呪符は、雪村が投げつけたものだったからだ。
「ああなっちゃうと、手荒だけど、ああやって止めるしかないんだ」
雪村はゆりを見ずに、苦笑した。
ゆりは怪訝に首を傾げたが、ヤーセルもまた、眉を吊り上げた。
ヤーセルは何かを言おうとしたが、違和感を覚えたのか、口をつぐんで胸元を見た。ヤーセルの心臓付近に四角い半透明な物体が現れていた。
それはヤーセルだけでなく、ゼア胸にも現れている。
「ああ、はいはい。なるほどね」
ヤーセルは合点がいった声音を出し、表情をこわばらせた。
「お前達の心臓に結界を張った。これを別の場所に飛ばす事も、その場で結界を収縮していくことも出来る。大人しくしててくれ」
雪村は牽制するように言って、セシルのもとへ近寄った。
ゆりも恐る恐るそれに続く。ゼアの隣を通るさい、ヤーセルがゼアに声をかけた。
「おい、ゼア。ゼッテー動くなよ。こいつ、ヤバイぜ。あの三条一族らしい」
ヤーセルは軽口のように言ったが、表情は明らかに固かった。
ゼアはその言葉を聞いて、緊張を走らせたようだった。
ゆりは、首を傾げる。
(三条一族って、何者なんだろう?)
「セシル?」
雪村が声をかけると、セシルはかろうじて息をしている状態だった。だが、あと幾ばくも余命はないだろう。
「どうしよう……」
ゆりは青ざめて、泣き出しそうになった。
そんなゆりを、雪村はどこか気まずそうに見つめて窺うように声をかけた。
「君なら、治せるんじゃないか?」
「え?」
不意の言葉にゆりは雪村を振り返った。
「谷中さんなら、絶対できるよ」
雪村のどこか確信めいた言葉に、ゆりは一瞬戸惑ったが、ふと、自分というよりは、魔王の力を示しているのだと気がついた。
霊魂の力を使うというのはどこかで抵抗感を感じたが、ゆりは首を振って払拭した。
自分の身を案じていてくれたセシルを助けたかったのだ。
ゆりは自分なら出来る、自分の中の魔王なら、セシルを助けられると信じて、セシルの腕を握った。
「集中して」
雪村が囁いた。
「イメージして。白い空間の中で、君の願いを叶えてくれるのは、誰?」
(――誰?)
ゆりは雪村の言葉を心で繰り返した。
すると、真っ白になった頭の中に、誰かの影が、ぼんやりと浮かんだように思えた。
「お願い!」
ゆりは思わず叫んでいた。
すると、白い光がゆりから発せられ、それが生き物のように動き、繋いでいた腕からセシルへと渡った。
光がセシルの体を包む。ひとつ大きく息をつき、呼吸が正常に戻ったかと思うと、傷が見る見るうちに癒えていった。
「やった……」
ゆりは呆然としたまま呟いて、我に返って歓喜した。
「やった! やったぁ!」
隣にいた雪村に思わず抱きつくと、雪村は鼻血を噴出して卒倒しそうになった。だが、ゆりがすぐに離れたので雪村は醜態をさらさずに済んだ。
ゆりは自分の胸の中心に手を当て、静かに目を閉じた。
「ありがとう」
ぽつりと呟いて、目を開ける。
話を聞いてからあった不安感は、もうゆりの心には存在しなかった。
想像していたよりも、魔王の中の人物は優しい感じがした。姿形ははっきりとは分からなかったが、まるで、暖かい陽だまりの中にいたような感じがした。
(お母さんみたいだったな……)
ゆりはなんとなく、母親を思い出した。
もしかしたら、力を貸してくれた者は、誰かの母であったのかも知れない。
ゆりは今まで嫌悪していたことを恥じて、心の中に言い聞かせるように呟いた。
「ごめんなさい」
手を離して雪村を見ると、彼は鼻を押さえてへらへらと笑っていた。その姿に、ムッとしたゆりは、思い出したように尋ねた。
「ねえ、雪村くん達ってどこ行ってたの?」
若干責めるような口調だったが、ゆりの体験した恐怖やセシルを思えばそれも致し方ない。
「結が盗賊団に気がついて、村を襲う前に退治しに行ったんだけど、東西で別れて夜襲にいったっていうのが盗賊団のやつに聞いて分かってさ、慌ててきたんだけど、ごめんな。怖い思いさせて」
申し訳なさそうに言った雪村に、そんな事情があったのかと納得したのと同時に申し訳なさがゆりに過ぎる。
「ううん。私のほうこそ、何かきつく言っちゃってごめん」
「いや。俺の方こそごめんな」
ゆりは小さく首を振って、雪村の袖を掴んだ。
「……雪村くんのこと、見直した。ありがとう」
セシルが言っていたことは本当だったのだと、ゆりが納得しながら微笑むと、雪村は耳まで真っ赤にした。
更に鼻血を吹きそうになって、雪村は思わず顔を背ける。振向いた先にいたヤーセルは微動だにしないで呆れた顔をむけた。
雪村は色んなことを誤魔化したくて声の調子を上げた。
「え~と、さ。盗賊団は全員捕縛してあるし、警察も来ると思うから、まあ、観念してくれよな」
「……なるほどね」
ヤーセルは諦めたようにため息をついた。
雪村は振り返って、
「そういえばさ、盗賊団の団長も村に入り込んじゃったみたいなんだけど、会わなかった? 盗賊団の連中が言うには相当強いらしいからさ。ちゃんと捕まえておかないとな」
ゆりは首を振った。
盗賊には、ヤーセルとゼアにしか会っていない。
「そっか」
雪村が口を尖らせながら頷くと、ヤーセルが声をあげた。
「その必要はないぜ」
「え?」
「団長はここにいるからな」
ゆりと雪村は顔を見合わせた。
「――俺だよ」
ヤーセルはほとほと参ったように息をついた。
「ええ!?」
ゆりと雪村が同時に驚くと、ヤーセルは苦笑した。
「強いっつってもな……こんなガキどもに捕まるようじゃ、俺も盗賊団も終わりだぜ。ま、相手がワホじゃしょうがねえか。つーか、逆に光栄ってもんだぜ。なあ、ゼア?」
問われたゼアは答えなかった。
ヤーセルは小首を傾げてもう一度名を呼ぶ。
「ゼア?」
だがやはり応答はない。
ゆりと雪村も顔を見合わせ、怪訝にゼアを見つめるが、ゼアは微塵も動かなかった。ヤーセルの額に青筋が立った。
「オマエ、馬鹿! 動くなとは言ったが喋るなとは言ってねーだろ! 喋れ、馬鹿!」
「え? 喋っても良いのか?」
きょとんとしたゼアに、ヤーセルはほとほと呆れたため息をついた。
そんなどこかコミカルな二人を見ながら、ゆりは怪訝に思っていた。
(ワホってなんだろう?)
会話の内容から、雪村のことのようにも思えたが、窺い見た雪村は相変わらず鼻を押さえて、ヤーセル達のやり取りを笑ってみていた。