私の中におっさん(魔王)がいる。~雪村の章~

 * * *

 二人は、メインストリートにあるレストランへ向ったのだが、その道中でゆりは何度か足を止めた。

 町人が、雪村に何度か挨拶を交わしたからだ。
 その度に足を止め、雪村は親しげに会話を弾ませていた。

 誰々の妹が子供を産んだとか、屋根の修理をしなければならないとか、子供達が寄って来て、また遊んでくれとか――大きなことから小さなことまで、何人も雪村に言いにきて、雪村はその度にふんふんと頷きながら話を聞いてやっていた。

 ゆりは最初何事かと思って見ていたが、雪村が町人の話をまるで友人や家族のように聞き、一緒に喜んだり、困ったりしている様を見るにつれて、微笑ましく、頼もしく思えてきて自然と笑顔がこぼれた。
 そうしてやっとレストランについた頃には、すっかり日も落ちてしまっていた。

「ごめんな。結構時間かかっちゃったな」
「ううん、良いよ」

 申し訳なさそうに謝った雪村に、ゆりは軽くかぶりを振った。
 レストランはこじんまりとした印象を受け、大衆向けという感じだったが、店の中は満席だった。

「混んでるね」
 客席を眺めながらゆりがぽつりとこぼすと、雪村は頭を掻いて手を合わせた。
「ごめんな。高いとこ知らなくてさ。でも、味は保障する!」
「良いよ、良いよ。私高いとことか緊張するから。こういうとこの方が好きだよ」
「ホント?」
「うん」
 ゆりが頷くと、雪村はにかっと笑った。

「でも、マジで味は保障するから」
「うん。楽しみ。ありがとう」
 弾んで言うと、店の奥から明るい声が聞こえてきた。
「坊ちゃん。毎度どうも」

 女性店員が親しげに駆け寄ってくると、それをきっかけに、一人の客が二人に気づいて手を上げた。
「おお! 坊ちゃん! こっち来な!」

 その声で客の注目は雪村に集まり、口々に坊ちゃん、坊ちゃんと言い、雪村を手招き、雪村は慌てて口元に人差し指をつけた。
「シ~!」
「あれ、なんだ。彼女連れか!?」
 一人の客がゆりに気づいて声を上げ、誰かがからかうような声音を出した。

「それじゃあ、呼べねぇなぁ!」
「彼女と仲良くデートしてんのに、邪魔は出来ねえな!」
「ち、ちがうよ! 友達だって!」
 雪村は慌てて言いつくろう。そんな微笑ましい光景に、ゆりはくすっと笑った。

「なんか、ごめんな」
 案内された席に着きながら、雪村は申し訳なさそうに言って目線を落とした。
「謝ることなんかないよ」
 なんか、嬉しかったし――と、口から滑り落ちそうになって、ゆりは小さく驚いた。
 なんでそんな風に思ったんだろうと、少し不思議に思いながら、ゆりはメニューに目を通した。

「俺、火果酒な!」
「まいど!」
 側に来ていた店員に告げると、彼女は明るく返事を返して厨房へと戻った。
「ひかしゅって?」
「酒だよ。結構強めかな」
「え!? 雪村くん、お酒飲めるの!?」
 目を丸くしたゆりに、雪村はきょとんとした顔を向けた。

「え? 普通に飲むけど……谷中さんは飲まないの?」
「飲まないよ! 未成年じゃん!」
「みせいねん?」
「えっと、未成年っていうのは、成人してない人のことで――」
「ああ。それは分かる分かる」
 雪村は数回頷きながら両手を前に出して制した。

「俺、成人してるし」
「えっ、もしかして、二十歳越えてるの? 全然見えないけど」
「二十歳ではないよ。十七歳だけど、でも成人って、功歩じゃ十六歳からだから」
「そうなの?」
「うん」

「じゃあ、私も成人なんだ」
「あ、そうなんだ。そういえば谷中さんっていくつなの? なんとなく俺よりいっこ下くらいかなって思ってたんだけど」
「当たり。十六歳」
「あ、やっぱり」
 雪村は軽く人差し指を振ったあと、窺うように声音を低くした。

「――飲んでみる?」
「……うん。じゃあ、飲んでみようかなぁ」
「じゃあ、果酒(かしゅ)が良いんじゃないかな」
 提案しながら、雪村は店員を呼ぶために片手を挙げた。
「どうする?」
 ゆりを振り返ってもう一度尋ねたので、ゆりはこくんと頷いた。
「じゃあ、それにする」

 届いた果酒という酒は甘い匂いのする酒だった。一方で雪村の方の酒からはアルコールの匂いが僅かに漂ってきていた。
 テーブルをまたいで漂ってくるのだから、かなりアルコール度数が高いに違いない。
 ゆりは恐る恐る果酒に口をつけた。

「……おいしい」
「だろ? それ、女性に人気って有名なんだ」
「そうなんだ。うん。りんごジュースみたいで美味しいもん。そっちはなんか、強そうだね」
「うん。まあね。苦いし、アルコール度数もかなり高いよ」
「平気なの?」
「結構ね。強い方だと思うなぁ。風間は弱いんだよ――」

 自身の口からぽろっと出た名前に、雪村の心臓は一瞬ギクリと高鳴った。
 風間の告白が頭を過ぎる。
(風間が言った事って本当なのか?)

 風間はその性格と立場ゆえ、これまでに雪村に報せずに事を遂行するというのは数多くあったし、雪村もまたその事実を黙認していた。

 それは『継ぐ』という煩わしさからでもあったし、甘えからでもあった。
 だが、風間が雪村に嘘をつく事は、雪村の経験上ではない事だった。
 なので、雪村は風間がゆりを好きなことは事実なのだと、心の片隅では思っていた。だが、それを否定したい気持ちの方が強かった。

(だって、もし、それが事実なら……俺、ぜってー風間に敵わねぇよ!)
 憤るように俯いた雪村に向って、ゆりは小さく驚いた。

「そうなの?」
「え!?」

 ゆりは風間がアルコールに弱いと言う事実に、意外な心持がして驚いたのだが、あまりにもタイムリーな返しに、雪村は自身の心を読まれたのかと思ってたまげた。

「私、なんか驚かせる事言った?」
「……いやいやいや! なんでもない!」
 ゆりの怪訝な様子に、雪村は慌ててブンブンと首を横に振った。
(そっか! だよな、さっきの会話の返しだよな。……びっくりした)
 ほっとした表情を浮かべた雪村に、ゆりは胡乱気な視線を送って首を捻る。

「そう?」
「……うん。ごめん」
 雪村は小さく頷いて、酒をコップに注いだ。
「あのさ風間さんと、何かあったの?」
「……え!?」

 ゆりの唐突な質問に、雪村は驚いて目を見張る。
 その表情で、ゆりはやはり二人の間に何かあったのだと確信した。と、同時に、尋ねて良かったのだろうかと迷いが生じた。

 それと言うのも、二人の間に何かあったのだろうと察していたゆりだったが、尋ねるタイミングを見計らい、首を突っ込んで欲しくなさそうならば、聞かないつもりでいたからだ。だから、雪村のどことなく恐々とした様子を感じ取って、まずかったのかも知れない――と、不安になっていた。

 だが、雪村が驚いていたのは数秒だった。
 雪村は片手に持ったままだった酒を呷って、真顔でゆりを見据えた。先程までの焦燥や不安感は、雪村の表情からは感じられなかった。
 今まで見たことのない、強く、真剣な青い双眸に思わず胸が高鳴る。

「あいつさ、何か隠してんだよな」
 固く、妙にきっぱりとした声音で言って、雪村はゆりから視線を逸らした。

 風間がゆりを好きかどうかは置いておいても、他に何か隠しているのは明白だった。何故なら、雪村が感じていた不審感はゆりがこの世界に来る前からだったからだ。

 その事に気づいたのはつい先程の事だ。
 風間の気持ちをゆりに言うわけにもいかず、どうしたものかとない頭で考えた結果、その事を思い出したのだった。

 雪村は緑色の酒瓶から酒を注ぎながら、愚痴るように声を尖らせた。

「『今回』のことだけじゃなくて、昔からそうなんだ。肝心な事を話さないっつーかさ。そのくせ頭首らしくしろってうるさいんだよな。オヤジもだけど」
「そうなんだ」
「まあ、俺が頭首なんかヤダって逃げ回ってるせいもあるかも知んないけどさ」

 雪村は口の中で呟くように言ってコップに口をつけた。それにつられるように、ゆりも「そっか」と相槌を打って果酒に口をつける。

「何を隠してるのか見当はついてるの?」
「……いや。分かんない」
 考える素振りを見せて、雪村はかぶりを振った。
「そっか……」
 ゆりはぽつりと呟いて、目線を伏す。

 風間が何故呪火を使い、たくさんの人を殺したのか、ゆりは尋ねてみたかったが、なんとなく憚られた。それはゆり自身が訊く事を恐れたからだったが、何故恐れたのかはゆり自身にもはっきりとは分からなかった。

「それと、ごめん」
「え?」
 突然の謝罪にゆりはきょとんとして雪村を見やると、雪村は決まり悪そうに頬を掻いた。

「風間にも訊いてみたかったんだけど、話の流れ的に訊けなかったんだ」
「えっと?」
「ああ。あの、谷中さんが帰れるかどうか」
「ああ……」

 ゆりは思わず間のぬけた声を出してしまった。
 雪村がそこまで自分の事を気にしていてくれたとは思いもよらず、驚いたのと同時に暖かい気持ちが湧いて出た。

「ごめんな。あんまり力になれなくて。今度ダメ元で訊いてみるよ」
「ううん。気にしてくれてただけで嬉しい。ありがとう」

 ゆりは自然と頭が下がった。それくらい、嬉しく、感謝していた。
 雪村は照れたように口を結び、同時にどことなく気まずそうに頭を掻いた。

「えっと、ごめん、俺ちょっとトイレ」
「あ、うん」

 雪村は席を立った。
 その背を目線で送って、見えなくなってから、ゆりはメニューに目を通した。

「文字は読めるけど、どれがどんな料理か分かんないな……」

 ぽつりと独りごちると、突然ゆりの正面に中年の男が座った。その横にまた別の中年男性が立つ。二人は店に入ったときに雪村をからかった者達だ。

「こんばんは、お嬢さん」
 席に着いた男が言って、ゆりは愛想笑いを返した。

「こんばんは」
「お嬢さん、本当に坊ちゃんと付き合ってないの?」
「付き合ってません」
 ゆりが苦笑すると、男達は目線を合わせて残念そうな顔をした。

「そうかぁ。坊ちゃんもついに結婚するのかと思ったんだがなぁ」
「そうだよな。そうすりゃ、このクラプションもますます安泰ってとこだったんだがな」
 立っている男が同意して、窺うような視線をゆりに向けた。

「まあ、仲良くしてやってくれよ。くれぐれも傷つけるようなことはしてくれるなよな、お嬢さん」
「そうだぞ」
「あはは……」

 ゆりは乾いた笑いを返したが、ふとヤーセルの言葉を思い出した。
 確か、三条家は畏怖、畏敬の対象なのではなかっただろうか。だが、町の者達の雪村への態度はそんなものとはかけ離れている。

「あの……三条家って畏怖の対象って聞いた事があるんですけど……」
 
 言い難く言ったゆりを、二人はどこかきょとんとしたように見て、顔を見合わせた。
 そして、ふっと苦笑を漏らしてゆりに視線を戻し、席に着いた男が膝の上に手を置いて、身を乗り出すようにした。

「確かに、三条家はそうだな。でも、坊ちゃんは別だよ」

「ああ。俺達も初めは厄歩として見てたんだが、坊ちゃんはそんなことも気にしないで、町の皆に良くしてくれてな。他の三条の連中はどんなやつかも分からねえから、まだ怖いけど、あんな坊ちゃんがいるなら、そう怖いわけでも、悪い連中なわけでもないのかなとも思うよ」
「へえ……」

 ゆりはぽつりと呟いて、二人を見据えた。
 良く知らないから恐れる、そういう気持ちは理解できるような気がしたが、無知や思い込みで向ける感情というものは、差別というものになるのではないのだろうかと、ゆりは複雑な気持ちになった。

「何してんだよー!」
 突然尖った声がして、はっとして目線を向けると、いつの間にか男たちの横に雪村が立っていた。
 雪村はむくれた表情を男達に向けた。

「おっちゃん達、何か吹き込んでないよなぁ?」
「何にも言ってねーって!」
 席に座っていた男が慌てながら立ち上がると、隣の男がにやっと笑った。

「坊ちゃんがいい奴だって彼女に売り込んどいたからな!」
「……な!?」
 雪村は一瞬目を丸くし、親指を立てた。
「おっちゃん達――グッジョブ!」
 笑い合う雪村達をゆりは微笑ましく思って、自然と頬がほころんだ。
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